ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設 ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。 こちらです https://kakuyomu.jp/users/pennamec001
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コメント
無題
これは面白いですね。ちょっと感想を。

なにかにたいして「可愛い/醜い」と反応する能力は、人間が進化の過程で身につけたもので、自分にとって利益になる存在と害になる存在を直観的に弁別するためにあると思うのですな。

「MOECHAN」は、その能力の欠陥、つまり、見た目だけで判断してしまう、という点に付けこむシステムで、ゴーグルはその欠陥を補完して、利害の弁別をより適切に行うことを可能にする道具ということになる。

そこからすると、最後の四級軍士長の恐怖はどこかポイントが外れているように私には感じられる。「もしゴーグルを外して、見える空が、俺の知っている色でなかったら」、「となりに立つ者が、人の顔をしていなかったら」とあるけれども、もしもゴーグルがちゃんと機能しているのであれば、すべては見た目が悪いだけの問題になるはずなので、怖がるべきことはないはず。

どんなに酷い色をしていても、これまでの青空と同じように(あるいはより青く)見えているのであれば、その空は人間の生存にとって問題ない空のはずなので、見えの不快感に悩まされずに済むぶんゴーグルをかけているほうがよい。

人の顔についても、たとえば、障害や怪我で一般的に醜いと言われるような顔をもつ人が現実にもいるわけだが、ゴーグルはそういう人にたいして人間が生理的にもってしまう恐怖感を消してくれているはず。

設定上、ゴーグル越しに可愛く見えて、ゴーグルを外すと醜く見える存在は、素の見た目が悪いだけの善良あるいは有益な存在のはずなんですよ。怖がるのおかしくないですか?

私の考えでは、四級軍士長は、ゴーグルがちゃんと利害の弁別をしていなかったらどうしよう、と怖がるべきです。政府や権力者の都合などで、本当は害のあるものを可愛く見せられたり、本当は善いものを醜く見せられたりしていたらどうしよう、と怖がるならわかる。でも、美醜のズレを怖がっているように思えるから、ポイントが外れているように思える。ただ、私の線でオチをつくるとありきたりな感じになってしまうかもしれません。
【2020/02/20 19:37】 NAME[エフヤマダ] WEBLINK[URL] EDIT[]
無題
 >エフヤマダさん
 返信遅くなりました。コメントありがとうございます。

 私は、「自分にとって価値のある存在なのか有害な存在なのか、それを自分で判断できず、すべてコンピュータ任せになってしまった恐怖」を描いたつもりでした。「機械による弁別が正しいかどうか」ではなくて、「自分で弁別できない」のが怖い、と。たとえ実際には正しかったとしても、その弁別が正しいのかどうか、もうわからない。
 でも、私の意図は伝わってないっぽいですね。ヤマダさん以外の方からも、あの終盤は意味が繋がってないという趣旨の指摘を受けました。
 自分が判断力を失っているという怖さを描く場合、「判断力を失っている自覚がある場合」「自覚がない場合」があって、この二つの書き方は違うのに、ごっちゃになっているのが良くないのかも……

 たとえば、「仲の良い友人がC国共産党に批判的なことを言い始めた。そのとたん、醜いバケモノに見えるようになった。敵だ。殺さなければいけない。ゴーグルの判断は常に正しいのだから……」で終わったら、「判断力を失っていることを自覚してない」という書き方になります。「国家権力の都合で、良いものを醜いと見せられている」というパターンでもある。
【2020/02/23 12:01】 NAME[ますだじゅん] WEBLINK[] EDIT[]
無題
なるほど、ゴーグルは目と対象のあいだの媒介項つまりメディアであって、「信頼性を検証することが不可能なメディア」こそが恐れるべきものである、というわけですね。

そうだとすると、問題はやはり、ますださんの言う「自覚がある/ない」のところにあると私も思います。さらに言えば、「快楽」の問題と「情報」の問題も区別が要るかな、と。

この物語、普通に読んでいくと、自覚がある系&「快楽」に耽溺する系の話で、ゴーグルの魅力に溺れて、それなしでは暮らせない、というかたちで問題状況をつくっている。これは、害悪をわかっちゃいるけどやめられない、というやつで、麻薬とか万引きとかいった依存症の問題に近い。

ところが、意図したところのメディアリテラシーの典型的な問題は、自分の好む情報ソースを信じて疑わない、という態度にある。つまり、自覚がない系の話に相性がよい。たとえば、ネトウヨYoutubeを信じてしまう人の状態は、わかっちゃいるけどやめられない、ではなく、そもそもわかっていない、だと思います。

この二つはネタとして別のもので、それがちょっと整理されずに混じってしまっているような印象です。現行の版だと、たんに四級軍士長が本当のことを知りたいけど知るのも怖いなあ、と、たんに決断力なくモジモジしているだけに読めてしまう。

ただ、この二要素、上手く組みあわせれば、「わかっちゃいるけどやめられない、で情報の問題を描く」ことができるはずで、そうするとかなりSF的に面白いものになりそうです。

たとえば、ゴーグルには情報媒介システムとして多大な問題があることがわかっていながら、物理的に外して検証することは容易なはずなのに、依存症的な快楽を与えてくれるためにどうしても外せない、みたいな感じでもっとはっきりコントラストを利かせて組むなんていうのはどうでしょう。

ゴーグルを外してしまうとあまりにも世界が魅力を欠いたものに見えてしまって、なにかを知ろうという気力を失っちゃってどうしても検証作業が進まない、みたいな。
【2020/02/25 16:20】 NAME[エフヤマダ] WEBLINK[URL] EDIT[]
無題
>エフヤマダさん
 いろいろありがとうございます。
 興味ぶかい意見だと思ったので、その意見を取り入れて、結末部分を書き直してみました。
【2020/03/15 16:24】 NAME[ますだじゅん] WEBLINK[URL] EDIT[]


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