ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設
ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。
こちらです
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本の感想。
川原礫「アクセルワールド1 黒雪姫の帰還」電撃文庫 もうすぐ2巻が出てしまう。 その前に感想をぜひ書いておきたい。 こういう話。 コンピュータと脳を接続し、誰もがネット上の仮想世界に入れるようになった世界。 主人公はデブのイジメられっ子の少年。 ゲーム以外何のとりえもなく、自分の人生に絶望しきっている。 ところが、ある日、学校のアイドルである美少女「黒雪姫」から誘われ、あるゲームソフトを渡される。主人公の高いゲーム能力を見込んで、この特別なゲームをやらないかと。 思考速度を1000倍に加速させて、自分の分身同士を戦わせるゲーム。ゲームの範疇を超えた超人的な力を約束してくれるゲーム。ごく一部の適格者にしかプレイできないゲーム。 主人公はその誘いに乗った。自分の能力が認められたことが嬉しかった。ゲームの「加速」能力を使って、イジメから脱出することもできた。 救ってくれた恩を返すために、ゲーム内で「姫」の手助けを始める主人公。 なぜか姫に好意を寄せられていることに戸惑いながら、姫を狙う謎の襲撃者シアンパイルを探す。 ところがシアンパイルの正体は驚くべき人物だった…… 設定も面白かったけど、なんといってもヒロインの姫がいい。 すげえかわいい。 気位が高くて、貧乳で、「だ・ある」口調で偉そうにしゃべって、 でも本当は優しくて……みたいな美少女キャラ、大好き。 イラストが素晴らしいせいもあって、なんど萌え死にそうになったかわからない。 私の理想の萌えキャラに98パーセントくらいまで合致する! 某「残りの2パーセントはなんですか。眼鏡ですか」 ますだ「姫が眼鏡をかけてくれれば99.5パーセントまではいく! 最後の0.5パーセントは科学では解明できない未知の成分だ!」 某「きめえ」 ますだ「あとラストのイラストの三つ編みがすごくよかった。あの瞬間、99.1までいった!」 某「まじきめえ」 まあ、それより。 当然、考えたんですよ、私。 同じイジメられっ子の小説を書いてきて、なんで私のはダメなのかなーと。 具体的にはベルタと比較して。 いろいろ違いはあると思うんだけど…… たとえばイジメの描き方がぜんぜん違う。 アクセルワールドでは、具体的なイジメのシーンが少ない。 私は最初、それが不満でした。 なんで詳細に真実を書いてくれないんだよ! 我々はこんなに苦しんでるんだって書いてくれないんだよ! 世界に叫びを轟かせてくれよ! 私ならよってたかってイジメられるシーンを原稿用紙50枚書くね! そして、加速能力を手に入れた主人公がイジメっ子を一人一人追い詰めて血祭りにあげていく! これが100枚! 死ねえ!! うひゃひゃ! このへんで脳内ツッコミが入りました。 「いや、それじゃダメだろう。主題から外れている」 そういやあそうだな…… アクセルワールドでは、具体的なイジメの描写がほとんどない代わりに、「イジメられ続けてきた主人公が、どんな性格や自意識を持つか」ということが詳細に、執拗に描かれています。 三人称だけど視点は主人公にぴったりくっついて、一人称に近い書きかたです。 「ボクは何の価値もない人間なんだ」 「誰かがボクを好きになってくれるなんて有り得ない」 「誰かが好意をしめしてくれても、それはきっと、からかってるんだ」 「どうせ何かの冗談に決まってるから、好意なんて信じないでいよう」 こういう類のモノローグが、ずうっと…… こういう「自己評価の低さ」によってがんじがらめになっていた主人公が、自分を信じてくれた少女のために頑張って自縄自縛を断ち切り、飛翔する……のがアクセルワールドの一番の本筋です。 本人が変わることができればそれでいい。 それどころか、イジメというのは話の中心ですらなくて、主人公の性格をこんなふうにしてしまった「背景」でしかない。 背景の排除に重点を置くのは、ちがう。 だから、ブチのめさないと爽快感が得られないからどうしても納得できない、悔しくて怒りがこみ上げてくる、主人公がやらないなら俺がこの手で、というのは私個人のワガママで、作品の主題を阻害しているんだと思います。 ベルタも建前の上では「イジメられっ子が、はじめて自分の価値をみとめてくれた人のために頑張って、変わる話」でした。そういうつもりで私は書いていた。 だから、「成長とは何か」「どういう行動をとれば成長したように見えるか」を突き詰めて書くべきだった。 祐樹くんがイジメっ子の指を噛み千切ったのが成長に見えない、という意見を聞き入れるべきだった。 あと、主人公の自意識も、なんだか私の記憶にあるのと違う。 わたし学校でイジメられているとき、「自分は価値のない人間」とか思いませんでしたよ。 まったく逆に、自分はクラスメートの誰よりも価値のある人間だ、神に選ばれた優良種だ、このクソ虫どもが、と思っていた。 もうすぐ世界が崩壊し、「覚醒のとき」が来て、私は「真の姿」である「超存在」になれるのだと。 今は一時的に覚醒の時を待っているだけだと。 そんなことを日常的に演説するから、ますますイジメられたんですが…… そういう妄想で自分の現実を糊塗しないと耐えられないんじゃないかなあ。 主人公は「ゲームなら負けない」というプライドがあったから大丈夫なのかなあ。 私みたいな邪気眼妄想タイプのイジメられっ子が異常なのかなあ。 PR
無題
>>神に選ばれた優良種だ、このクソ虫どもが、と思っていた。
単純に「自己肯定、他者否定の構え」というやつで。そういう人は多いはず。表に出さないだけ(笑)。 つまり、自分を否定してくる周囲の環境に対して、自分の価値を実際より高く見積もることで、対抗していたわけで。処世術としては間違ってると思うけど、処世術を使って器用に生きられるんなら小説なんか書いてないよなーと(自己弁護も込みで)思う。 今ならわかってもらえると思うから言うけど。 私は「根性のあるなしは、同じ立場に置かれたときに、どれだけがんばれるかを言うんだ」(By 麻宮サキ)という言葉に共感しているので、唐司郎さんと同じ立場だったら小説書いてないなーとか、増田さんと同じ立場だったら、誰か殺してるなーとか想像しちゃう。 んで、小説書いてる唐司郎さんや、思いやりを手に入れた増田さんを、尊敬してる。 「自己肯定、他者否定の構え」の説明↓ 参考リンク http://ww9.tiki.ne.jp/~s-nakamura/nakamurayan/sinrigaku/kouryubunseki.htm
無題
>ぼこしゅうさん
コメントありがとうございます。 そうですね、「俺は本当は凄いんだ」で自我を保っている人は多いと思います。程度がまったく違うだけで。 (常に現実を直視できる人は、むしろ超人で、少数派ではないか) 裏づけのない自信は、借金をしているようなものであとでたいへん辛くなる(自分の評価をいまさら下げることができないので、謙虚になれない)と思います。 でも一次的な防御としては仕方なかった。 私が実際にイジメッ子を殺しにいかなかったのは、「不殺の信念」とか「思いやり」とかじゃなくて、たんに意気地がなかったからです。詳しく書くといろいろあるんですが…… もちろん殺しに行ってたら、刑罰のいかんに関わらず後悔していたでしょうから、結果的にはよかったんですが。
無題
アクセルワールドですかー。
この作品は元々、書き手さんきネット小説で有名な人で、そちらとも違う名前で大手投稿サイトさんに投下していたものをさらに改訂して投稿したんですな。受賞するべくして受賞したという感じでした。 それでいじめですが、まあ以前にも書きましたけど、いじめられっ子にも百人百様ありますからな。 ただ、基本的に自己否定の言動をとっているのは、プライドを保持するための行為だと思います。そう言っていると自分に対してそれ以上傷つけようとしないという打算が背景にあるんですよね。謙遜とかは多かれ少なかれ、礼儀であると同時に自己保身の側面があると思います。 それで知り合いでやっぱりいじめられっ子がいましたが、彼は自己否定の言動を繰り返しながらも自分の思索とか信念?とか妄想についてはなかなか譲りませんでした。というかむしろ頑迷に自分の考えを変えようとはしませんでした。 自己を卑下した言動というのは、そういう感じで自分を保ちたいがためにする亀の甲羅のようなものだと思います。 とりあえずいじめっ子を殺さなくてよかったですよねえ。本当に。 ああ、そういえばずっと以前のますださんの日記で中学生の妄想風に書いた作品の批評をされたとかの会話で「いつかイヤボーンして」とか言われてましたが、なんかそのあたりの会話が面白かったので自作にとりこんで反映したいと思ってます。 例「若さというのはな、自分がいつかイヤボーンして超能力に目覚める…そう信じていられることをいうのだ」 みたいな。 それではー。
無題
>通行人Sさん
>自己卑下 そうですね。最初から「ボクなんて」と思っていれば「やっぱりダメだった」ときのダメージを減らせますからね。 中学時代の私の「ボクは本当は凄いんだ! いつかイヤボーンするんだ!」と根っこは同じかもしれません。 たとえると、小説が新人賞に落選したとき、 「ほらやっぱりダメだった。こんなの通るわけないと思っていたんだ、試しに送っただけだよ」というのが自己卑下タイプの自我防御で、 「下読みの目が節穴なんだ!」というのが中学時代の私で、……。 冗談なのに自分の精神にダメージがきた! ふしぎ!
無題
>通行人Sさん
>自己卑下 そうですね。最初から「ボクなんて」と思っていれば「やっぱりダメだった」ときのダメージを減らせますからね。 中学時代の私の「ボクは本当は凄いんだ! いつかイヤボーンするんだ!」と根っこは同じかもしれません。 たとえると、小説が新人賞に落選したとき、 「ほらやっぱりダメだった。こんなの通るわけないと思っていたんだ、試しに送っただけだよ」というのが自己卑下タイプの自我防御で、 「下読みの目が節穴なんだ!」というのが中学時代の私で、……。 冗談なのに自分の精神にダメージがきた! ふしぎ! |
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