ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設 ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。 こちらです https://kakuyomu.jp/users/pennamec001
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 5月の2・3・4・5・6日はずっとお仕事で、しかも普段よりも断然ハードな勤務で、ムチャクチャ疲れた。
 みんな遊んでるのにツラい……と思ったが、俺にはゴールデンウィークよりも金銭という意味でのゴールドが必要なのだ。
 まあゴールドっていうほどの給料もらってませんが。カッパーくらいか。

 やっと今日、休みが取れたのだ。
 今日一日こそが、私のゴールデンウィークだった。
 ゴールデン・デイだった。
 カレー食ってベルトとズボン吊り買って、あとは疲労回復のためにゴロゴロしていました。
 ゴールデン・デイおしまい。
こないだ、ネットでこんな記事を見かけたんですよ。

 「カラオケに誘われた時、オタクであることを隠すためには何を歌えばよいか? アニメソングはどこまでならオタクとして認定されないか?」

 いまちょうど忘年会シーズンだし、同じ事で悩んでいる人は大勢いるでしょうね。
 うーん、隠すことないのになあ、と思いました。
 っていうか、隠しきれるものではないですよ。
 私も昔、バイク便時代に集団でカラオケ誘われた時、なんとか隠して誤魔化そうとしたんですよ。オタク認定されたら面倒さくいと思っていたから。

 某「そもそもお前、アニメとか特撮以外の歌は知らないんじゃないの?」
 ますだ「そんなことないですよ。筋肉少女帯とZABADAKと徳永英明だったら歌える」
 某「何だその組み合わせ!? どういう趣味!?」
 
 ところがですよ。他のバイク便のみんながモーニング娘。とか浜田省吾とか長渕剛とか歌ってるのに、ひとりオタクのオジサンがいて

 「科学戦隊ダイナマンの歌」
 
 を歌い出したんですよ!
 なんという勇者だ、というか、空気の読めない人だと言うか。

 当然、みんなは戦隊なんか知らないからポカーンですよ。
 ポカーンとされても、その人はダイナマンを熱唱するんですよ。

 なんだか応援したくなって、血が騒いで、手拍子を入れたんですよ。入れたくなっちゃったんですよ。
 
 すると歌い終わったあと、彼は私のもとに走ってきて、私の肩をガッシを掴み、興奮の極みという声で、

「き、き、君ぃ!!! 特撮とか好きなのかい!?」
「はい、まあ多少は……」
「よし一緒に歌おう! 戦隊では何が好きなんだ?」
「メガレンジャー(即答)」
「あんな最近のチャラチャラしたのはダメだ! 男ならゴーグルファイブだ!」
「えー、ゴーグルファイブは歌詞が軍歌みたいだから趣味じゃないんですが」
「じゃあ間を取ってライブマンでどうだ!」
「ライブマン! いいですね! あれはドラマチックでいい!」

 こうして一緒に戦隊の歌を歌い、アニメの歌も歌い、すっかり私はオタクとして認知され。
 その後、バイク便の仲間と一緒にカラオケ行くと
「ますだの分、入れといてやったぞ」
 などと、「飛べ! ガンダム」とか歌わされることになりました。
 アニソンならアニソンでもいいけど、俺らが知ってるやつじゃないとダメ、盛り上がれないから、ということでガンダムなんでしょう。

 職場でオタクキャラとして認知されるのは楽なものでした。
 でも「オタクだったらこのアニメも当然知ってるよね?」という期待をかけられるので、当時は雑誌を隅から隅まで読み込んで勉強していました。ある意味、充実した毎日でしたよ。
 いまは向学心がなくなり、ほんとうに興味のあるアニメしか見なくなったなあ。
 
 「明日書く」といったのに、このままでは「明日」が終わってしまうぜ。
 
 ネット上で、プロアマ問わず多くの書き手が小松左京先生の追悼文を書いている。
 もちろん、多くの読み手も。
 みんな、自分にとっての小松作品を語り、小松先生自身の思い出を語っている。
 今日、家に帰ってきてから、ずっと読んでいた。
 「なるほど、そうだよな」というのもあった。
 「え、そういう人だったんですか」というのもあった。

 「小松左京先生は徹底的な楽天主義者」
 「これこれの根拠があって楽観というものではなく思索の原点が楽観」
 「小松左京先生は、今の日本はユートピアみたいなものと言っている」

 このへんは「えっ?」のほう。
 小松作品は、「人類」全体の潜在的な力は信じているけど、「楽観的」という印象は……むしろ絶望的じゃん……
 人間は愚かな生き物って、繰り返し書いてるし……
 もちろん、もっと悲観的な書き方をする作家は大勢いるけど……
 いや、でも、交流していた作家がいうなら、そうなのだろう。
 私は小松左京先生のことをぜんぜん知らなかったのだ。
 いま小松作品を読み返したら別のものが見えてくるかもしれない。
 そういえば「さよならジュピター」もう20年よんでない。
 太陽系脱出移民船団の連中がゼラニウムの鉢植えを気にするところは覚えているが、主人公がジュピター教団とどういう決着を付けたのか思い出せない。そもそも木星どうやって爆発させるんだっけ。ガンマ線レーザーとかだっけ? ジュピターゴーストってなんなんだっけ? 読もう。

 小松作品で、なんといっても好きなのは、いいや、私の心に突き刺さって心の形を変えてしまったのは、
 世界破滅の光景が、一生忘れないくらい胸に焼きついた「復活の日」。
 壮大な時空を超えたバトルと、一人の女の待ち続ける恋が結びついて、生きることは尊いという気持ちになれる、「果しなき流れの果に」。
 世にも奇妙な物語で見て、私の人生観がかわるレベルの衝撃をあたえてくれた「戦争はなかった」。
(もちろん、その後、原作も読みました。太平洋戦争のことを大東亜戦争と書いてることに強い違和感が)
 この三本が、とくに……
 感動した、というより、怖くて凄かった。
 そう。私にとって小松作品は「怖い」「トラウマもの」なんです。
 ホラー小説の怖さとは少し違うんですが……
 
 復活の日で、南極に残った人たちが、アマチュア無線か何かで世界中の声をきくシーンがいい。
 いちばん印象に残っている。
 すでに人類の9割9分9厘は死んで、ところどころに生き残っている人たちが、必死に電波を発している。
 アメリカだかどこだかの田舎から、少年が発してる通信。
 少年は、家族が一人一人死んでいったことを、飼っている馬も具合が悪い事を、自分ももうすぐ同じ運命をたどることを、涙をからして語る。
 南極の人々は、彼にたいして、どうすることもできない……耳を傾けることしか……
 やがて、少年の声が途絶え、ズダーン、銃声が。
 南極の人々は押し殺した声で言う。
 馬だ、馬を射殺したんだ、きっとそうにきまっている……
 違う事はわかっていたが、少年が自殺したんだとわかっていたが、そう言い聞かせないと、きっと南極の人たち自身もおかしくなってしまう……
 この絶望感!
 でも、1960年代に、先行作品もなく、人類絶滅を、迫真の……
 だめだ言葉が足りねえ! このシーンの迫力を、どう形容すればいいんだ!
 
 そうだな、この絶望の中でも、わずかにでも人類が生き残れば復興する、人類ならできる、という事は書いてあった。そういう意味ではものすごい楽観的かも。
 復活の日のあと、人類が文明を復興させるのはきっと大変だったろうけど。
 だって、南極には1万人のこったけど、その99パーセントは男性なんだよ。女性は数十人。
 必然的に、次の世代は、1万人よりも遥かに少数になるわけで……
 人類は100人程度の子供(若者)たちと、1万人の老人……そこから再スタートする。
 きっと子供たちは老人を養いきれない。
 殺して食うんだろうな。
 人類の新たな原罪だ。
 でも、乗り越えられるはずだ、できるはずだと、小松先生は信じて、いや確信して、その状態から這い上がる人類の姿を具体的に構想していたのかも。
 だったら「今の日本はユートピア」発言もうなずける。

 そんなわけで、「小松作品は絶望的な描写が凄まじい」「でも作者は超楽観主義者」って、別に矛盾しないな。

 復活の日だけで終わってしまった。
 明日は「果しなき流れの果に」の話をするぞ。
 「ソラノヲト」は相変わらず、なかなか面白いです。
 もしかして、リオ先輩は裕福な家の箱入り娘で、ものすごいお嬢様として育てられたんじゃないかな。
 で、親が決めた「お人形さんの人生」に反発して、軍隊に入ったと。
 男言葉を喋っているのも、軍服をだらしなく着ているのも、お嬢様として扱われることへの反発だとか。
 そう考えると、「ベテラン下士官を気取っているが、実はかなり怖がりで、テンパりやすい性格」の説明が付きそうな気がする。野生的な人間に憧れて、演じているだけだとすれば。
 第1話でカナタがリオのことを人形と間違えて「なんて綺麗なお人形……」とか言ったとき、リオがえらく不機嫌そうな顔をしたけど、あれも「お人形」という言葉が心の地雷を直撃したからとか。

 で、今回ますます文化のゴチャマゼ度が増した……
 教会のシスターが拍手うっちゃうし……
 石の床の上に布団しいて寝ちゃうし……
 なんでこんな世界に、と思った。

 でも、ネットにこんな書き込みがあった。

 「現代の日本も文化ゴチャマゼじゃないか?
 ヨーロッパや中国などの生活習慣を節操なく取り入れて、
 でも会社の書類はサインじゃダメで判子を押さないと通用しない。
 流行歌は英語と日本語を混ぜて歌うのが当たり前だし、
 なにより同じ人間がクリスマスを祝ったかと思えばお寺でお葬式して、神社にも行くし……この無節操さと比較すればソラヲト世界なんて大したことない

 そ、そうかなあ(汗)
 今日はすごい強風。
 自転車なんてみんな将棋倒しになってました。
 自転車はまだいいのです。私のような、鉄道工事現場の人間にとって一番恐ろしいのは、物が飛んで列車の運行を妨害することです。バケツが転がって飛んで電車にぶつかったり、ビニール袋が飛んで電線(架線)にひっかかったり。万が一にも電車にぶつからないように注意をしながらのお仕事になりました。
 でも、やっぱりトラブルは起こりました。
 作業中、遠くから、なにかが飛んできて……
 私が作業している上をビューンと通過して、別の線路の上を走る架線に、からまりました。
 うお、電車が止まった。
 何か大きくて薄い、白いものでした。シーツか何かでしょうか?
 架線トラブルの瞬間をはじめて目撃しました。
 うーん。
 そういえば、いぜん京王線が「布団が飛んできて架線にからまった」という理由で止まったことがありました。シーツや毛布じゃなくて布団が飛ぶって、どんな暴風だよ。
 鉄道関係者の間で「布団がふっとんだ事件」として語り継がれている事件です。
 でも、こういうの、恐ろしいけど、防ぎきれないトラブルなんですよね。
 丸裸の、空中の電線を使っている以上は。
 21世紀なのにねー。


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