ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設
ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。
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今回も「ヱヴァンゲリヲン破」の話をします。
この映画の見所は山ほどあります。戦闘シーンの迫力だけで「ロボットアニメの限界点を超えた!」「劇場の大スクリーンで見なければ損だ!」って思います。 でも、私が一番感動したのは、この映画が「自己責任論の先にあるもの」を描いてくれた点です。 旧エヴァが作られた1990年代は「トラウマ主義の時代」だったと思います。 ダメな奴がダメなのは「愛されなかった」「裏切られた」など、過去の心の傷が原因で、その傷を癒さない限り人間は変われない、救われないという思想が蔓延していたと思います。旧エヴァはその思想の代表格でした。 現在、このトラウマ主義は影を潜め、「トラウマがあろうがなんだろうが、人間は自分を変える事ができる」「変えるべきだ」という思想のほうが一般的だと思います。心の傷があって不利ならば、より努力すればいいだけだ、という。 人間の自由意志と自助努力を強く信頼しているんです。 しかし、それは悪く言えば、「変われない人間」は本人に全責任があるという考えに繋がります。 「トラウマに縛られている人間」など存在しない、「トラウマを理由にして怠けている人間」なのだ、という「行き過ぎた自己責任論」です。 自己責任以外の思想を認めない、わずかでも他者のせいにしたらクズ呼ばわり、という人間がウジャウジャいるじゃありませんか。 ネットを見てください。「就職できない」とか「病気で働けない」とか「借金が返せない」などという人間を、集団で「お前の弱さが原因だ」「お前が怠けているだけだ」と罵倒する光景が、そこら中にあるじゃないですか。自分が被害を受けているわけでもないのに、ダメのレッテルを貼って潰さずにはいられないんです。どうかしている。派遣村に関して、どれほどの罵倒が吹き荒れたことか。 この、「人間は自力で変われるという信頼と、それゆえの厳しい自己責任」が、宇野常寛の言う「決断主義」「サバイブ感」なんだろうと思いますよ。 ギスギスして、とても嫌な空気です。 でも、「ヱヴァンゲリヲン破」は自己責任論プラスアルファを描いてくれました。 シンジは変わったけど、彼自身の力だけで変わったわけではない。 ゲンドウを含む周囲の人間が、みんな少しずつシンジに歩み寄ったからこそ、彼の内側から大いなる力が溢れだしたのです。 最終的には本人の決断なんだけど、でも他人の影響がすごく大きい。 トラウマ主義と違うのが「誰か一人が深く愛してくれたから、トラウマが解消されて別人に生まれ変わった」という描写ではない点です。 シンジを変えたのは「みんな」、そして最後に「彼自身」です。 逆にいえば、今回の映画でもゲンドウが「お前には失望した」しか言わず、綾波やアスカとの間の絆も壊れていたならば…… シンジは膝を抱えて泣きながら言い訳、という行動しか取れなかったでしょう。 だから「ダメな奴」は、「人間関係に恵まれていないだけ」という可能性がある。 絆があればダメな奴も、力を出せるのかもしれない。 「いきなり自己責任」ではなくて、一度くらいは手をさしのべよう、ということになります。 「ヱヴァンゲリヲン破」の「絆主義」「関係性こそが人を救い、人を変えられる」という思想は、いまの時代を生き抜く一つの答えになると思います。 PR |
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