ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設
ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。
こちらです
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某「でもやっぱり、空想の世界でも、子供を性欲の対象にするのは信じられません、不快です」
ますだ「私は子供を性欲の対象になんて、しませんよ!!」 某「え、だって……」 ますだ「現実の子供なんて裸を見てもピクリともしません。 アニメだって、『カードキャプターさくら』とか『おじゃ魔女どれみ』とかは、『ああ、かわいいなあ』という気持ちしか抱きません。性欲とも恋愛感情とも関係ない。あの子たちは子供そのものだから…… 子供が好きなんじゃなくて、『私の好きなキャラクターは、非オタクの人たちにとっては子供に見える』んです。目が大きかったり、胸が小さかったり、体全体が丸っこく描かれていたりして、喋り方も幼かったりして、ときには作者の絵柄の問題で、子供みたいになってしまうのです。 オタクには『子供っぽいキャラ』と『子供』の違いがわかります。 でも普通の人には分からない。 まったくオタクの素養のない人が、『らき☆すた』『ひだまりスケッチ』などを見て、登場人物たちを小学生だと勘違いしたそうです。高校生なのに! そういうことです」 某「でも子供みたいな外見を好むって言うことは、心のどこかに『子供そのもの』への欲望があるんじゃないですか?」 ますだ「うーん、あるかなあ。『本当は子供を求めているのだが、仕方なくアニメキャラで我慢』という代償行為だったら、もっと子供を見たときに鬱屈したものを感じると思いますよ。まったく感じたことが無いなあ。 あとねえ、『子供のような外見』といっても、私が本当に好きなのは『子供みたいな外見』から微妙にズレてるんですよ。 たとえば、アニメなんかで『貧乳キャラ』のことを『幼児体型』などと言いますが、本物の子供はただ胸が小さいだけじゃありません。尻も、腰のくびれも未発達で、つまり全体的に寸胴で、お腹がちょっと出ています。キューピー人形みたいな体型です。 そんな体型には欲情しません、ぜんぜん。 ちゃんと第二次性長期を迎えて女性の体になった上で、胸が小さくて手足がすらっとしてて、そして……そうだなあ、『遠野秋葉』とか『桂ヒナギク』みたいな体型が一番美しいと思います。葛西伸哉の『キャラふる』という小説に『体操選手体型』という形容が出てきました。たぶんそんな感じ」 某「それは『貧乳好き』であって『ロリコン』じゃありませんよ」 ますだ「いや、秋葉もヒナギクも少女には違いない。広い意味のロリコンには含まれると思う。『少女性が好き』だとは思う。 それでね、 オタク以外の人たちにとっては『そんな細かい違いは分からない』んだよ! 人間は自分が興味ないことは、細かく分類しません。分類しようとも思わない。 だから、十把一絡げに規制されそうで恐ろしいんです。 桂ヒナギクに欲情する人間と、10歳の女子児童に欲情する人間は、明らかに違う人種なのにね! 前者を刑務所に入れても後者の犯行を止めることはできないのにね!」 某「ところで、桂ヒナギクも遠野秋葉も裸眼ですが…… 貧乳だが裸眼の子と、巨乳だが眼鏡の子はどっちが好きですか」 ますだ「前者(即答)。巨乳は嫌い」 某「そ、そんな人は『眼鏡っ子萌え』を自称してはいけない!」 PR
嗜好と思想
なんというか、好き嫌いと善い悪いとを混同した挙句、自分の嗜好を正しい思想を思い込んでいる人が多いですよね。
先日見た、たけしのとある番組に登場していた豪州の反捕鯨活動家の人々とか、某元美少女歌手の成れの果ての人とか、見ていると。 まさに、“非論理的です。”とか“それは無意味だ”という、感情よりも理性を重んじるバルカン人や元ボーグの人物の口癖が出てくる状況ですね。 別に私の趣味を好きになる必要はないし、逆に他の人の趣味を好きになるつもりもありません(というか、コンビニに並んでいるアダルト系の雑誌とかは一瞬見ただけで気分悪くなるし)。ですが、それが悪いとは思っていません。嫌いなだけです。ええ、あのくだらない一発芸のタレントとか芸能人とか称する連中とかそのほか色々な(後略)。でもその存在自体が悪とは思っていません。それこそこの国は自由民主主義の国だし。まあ、その肝心の“自由民主主義”を掲げた政党がそれに反する表現規制をしようとしているのは、問題ですが。 では、長寿と繁栄を。 by コッド少佐
無題
>コッド少佐
コメントありがとうございます。 難しいですよね。 確かに捕鯨とかポルノは「好き嫌い」で攻撃されていますが、感情を排除して論理だけになった世界も非常に住み難そうです。 「それは論理的か否か」「自分は冷静か否か」を自分に問いかける習慣くらいは、あってもよさそうですね。 私も偏見を確かに持っているので自戒を込めて。
IDICの精神
STのバルカン哲学の基本精神は、“IDIC”『無限の相違との無限の調和』確か大意(意訳)は、『お互いにいろいろな価値観を認めていこう』だったはずです。まさに自由民主主義の基本精神そのままですね。このIDICの精神が、私がSTのファンをやっている理由の一つです。
理想を言えば、特に表現規制の可能性のある法律の作成には運用する側の理性を重視し、運用には運用される側の感情を重視して行うべきなのでしょうが…。現代では全く逆ですね。感情的に成立させ、杓子定規に運用することのほうが多そうです。 正直、趣味や嗜好や性癖を規制するのは、ある意味異常なこと、少なくとも理想からは程遠いですね。 では、長寿と繁栄を。 by コッド少佐
無題
>コッド少佐
なるほど……… コメントありがとうございました。 スタートレックの世界には「異星人」というものが実在するわけで、まったく文化や価値観が違うんでしょうから、そういう違う人たち同士でなんとか共存するために、多様性を認める哲学が生まれたんでしょうね。地球人も真似をしたいものです。 じっさいに異星人が現れたら地球人は変われるんでしょうか。うーん、変わるまでには大変な抵抗がありそうですねえ。 |
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