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ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設 ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。 こちらです https://kakuyomu.jp/users/pennamec001
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 もう何日も前に放映されていて、いまさらですが……

 アニメ「響け! ユーフォニアム」の8話が凄かった。
 
 今回は恋愛回というか、夏祭り回。
 まあ定番ですよね、お祭りと恋愛を組み合わせるのは。

 葉月が意中の男子に告白して振られる一方で、主人公の久美子は孤高のトランペッター高坂麗奈に連れられて山を登っていた。山登りにもかかわらず、麗奈は真っ白なワンピース姿でデートのようだ。
 麗奈の奇妙な行動に戸惑う久美子。
 山のてっぺんで夜景を見ながら、麗奈は普段は見せなかった心情を吐露して、久美子のことを好きだと語る……
 麗奈を美しいと感じ、惹かれてしまう久美子……
 そして二人して、靴を脱いで合奏……
 美しい夜景のなかで、さらに美しく光り輝く、麗奈の青白い肌……

 なんだこれ!
 なんだこれ!
 
 い! ん! び!

 このあと無茶苦茶セッションした(同案多数)。

 もう目が離せない!

 「麗奈が久美子のことを好きだという伏線、あったっけ?」と思い返してみたが、「言われてみれば……あったかも」。
 
 なにより感動的なのは、これが偶然の産物、奇跡だということ。
 麗奈は自分から久美子を誘うことはできなかった。性格的に、おそらく。
 たまたま久美子が、葉月の恋を応援するために「この子と一緒に行くから」って言い訳して、そのとき偶然、麗奈の手をとった。
 久美子の方から手を差し伸べて、二人は山に登って奇跡の一夜を過ごしたのだ。
 麗奈が久美子のことを好きだ、という事実を知った上で観返すと、「あの瞬間、麗奈はどれほど嬉しかったろう」と思う。たぶん泣きたいくらい嬉しかったんじゃないかな。
 神様ありがとう! くらいの気持ち。
 心情を想像すると俺まで高ぶるね!

 たぶん麗奈が久美子のことを好きだというのは、「人間として」であって、同性愛ではないと思うのですよ。
 かぎりなく誤解を招く描き方をしているだけで。
 「これは、愛の告白。」とまで言っちゃってますけどね!
 本人が同性愛と誤認している可能性はあるけど、実際には違う。
 だからこれは百合であってレズビアンではない。
 英語では記述できない何かだ。
 でも、「同性愛とは絶対に違うものだ」と断定してもいない。
 この想像の幅がぐっと来るんですね。

 きっと何年かしたら麗奈は普通に彼氏を作って、久美子とのことは「幼いころの気の迷い」「あの頃の私は世界が狭かったから……」くらいに思ってしまうんですよ。
 でも、だからこそ、あの一夜は尊かったのです。

 っていうか、次の日、学校で顔を合わせて、すごい気まずくなったりしないんですかね……
 振られた相手と毎日部活しなきゃいけない葉月もツライですが、久美子はそれ以上ですよ。
 一晩寝て頭を冷やしたら、たぶん久美子は、「ど、どうしよう、昨日はテンションおかしくなってとんでもないことを……」みたいに思うのではないか。
 だって久美子は山を登ってる最中、自分を抱きしめるような仕草をしてるでしょ。
 あれは「身の危険を感じている」ということですよね。
 「やべえ、変なことされるかも」って。
 久美子にとっては、麗奈との一夜は「変なこと」で、それを自分は受け入れてしまったのですよ。
 
 黒髪ストレートロングヘアで無愛想(よく言えば孤高)、さらに百合キャラ。
 俺の中で麗奈は「擬似ほむほむ」というカテゴリに入ってしまったんだけど、でも、ほむほむとは違う。
 「何故好きなのか」「どのように好きなのか」が違うし、おそらく久美子への好意は、ずっと引きずってこじらせるようなものではなく、広い世界を知らない今だけの気持ち、だからこそ輝く気持ちだろう。

 原作読んでないから、これから久美子と麗奈がどうなるのかまったく知りませんが、固唾を呑んで見守ろうと思います。
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 小野寺浩二「妄想戦士ヤマモト」の新バージョンが出ていた。
 「HDリマスター版」という、分厚い単行本2冊。
 おお! 読み返したかったんだよ!
 買ってきた!
 拍子を見ると、小野寺浩二は少し絵柄が変わった……?
 南雲とか渡辺が以前よりハンサムになってるのが笑えるぞ。

 中身を読み始めた。
 もうダメ! 笑いすぎて死ぬ!
 ゲラゲラ、ウヒョウヒョ、ヒイヒイと悶えながら布団の上を転げまわった。
 やっぱり最高だ。
 一番好きな漫画、まで言い切るのはちょっとアレだが、「一番好きなギャグ漫画」ではある。

 「妄想戦士ヤマモト」は、「萌え」「オタク」を題材にしたギャグ漫画だ。
 妹以外あらゆる属性に萌えることができる究極のオタク、ヤマモトが、ひたすら己の萌えを追求する。
 常識人のツッコミ役・松下がそれに振り回される。
 ヤマモトだけでなく、「美少女フィギュアの王国を築いた男・渡辺」や「めがねっ子のすばらしさを日夜布教する教団の教祖・南雲」など、イッちゃってるオタクたちが次々登場し、時にはヤマモトと戦い、時には力を合わせる。
 この漫画では、「オタク」というものを「博学な人」でも「特別な技術を持ってる人」でもなく、「変態」「っていうかキ印」として描いている。
 第一話からして、ヤマモトは、
 「子猫に傘をさしてあげたら、猫耳少女になって恩返しに来るかもしれないぞ!」
 などと本気で信じて行動するのだ。
 アレな人だ。放送禁止用語だ。
 ヤマモトはアニメの知識もあるし、渡辺はフィギュアも作れるが、それは「キャラにハァハァするための手段」であって、目的ではないのだ!
 はっきりいって、ある意味では「オタクというものを悪く描いている」。
 でも、すごくピンと来るのだ。
 これを読んだあとでは、「オタクとは厳しい審美眼を持った玄人である」みたいな岡田斗司夫的オタク観は、キレイ事にしか聞こえない。嘘ではないが、大切な部分を取りこぼしたオタク観だ。
 オタクってのは、ありもしない女の子が見えてしまい、それに惚れてシュッシュッポッポする変態のことだ!
 力強い言い切りが、心地良い。
 ヤマモトたちの言ってることは、オタク、少なくとも萌え系のオタクだったら一度は考える。
 考えた上で「ねーよ」って常識が阻んだことなのだ。
 自分の代わりに突っ走ってくれているのがヤマモトたちなのだ。

 実はこの漫画のオタク観も、描かれて10年経った現在では古いと思う。
 でも、「オタクとは、こうあってほしい」
 「よくも悪くも突き抜けた馬鹿であって欲しい」
 という希望を、私はこの作品からは感じる。

 で、面白かったんだけど。

 昔とは印象が違うんだよ。
 昔はヤマモトに憧れていた。
 「究極のオタク」「ああなれたら、どんなに幸せだろう」。
 あらゆる萌えを楽しみ、無敵の能力と傍若無人な性格で、障害をガンガン潰して邁進する。
 絶対できるわけないけど。
 で、憧れじゃなくて共感していたのが、もちろん、眼鏡っ子教団の南雲ね。
 わかるわかるわかる! って。
 
 でも今は、

 ヤマモトは「すごいと思うが、憧れない」。
 この人は何が好きなんだろう。オタクとしての核がない。
 メイド、メガネ、猫耳、ドジっ子……
 どうして、これらのものをみんな好きになれるのか。
 エルフなの? 核は。
 南雲も、いまや共感できないよ……
 裸眼の女に惚れられて、メガネ愛を捨てるかどうか悩むとか、そんな恵まれた男に共感できるか! 南雲がなんど醜態を見せても、その女はずっと南雲のことを好きで、私が更生させてあげるって言い続けてるじゃないか! 南雲のどこがそんなにいいの!
 最後はさすがに愛想を尽かされたようで、昔だったら絶対ありえなかった「ざまーみろw」という気持ちが湧き起こってきました。
 
 いま憧れるのは渡辺だね。
 他人の評価も世間体も気にしない。苦悩などない。
 強がりではなく心の底から、「フィギュアだけあればいい」。
 いちばん人間離れした心の持ち主。
 オタクとして、ゆるぎなく完成されている。
 完全に袋小路である、ともいう。
 ここまでおかしくなれたらどんなに幸せだろうと、思う。
 彼の奇行は笑いと同時に涙を誘う。
 
 おれ疲れてるのかなあ。
 
 こんな時、声が聞こえてくると、いいじゃないか?
 
 王様、王様がんばれって、フィギュアたちの声が……

 アニメ「血界戦線」6話が泣ける!
 もう7話が放映されているから遅いんだけど、「血界戦線」6話が泣ける!
 主人公のレオ君と、キノコ型種族の少年ネジ君の、ハンバーガーを通じた友情。
 人間しか入れない町のハンバーガーを食べたがるネジ君、買ってきて上げるレオ君。
 だんだん二人が仲良くなっていく過程が微笑ましい。
 母親の事を語り合う二人、レオ君が繊細で思いやり深い性格だと分かる。
 ネジ君の、明るくあどけない喋り方が、逆に悲しみを引き立てる。
 ネジ君が特別な能力を持っていることが分かって悪人に拉致され、助けようとするレオ、それをまた助けようとするネジ君、二人の思いやる気持ちが、泣ける。
 ラストの、レオ君がハンバーガー食べて、わずかに残った思い出が蘇りかけて「こんなに涙がでる食べ物だったっけ?」というあたりが凄くいい!
 戦闘中心の話もいいけど、こういう異種族同士の心の交流みたいな話が特にいい! もっと見たい!

「ニンジャスレイヤー フロムアニメイション」について。
 第1話から第5話まで見ました。

 第1話を見た時の衝撃といったら。

 な、な、なんだこれ!?
 ニンジャスレイヤーってのはメガドライブのゲームなのか!?
 
 でも、つまらなくはない。
 手抜きって言ったら手抜きなんだけど……
 「キルラキル」でど根性ガエルみたいな絵柄を採用したことに意味があったように、この強烈な演出にも意味がある。
 格闘ゲームのストーリーモードみたいな、
 割り箸の先に絵をつけて動かしてるみたいな、
 横スクロールアクションゲーム(機種はメガドライブ)みたいな……
 作画崩壊を超えた「そもそもアニメじゃない」という……
 これにも、きっと、意味がある。
 1話と2話では、意味がわからなかった。
 でも3話と4話で、意味がわかった。
 まともにアニメしてない紙芝居シーンがあるからこそ、ちゃんと動いて構図もアニメっぽくなってる部分が際立って。
 男は紙芝居、女の子はアニメ。そう描き分けることで、女の子の、ヤモト=サンとアサリ=サンの可愛さがすっげー強調されている。
 よくよく見るとすごくシンプル、素朴なデザインで、絵だけを単独で見るとあんまり萌えないんですけど……
 でもめっちゃかわいい! 紙芝居パートと対比されるからだ!
 まあ単純に、私の好みもあります。
 おっさんよりも女の子の戦いが見たいよね。
 第3話の、レイプされそうな友達を救うために能力に覚醒するという流れが、私の好みにぴったりだから好き。
 金元寿子の泣き声が凄く本気っぽくてよかった! 
 ナニコレナニコレ! って、度肝を抜かれました。
 「家族を殺されたサラリーマンの復讐劇」よりも、「友達がレイプされそうになったから覚醒して超人になって戦う。だが、友達とは別れざるを得ない悲劇……」というほうが断然感情移入できる。
 
 5話まで見て、「これは作画枚数を減らす実験なのかもしれない」と思えてきた。
 5話は紙芝居というか、横スクロールアクションゲームみたいになってるシーンがなくて、普通のアニメなんですが。
 でも普通のアニメと言っても、それでもなお、「いわゆる普通のバトルアニメ」と比較すれば、色数も少ない、止め絵も多い、画面の一部しか動かない。非常に省力化されており、その省力化は「墨絵を意識した演出」として正当化されている。
 俺は素人だから作画枚数をカウントなどできないけど、主観で言うと、「血界戦線」の10分の1くらいしか労力使ってない。ように見える。
 「悪い」「手抜きだ」と怒るつもりはない。
 もしかして偉大な実験なのかもしれない。

 こないだ、ベテランアニメーターの神村幸子が
「今は作画の水準が高くなったので、新人は枚数を描けず、お金が貰えずに食べていけない」
 って書いていたじゃないですか? 自分のブログで。
 昔のアニメは絵が単純で、新人はその中でも簡単な絵を回してもらって枚数を稼いでいた。
 今はもうできない、作画の要求レベルが高くなってしまって、昔みたいにたくさん描くことはできない、と。
 
 アニメーターが貧乏な理由はたくさんありますけど、理由の一つとして「昔よりも作画が難しくなった」ことはありますよね、間違いなく。
 ロボットの形は複雑になってるし、戦闘シーンはバンクじゃなくて毎回描いてるし。
 動いてる途中、いわゆる「中抜き」でも、作画を崩すと「崩壊だ!!」ってネットで叩かれるし。
 「昔はロボットの目を光らせるのに透過光マスクというものが必要だったから、丸い目の形だけを描くカットがあったけど、いまはデジタル処理で光らせるから不要になった」とも、ネットに書いてありました。
 でも、ファンの欲求は限りがない。
 もっと動かせ、もっとアングルを劇的に変えろ、日常の小物もちゃんと描き込め、もっと表情を繊細に変化させろ。
 もっと、もっと、もっと……

 「ニンジャスレイヤー フロムアニメイション」は、その「果てしない作画高度化の流れ」に楔を打ち込もうとしている。
 作画枚数を増やさなくてもいいんだ、止め絵でも、墨絵でも、紙芝居でも、面白いアニメ、売れるアニメは作れるんだ。
 と、言おうとしているのではないでしょうか?
 私はそういうメッセージ、挑戦を感じ取った。

 シドニアの騎士・第九惑星戦役の4話を見た。
 いままでもすごかったけど、今回はとくにすごい。
 あんな美しい、迫力のある、斬新な宇宙戦闘を初めて見た。
 ニコ動で見たのだけど、後半10分くらいコメントが無くて。
 みんな息を呑んで見てるからコメントできないのだw
 あの格好良さは過去のロボットアニメの発展形じゃなくて、ゲームかもしれない。
 3Dシューティングやアクションのゲームを発展させたもの。
 ゲーム全然詳しくないから、「あれそのもの」というゲームもあるかもな。

 しかし私にとっては、「マジンガーZしか知らない人が、はじめてガンダムを見た」というくらいの「別次元の映像」だった。いやーガンダムでも足りないなあ。「マジンガーZとエヴァンゲリヲン新劇場版」くらいの違いを感じる。
 とにかく、しばらく歩けなくなるくらい頭をガツーンとやられた。
 
 しかし斬新だと思う一方で、「そうだ、これは俺の頭の中にずっと昔からあったものだ、これを見たかったのだ」という思いもある。
 まったく想像できないものではなく、想像していたけど存在しないものを、俺の心を読んで作り上げてくれた、みたいな。
 宇宙生物が少女の心を持って、巨大ロボに混じって戦ってくれるとか。
 巨大ロボは自分の身長よりも長い銃を担いで、陣形を組みながら戦うとか。
 それが科学的にリアルかどうかはしらないけど、「あったらいいなあ! 見たいなあ!」というワクワク感に溢れている。


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