ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設
ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。
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小説の感想。
坂本康宏「稲妻6」徳間書店 変身ヒーロー小説。 借金漬けになった主人公は自殺を試みるが、死ねなかった。それどころか超人・稲妻6(シックス)に変身してしまった。鬼のような異形。そして稲妻を操る力。 彼は警察に雇われ、他の超人たちとの戦いに身を投じてゆく……彼を支えていたものは妻と子への想い。激化する戦いの中で、彼は「超人たちはなぜ誕生したのか」「この戦いの背後で糸を引いているものとは?」を知っていく…… 面白いんだけど、なぜかのめりこめなかった。 「作者は昭和時代の仮面ライダーが好きで、私はあんまり好きじゃない」という趣味の違いだろうか? いいや……変身ヒーロー小説というジャンルは好きなんだ。麻生俊平の「ミュートスノート戦記」は大好きで、今でもよく読み返す。 作者の坂本康宏さんとは昔知り合いだったから? いや関係ない。知り合いが書いたものだろうと、のめりこめるものはのめりこめる。 じゃあなんで? この作者が一つ前に書いた「逆境戦隊×(バツ)」(ハヤカワSF文庫)を読んで、その理由が分かった。 主人公の動機や人間性が、とことん私と合わない。 私は、この動機「家族のため」に共感できない。 この作者は、こういう主人公を描くことが多い。 「自分はうだつの上がらない中年親父だ。オタクだったり貧乏だったり醜男だったりして、いろいろ劣等感を抱えている。誰も自分を褒めてくれることはない。でも戦う。逃げるわけにはいかない。大切な家族(妻と子供。どちらかといえば子供)がいるから!」 これが作者の書きたい、一番かっこいい男なんだと思う。 作者は日記にこう書いた。 「紅の豚のポルコ・ロッソは格好がハードボイルドなだけで全然ハードボイルドじゃない」 「ポルコは逃げているからだ。愛した女からも逃げている。人間であることからも逃げている」 「美女をはべらせてバーボンを煽っている男より、工事現場で汗まみれになって働き、娘が握ってくれたお握りを食べている男のほうがハードボイルドだ」 「だから自分なりのカッコよさをこめて稲妻6を書いた」 感動的な日記だ。 でも実際に小説を読んでいると……なんだかピンとこない。 主人公が家族を大切に思っている、という気持ちが伝わってこない。ただ文章で書いてあるだけで、それがどんな気持ちなのか迫真性がない。「どうして家族が大切なのか」も伝わってこない。 なんでなんだろう…… 同様の感想を他に見かけたことはないので、私の感覚のほうが変なんだと思う。 私に向けて書かれた本ではないんだろう。 なんでなんだろう…… 家族というのは、無償の愛を注いで当然、なのか? 妻ならまだわかる。私には縁の無い話だけど、憶測はできる。 今は自分を蔑んでいたとしても、かつて愛し合った女性ではあるんだから。 でも子供のために、命がけで戦おうというエネルギーが、なんで湧いてくるのか。 沸いてきて当然、という倫理観はなんなのか。 理解したくて、今日一日、作者のブログをずっと読み返していた。 やっぱりわからない。 わからないということがわかった、のは大きな成果だと思う。 この作者は私と同じオタクで、私と同様に子供時代はひどくイジメられていた。歳だって7歳しか違わない。 にもかかわらず、理解を絶するほどに相容れない価値観や感性を持っている。 イジメられっ子、というカテゴリーで人間をまとめるのは無謀だ、ということかも。 逆に言えば、私が小説の中で書いた気持ちも他人に伝わってないのだろう。 なんで、イジメられっ子は「イジメっ子だけでなく、世界が憎い」のか。 なんで、相手の指を食いちぎるのか。 それが作中で倫理的にまったく問題視されないのはなぜか。 「イジメが憎い」と「小泉元総理が憎い」が私の頭の中でシームレスにつながっているのはなぜか。 好きな(片思い)女の子のためなら人でも殺せるのは、なぜか。 どれも説明する必要なんかないだろう? 「1+1=2レベルの当たり前」じゃないか、なんでお前ら、こんな当然のことが理解できないんだ、と思う。 しかしどれも私以外にとっては当たり前じゃないのだ。 PR
無題
いじめられっ子、というカテゴリ分けの下に、更に周囲の状況や環境、実際に加えられた暴力の種類など、違いは色々あるわけで。
ひと言で「いじめられっ子」と区分はし難いんだろうなあ、と思います。 それって個性の差じゃないですかね? あと、増田さんの感想を見る限り、戦う理由が全部「人のせい」なのは個人的にどうも……(汗) 結局突き詰めると、人って自分がしたいからしてるだけだと思うんですよねー。 「○○のため」とか言って人のせいにするのは個人的には嫌いです。 「嫌だけど○○のためだから」とかはもっと嫌いです。 本気で嫌なら止めればいいじゃん?w 家族観についても人それぞれではないかと思います。 まず「こういう家族である」という説明がなければ、読者は自分の家族観を基に読みますから、感想にブレが出るのは当然ではないかと思います。 ちなみにおれは『紅の豚』は、ハードボイルドだと思いますよw ハードボイルド観だってみんな違うんじゃないでしょうか。 そもそもハードボイルドだのってカテゴリは、出版社の都合で勝手に作られたもので、読者がどう感じるかは勝手ですから。 判らないことが判るっていいことですよね。 人間、理解出来るものばかりじゃないと思いますから。 おれも近年、判らないものは判らないんだ、ということに納得したクチですw 長くなりましたが、最後に。 『常識は人によって違います』
無題
>子供のために、命がけで戦おうというエネルギーが、なんで湧いてくるのか。
栄養補給優先度を自身以上に設定、逃げれば済む外敵をあえて威嚇/誘導……場合によって自己保存の上位に子を置くのは哺乳類鳥類はもとより、一部の魚や虫にもみられます。 ぶっちゃけ遺伝子に刷りこまれた本能なわけで、睡眠欲の理由を小説内でいちいち書かないのと同じ。古今東西の小説において、子のための自己犠牲話は山ほどありますが、わが子だから以外の理由なんかないのが普通です。
無題
>由帆さん
コメントありがとうございます。 最終的には自分が決めるにしても、自分の内側からエネルギーを引っ張り出すきっかけが誰なのか、というのは大きいと思います。 「ここで逃げてしまったら誰々に顔向けができなくなる、誰々との約束を破ることになる、そんな自分を決して許せない」みたいな理由はありえると思います。 坂本作品の主人公はたぶんそんな心理で動いているんだろうなあと。 「自分がしたいから」ですが、「なぜ自分がそれをしたいのか」には他人が密接に関わっているという。 「誰々のため」と公言する人間はうさんくさいですね、私も眉に唾をつけます。 >ダブルオーさん コメントありがとうございます。 子供のために自分を犠牲にするのが「本能に基づく行動」でしかないとすれば、あまり賞賛するのも考え物ですね。 わたし「本能だから、そうするのは当然」って思いたくないんです。それは思考停止で、文明の放棄です。 たとえば動物がセックスをするのは種族保存・遺伝子保存の本能のせいだと思います。しかし、この本能が「正しいこと」だとすると、同性愛者や生殖力の無い人間は「間違っている」「劣っている」ことになります。そんな考え方は絶対にしたくありません。 さらにいえば、「イジメは本能だから仕方ない」なんてこともよく言われていますね。 「本能」は、「すべての人間にはひとしく生きる権利がある」などのリベラル思想と相容れないと思うのです。 もし「本能だから仕方ない」という考えの人間しかいなかったら、差別も戦争もなくなりはしないと思うのです。 むしろ本能は恐ろしいものであり、「どれだけ本能を克服できるか」が文明のバロメーターではないか、人類は最終的に全ての本能を捨て、生物であることを辞めるべきだ、と考えます。何百年かかるかわかりませんが、いつかたどり着くべき場所です。
憎んではいません
増田様。
お久しぶりです。 本を出版したあたりから、ネット上で攻撃を受けはじめ、 ホームページの掲示板も閉鎖せざるを得なくなったため、 不義理をして申し訳ありません。 いつも日記を拝見しております。 (なお、こんな時間に書き込みをしているのは休暇中だからです。念のため) ネットでひどい仕打ちを受けて以来、こういう書き込みは一切やめており、 コメントしようかどうか、かなり迷いましたが、 デビュー前からの知り合いの増田さんが、僕の日記を1日じゅう読むほど迷っていらっしゃるようなので、 書き込むことにいたしました。 さても、拙作を読んでいただき、まことにありがとうございます。 主人公の価値観や、行動原理がわからなかったとのこと、まことにあいすいません。 じつは、SFファンには増田さんのように批評される方も多く、 別に希有な存在ではありませんので、ご安心を。 価値観のことをいろいろ言っても仕方ありませんし、それを摺り合わせる必要などむしろないと思います。 ただ、同じイジメられっ子なのにこんなに違うのか、ということにだけお答えします。 確かに僕はイジメられっ子です。ここでイジメられ競争をしても仕方ありませんが、 同級生に両親に周囲の大人に、ありとあらゆる人にありとあらゆる方法でイジメられ、自殺した経験があります。 今生きているのは、ほんの偶然のようなもので、 体にも、心にも一生消えない傷をかかえて生きています。 おそらく増田さんも僕に匹敵するかそれ以上のイジメを受けたと思います。 >なんで、イジメられっ子は「イジメっ子だけでなく、世界が憎い」のか。 僕は憎んではいません。 イジメっ子も、そして世界も憎んではいません。 稲妻6では「ゆるす」ということを書きましたが、もちろん、彼らのことは死んでもゆるせません。 それでも、憎んではいないのです。 遠足を楽しみにしている子供が、雨がふったからと言って雲を恨むでしょうか。 それと同じように、僕は今、ただ哀しいと思っているのです。 哀しいと思えたからこそ、逆境戦隊で、僕は初めて小説にいじめのことを書くことができたのです。 憎しみをもって書かれたものは、根っこのところで人の共感を得られない。 増してや、自分の憎しみをわかって欲しいと思って書いても、他人には絶対にわかってはもらえない。 そう思っているのです。 やはり、イジメのことを書くと冷静ではいられませんね。 ブラッドファイト拝読しています。頑張って執筆を続けてください。 それでは、また。 乱筆乱文、ご容赦のほどを。
ありがとうございます。
>坂本康宏さん
ご無沙汰しています。 コメントありがとうございました。 坂本さんのコメントを読んだ上で逆境戦隊×を読み返してみると新しい発見がありました。 いぜんは嫌なキャラだったあの女王様を、妙に可愛らしく感じてしまったり。 >憎くはない そういえば逆境戦隊の主人公も、「どうして世の中はこうなんだ、どうして自分はダメなんだ」としきりに嘆きますが、「憎んではいない」ように見えます。(鞍瀬に罵倒された時などは瞬間的に激怒していますが、恒常的な憎しみはない) 私とは自意識の向け方がぜんぜん違う。 騎馬も私も「みんなが僕のことを、汚いものを見るような目で見ている」みたいな自意識があると思います。ここまでは似ている。しかし騎馬は家に引きこもることはあっても「冷たい目で見た奴ら」をぶん殴ったりはしない。私は「攻撃された! 反撃しなきゃ!」という被害者意識を常に持っている。 どうすれば気持ちが晴れるか、の違いかもしれません。 「憎しみ」「怒り」は、相手を攻撃すれば多少は晴れます。 しかし「悲しみ」は、たとえ殺してしまっても倍加するだけでしょう。 理不尽な仕打ちを受けたとき、最初は騎馬だって対象に憎しみを抱いたと思うのですが、いくら憎んでも現実が変わらない為、「身体を丸めて我慢する」ことが身についてしまったのかもしれません。 逆に言えば、私が誰かを憎んで罵るのは、騎馬ほど痛い思いをしていないということかもしれません。 それから、坂本さんの日記を読んでいると、「怒り」はたくさん出てきますが、「憎しみ」は非常に乏しく、坂本さん定義では怒りと憎しみはまったく別の物なのだと気づきます。 読めば読むほど違うことだらけです。 あと、本当に謝るべきことが一つあります。 私は長いこと、「公務員」は特権階級、貴族階級で、ものすごく恵まれた人たちだと思っていました。ネットの別の場所に「公務員は特権階級だから粛清しろ」と書いたこともあります。 しかし、坂本さんの日記をずっと読んでいくと、「この数々の苦労は、どう考えても貴族じゃないぞ」「お金はあるみたいだけど、私の知らない苦労も山ほどあるので、恵まれているとも言い切れないのでは」という感想を持ちました。 公務員=特権階級は偏見でした。ごめんなさい。もう書きません。 >ブラッドファイト拝読しています ありがとうございます。なによりの励みになりました。 |
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