ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設
ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。
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面白かった本の感想。
江波 光則「ペイルライダー」 小学館ガガガ文庫。 暗黒イジメ小説「ストレンジボイス」で鮮烈デビューし、「ガガガ文庫といえばスクールカースト物」というイメージを決定づけた(?)江波光則の第3作。 ページをパラッと開いたら、いきなり、パチンコ玉を尻の穴に入れるイジメが出てきた。 うわあ。 イジメシーンがずっと続いたらイヤだなぁと思いましたが、読んでみるとイジメが実際に行われるシーンはわずかで、ダメージを受けませんでした。こんなもんちょろいちょろい。 主人公は悪いやつで、イジメられっ子なんだけど、イジメられる事を逆に利用して、転校のたびにクラスをメチャクチャにしてきたやつで。 いまは別の学校に転校してきて、クラスを荒らすのは一息ついて、変わり者の女の子と仲良くなっているんですが…… いぜん陥れた別のイジメられっ子から復讐を受ける、という話でした。 とにかく不快だったのは主人公の思想ですね。 『外見がデブだったりオカマだったり、喋り方がカンに障る人間は虐められる。世の中そうなってる』 『イジメは悪いと言ってもなんの解決にもならない。正しさだけをかかえて底辺を這いつづけることになる』 『そんなのは嫌だ、だから俺は自分がイジメられることを積極的に利用してクラスを目茶苦茶にしてやる』 この『人間そういうものなんだから、世の中そういうものなんだから』に激しい苦痛と不快感をおぼえる。 後ろ向き過ぎて気持ち悪い。それでは人類の進歩がないではないか。 奴隷制が廃止され、戦時国際法が整備されたように、黒人がアメリカ大統領になったように、いつか世界は変わり、我々も解放されると、私は信じている。 具体的にどうやってクラスを目茶苦茶にするか、というノウハウの部分は面白かったけどね。 『イジメられっ子というレッテルを貼ることで視野が狭くなる』 『イジメられることでクラスの隠された情報が集まる』 なるほど、という感じだ。 ガラス瓶で喧嘩するシーンで「瓶を殺す気で叩きつけたら一発で割れるんじゃないか?」って疑問に思いましたが、じっさいにガラス瓶を用意して木材やコンクリートなどを殴ってみたところ、「ビール瓶みたいな長い瓶を振り回して殴った場合は割れやすいが、短くて小さい瓶を握りこんで底をぶつければ割れづらい」ということがわかりました。側面から力が加わったときに割れるのです。 「底をぶつければ割れない」という主人公の言っていることは正しい。 たぶん彼は男子高校生の割には非力だと思うしね。 よく調べて書いている。 だから知的好奇心を刺激する「興味深く読めた」作品ではあったけど、主人公のことが大嫌いで、作品のことも嫌い。面白いが楽しくはない。これだけ嫌な主人公の割には抵抗なく読めたのは凄いけど。 これは推測ですが、おそらく主人公は最初、必ずイジメの標的になるという状況に適応して心を守るために、「世界はこういうものなんだから仕方ない。これを、どう利用するかだ」っていうふうに切り替えたと思うんですよ。謀略は手段だったはずなんです。 でも、イジメられていることを逆に利用してクラスの情報を集めて、嘘情報を吹きこんだり脅迫したりしてクラスの仲良し空間を解体して焼け野原にして去っていく、などという権謀術数が使えるならば、イジメから脱出することもできたはずなんですよね。人気者になるのは無理でしょうが、アイツは放っておこうというポジションなら可能だ。主人公は「俺にはクソみたいなカードしか無いから、こういう風にしか生きられなかった」って言ってますが、でも違うんです。最初は「仕方なく」だったかもしれないけど、途中からは手段と目的が入れ替わっているんです。 このイビツさがすごく気持ちが悪い。 あと、謀略のたちが悪すぎる。 「吐き気を催す邪悪」だ。 主人公は成長できた。敵である悠一郎は変われなかった、ということになっているんですが。 でも私の感覚だとまだしも悠一郎のほうがマシな人間で、好感がもてるんです。 日本の刑法ではもちろん悠一郎のほうが重罪に決まってますが、彼は憎しみで頭が真っ白になって、主人公に復讐することしか考えられなくなっていた。 いっぽう主人公は、自分がなにをやっているか、なにをもたらすのか自覚したうえで、冷静に人々を俯瞰して謀略をおこない、クラスを破壊してきた。 俺はこんなふうにしか生きられないとうそぶいて。 『俺は自分が異常であることを自覚している、自分のことがわかってないお前らとは違う』って。 自覚してるから、客観的だからこそ、なお悪いと私は思う。 怒りと憎しみで殺す犯すってやってるほうが、許せる。だんぜん悠一郎のほうに肩入れする。 作者は当然、主人公が反感を買うキャラだということは分かっているんでしょう。 だから主人公にあれだけ痛い思いをさせて、最後は身体障がい者にした。悪事の報いを受けた、彼はもう赦されるベき、という読後感を与えるのが目的なんだと思う。 なるほど、ある程度はうまくいってる。 主人公の足が一生動かない、という記述を読んだ時はザマーミロと思った。胸の鬱屈が軽くなった。 が、しかし。 よく読んでみると、主人公は最後の最後まで、『謀略で人々を踊らせ、クラスを破壊してきたこと自体』は悔いてない。一度として。『善悪に関する反省』はない。 途中に何度か『俺は馬鹿だ』『鷹音がああなったのは俺の責任だ』とは独白してます。 でも『具体的に何について、どう自己批判しているのか』と精読すると、 『焦って見当違いのことやったから事態が悪化した。今までの学校でやったように冷静に、事実をきちんと確認してから動けばよかった』 こういう後悔なのです。 あくまで『くそっ、もっとうまくやれたはずなのに』という類いで、能力不足や戦術ミスを悔いているにすぎない。道徳や倫理について悔いているわけではない。 『日本全国に悠一郎みたいな奴がいて、俺を怨んでいるだろう』とも独白してますが、単に現実を述べただけで、悔恨の感情は描かれていなかった。 『大人になって就職したらもう焼け野原にはできない、どうやって生きていく?』と自問自答するシーンもありますが、それも漠然とした不安でしか無い、精神が壊れるレベルの苦悩ってわけじゃない。 つまり主人公は肉体的にはズタボロですが、心や魂のレベルでは大して傷ついていない。贖罪のしょの字もない。 これを報いといっていいのかな、と私は首をかしげます。 「これから主人公は鷹音と交流することで変わっていくだろう」という兆候は描かれていますが…… やっぱり納得できない。 主人公にはもっと苦しんで欲しかった。いままでの人生、思想、人格の全てが間違っていたことを思い知って心底悩み、精神的に生まれ変わって何らかの償いをする……という流れじゃないと、私は主人公を許せない。 なんでだよ! このデブなんで幸せになってんだよ! しかも眼鏡の貧乳のお嬢様と! 眼鏡の貧乳のお嬢様と! 氏ねデブ 発育不良のそそらない女ってどういうことだ、発育がないからそそるんだろうがデブ (デブは他のデブに対して手厳しい) などという読後感がある。 じっさい、このあと二人はどうなっただろう、と考えると、すごく暗澹たる気持ちになります。 鷹音は善人です。他人を傷つけ不快にさせるのは悪いことだと、素朴に思っている。 クラスメート同士が相互監視でギスギスしていることを見ていられない。いたたまれない。明るく和気あいあいとした普通のクラスにしたいと願う。 あれだけの権力と財力を持ちながら、「たかが、探偵の調査結果を発表してクラスを破壊すること」を恐れてしまう。主人公のせいでひどい目にあわされても、主人公ではなく自分の判断を責める。 つまり、自分が上がった時も下がった時も、特権的存在だと思わない。 そんな謙虚で善良極まりない人間が、「この人(主人公)は、私の命を守るために飛び降りて、一生の身体障がいを負った」という事実(主人公が飛び降りた理由はそれだけじゃないけど)を受けて、どう感じるか。 もう一生、鷹音のなかで主人公は特別な存在になっちゃいますね。 べったりと尽くしますよ。 親とかに、あの男の何がいいんだと訝しまれながら。 たぶん鷹音はそういうメンタリティーですよ。 ラストのやりとりでは尽くすって言ってないけど、たぶんそういうメンタリティーですよ。 私にはわかる。ああだとこうだと言いながら献身する鷹音、「なんなんだお前変なの」と言いながらも悪い気分ではない主人公、という情景が目に浮かんで、コンチクショウとのたうちまわる。(おれキモいなあ) PR
毎日仕事が忙しくて大変です。
明日で20日連続勤務。いまのうちにたくさん稼いでおくんだ、そのための良い機会だ、そう思うことにしよう。でもフラフラ。昼間は常に眠く、お腹は常に緩い。 今朝はとくに厄日だった。コンビニでハンバーグ弁当を落っことしてグチャグチャにしてしまったのだ。奮発して500円も出したのに。一日中、気分がブルー。 なんでコンビニには「買った弁当を置く台」がないんだ! ベンチでいいんだ! なんでゴミ箱の上が平らじゃないんだ! 丸いから弁当が置けない! あそこに弁当を載せて、さあ食べよう! グチャ(惨劇) という出来事が人生のなかで4回はあったぞ! 土のついてないオカズを拾って食べるのは、この世で3番目くらいに惨めだ。 汚いからといって全部捨ててしまうと、後悔して夢に見るんだもの。 弁当だけなら手で持ちながら食える。だが同時に水とかお茶とか飲みたいのだ、だから台が欲しいのだ。 地面に座って、膝の上で食べればいい、という話もあるな。でも私は膝が痛くて、しゃがむのが苦痛なのだ。あぐらをかいたら5分で足が痺れて立てなくなる。 そうですよね、そこまで極僅かな特殊な客のためにサービスできないですよね。 そもそもコンビニってのは「店頭で飲食すること」を歓迎していないんですよね。 家に帰って食えって話ですよね。ええわかってます。 こんな気分が陰鬱がときは、面白かった小説の話でもしよう。 最近読んだ小説。 明坂つづり「赤鬼はもう泣かない」小学館ガガガ文庫 主人公は女の子の腕を舐めてしまい変態扱いされて田舎の学校に強制転校させられる。 なんとか新しい環境で頑張ろうとする主人公だが、クラスメートとはコミュニケーションが取れない。となりの女の子がとても可愛いのはいいのだが、指に噛み付いて血を吸ってくる変な女の子で…… いやあ、「たぶんこういう話だろう」という予測とぜんぜん違って、よかった。 「ぼくはどうやら転校に失敗したらしい。この学校こそ、ぼくを治療するしかるべき施設なのかもしれない」などと主人公が独白するので、「うわあ」って思いながら読んでたんですよね。 まただよ。ガガガ文庫の18番・暗黒青春小説だよ。こりゃトラウマのカサブタはがされるのを覚悟で読まないと。 ……ぜんぜん違った! 暗い側面もあるが、会話は軽妙、読後感はさわやか。基本的に、「善い人達の話」。 懐かしい! この懐かしさは……90年代後半の、「葉鍵」。 もっとはっきり言っちゃうと、「鍵ゲー」。 KanonとかAIRとか。 主人公は奇人変人の美少女と知り合って懐かれる。 噛み合わない会話、シュールな漫才を繰り広げる。 主人公は「なんだこいつ」と思いながらも少女に好意を抱く。 ある時、少女の正体と、悲劇的な運命が明らかになる。 これまでギャグとして描かれてきた「少女の奇人ぶり」が、まるごと「悲劇性」に転化される。 主人公は頑張って奇跡を起こして女の子を助ける。 この流れが、まさに。 ギャグとして描かれてきた奇人ぶり(白痴ぶりと言ったほうがいいかも)が悲劇性に変わる、その瞬間の、悲劇のカタルシス、心の奥底にグッと手を突っ込まれる感じが、むりやりに涙腺を絞られて自動的に涙が出る感じが、まさしく鍵ゲーだ。12年前にKanonやAIRを「真琴……観鈴ちん……エグッ、エグッ……」とか泣きながらプレイしていた、キモい記憶が鮮烈に脳裏によみがえる。 読み終わった後で、「この小説は、まさに鍵の麻枝准氏が絶賛して受賞した、審査員特別受賞作である」と知った。 知りませんでした。麻枝准が激賞だから鍵だっていってるわけじゃなくて。先入観なしに読んで「鍵っぽいなー、懐かしいなー」って。 そんなわけで、一服の清涼剤として「読んでよかった!」って感じです。 「鍵ゲーみたいで懐かしい」は悪口に聞こえるかもしれないけど、ぜったいにそんなつもりはないんです。
ダンゲロス読み終わりました。
かなりボリュームがあるので脳に負担がかかりました。 いやあ面白かったですよ。 なにが面白いって、「緊張感」でしょうか。 先が読めないから。 鳴り物入りで登場し、過去が描かれて、「こいつは主要キャラだな」と私が認識しても、わずかなボタンの掛け違いで容赦無く死ぬ。 「重要なキャラはストーリー上の役割を果たすまで死なない」とか、そういう予定調和的なルールを一切守らない。 まさにテーブルトークRPG、それもヒーローポイントがない、昔のやつ。 ラスボスのつもりで作った敵が、ダイスの目が悪いってだけで秒殺されてゲームマスター唖然、みたいな展開が連続してる感じ。 「実はコイツにはAという能力があったのです。だから敵の攻撃Bは無効です」「残念、今回はA能力は使えないのです、だからコイツは死にます」みたいな展開が結構あって「後出しジャンケンじゃん」とも思いましたが、でも読み返してみると伏線があるので、アンフェアではない。 複数の勢力がそれぞれの思惑でくっついたり裏切ったり、状況が錯綜する、という意味でも「先が読めない」。 最後の数ページになるまで、どうなるのかわからない。 「これがどういう話なのか」が分かるのは本当にラスト。 いちばん好きなキャラは黒鈴。 いやだいやだと言いながら脳味噌食べて、次々に能力を切り替える姿がツボ。 っていうか、たった1日の間に、1400グラムもある脳味噌を4回も完食して、おなか大丈夫なんですか。 惜しむらくは、「貧乳」と明言されているのに、じっさい裸になるシーンでは「形の良い、小ぶりな乳房がぷるん」どまりであるところ。 ちげーだろーが、そこはぺったんこだろ。「甘食おっぱい」だろ? ぷるんっていう貧乳なんて貧乳じゃねえよ。俺がどんだけ期待していたと思ってるんだよ。 二番目に好きなのは一刀両。思考が狂い過ぎていて、読んでいてワクワクする。 え? なに、眼鏡っ子がいるって? おれ、鏡子だめなんだ、あれは受け付けないんだ。 いいやつだとは思うけど萌えの対象ではない。 ビッチだから? いや、グルグル眼鏡だから……「グルグル眼鏡で眼鏡とったら美人」やめて……
ついに「戦闘破壊学園ダンゲロス」を手に入れた。
超能力者のたくさんいる世界で、番長と生徒会が殺し合いをする話。 ちょっと読んでみた。 第一印象は「なんだこの変な文章」。 どうしてだろう、この違和感、と考えてみると、 「視点が登場人物の内面に入り込んでないから」。 三人称なのに擬似一人称、視点を登場人物に一体化させて、内面や体感を直接書く、という書き方(今のライトノベルの主流だと思う)をあんまりやっていない。 「彼はこう思っていた。その理由はこれこれである」と、「上から」「外から」書いてしまう。「理由はこれこれである」と説明している者は「登場人物の心」ではなく、「作者」だ。「作者」が明確に自己主張して、箱庭を上から見て論評している書き方だ。 銀英伝みたい、というか、歴史物みたい。昔に起こったことを後から分析しつつ記述しているような書き方。 だから違和感があったんだけど、でもやっぱり面白い、引き込まれる。 文章にはすぐに慣れた。 いままでの「能力バトル物」とは一風違う、ひねってるね。 私は「戦う司書」シリーズが好きで、「理想の能力バトル」だと思っていた。 ダンゲロスは「司書」とは違う面白さを追求している。 司書は「何億匹もの蟻を召喚する」とか「2秒先の未来を完全に予知する」とか、お互いの能力を知った上で、有利不利や相性を考えて、いかに倒すか、という話だ。 いっぽうダンゲロスは闘いの事前準備に重きを置いている。情報収集と偽装。 「能力を知られてしまったら不利で、半分負けたようなものなので、いかにして能力の正体を隠すか、偽装するか、が重要」なのだ。まだ全部読んでないけど、たぶんそうだ。 生徒会長の能力が面白い。ツボにはまった。 敵である生徒会長・ド正義卓也(めだかボックス以上の珍名w)の能力、「超高潔速攻裁判」は「睨んだだけで人間を死刑にできる」。 じゃあ無敵なのか、というと、そんなことはなくて、「私刑じゃなくて死刑」だから、「現地の法律で死刑に相当する人間しか殺せない」。 「裁判の過程を早回しする能力にすぎない」と説明されていた。 だから法律の厳しさによって彼の攻撃力はぜんぜん変わってくる。 極端な話、死刑制度が廃止された国では彼の能力はピクリとも発動しないんだろう。 よって彼は、どうしても厳しい校則を作る必要があった……! 「なるほど、その考えはなかった」。膝を打った。 「強い万能の能力」なんて誰にでも考えられる。 むしろ「制約の大きい、それゆえにドラマチックな能力」が欲しい。 生徒会長の能力は、まさにそれ。ストーリーの根幹と結びつき、彼のメンタリティをも象徴するものだ。 全部読んでからまた感想書く。
きのう書いた、「ボイドの直径は1億光年を超えているから3000万年では横断できない。最低でも1億年かかる」って問題だけど。
5巻の当該部分を読み返してみると、「私の早とちりか?」という気もしてきた。 「ボイドの直径をまるまる横断して、反対側に来た」とは書いてない。 それどころか横断という言葉も使っていない。 ノルルスカインはボイドの曲面にそって3000万年進み続けた。 その間、オムニフロラは「球形のボイドを黙々と泳ぎ渡り」、先回りしていた。 としか書いていない。 「球形を泳ぎ渡り」という表現が、私の中で「中心を通って、直径分移動した」と解釈されたんだろう。地球にたとえれば、日本から真下に穴を掘ってブラジルあたりに到達するような。 だが、180度向こうに泳ぎ渡った、とは書いていないのだ。 どんな経路をたどったのかは解釈次第だ。 球形のボイドを斜めに泳ぎ渡ったのかもしれない。 斜めの角度を浅くすれば、3000万年だろうが100万年だろうが、別になんの矛盾も生じない。 |
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