ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設
ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。
こちらです
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頭痛と悪寒と嘔吐はもう治った。
しかしお腹が猛烈にゆるい。 工事現場で働いている人間にとってこの緩さはヤバス。 爆弾抱えてる。いつなんの衝撃で信管が作動するかわからん。 腹の中でゴリュッゴリュッという音がした瞬間、私は青ざめる。 この音がしてから180秒以内(誇張じゃなくて)にトイレに到達しないと社会的に死亡してしまうのだ! エマージェンシー、エマージェンシー! 「政治的な話をするのは趣味なんですよね」って言われて、なんで反発がわいてくるのか考えてみた。実質的には趣味以外の何物でもないのだが。 たぶん、「趣味に優劣はない」からだろう。 優劣があって欲しいのだ。 趣味だと認めてしまったら、バイクに乗ったり、旅行に行ったり、ネトゲやったり、アニメみたり、女の子をナンパしたり、「他の娯楽行動」と「全く同格」のことだと認めなければいけない。 政治や宗教の活動をしている人間にとってそれは辛い。 そういう活動をするものは、とくに徒党を組む者は、自分のことを「目覚めていない」他の人間より「高み」にいるのだと考えている。お前達は私達が救ってやるのだと。そう考えないと自我が維持できない。 (左翼に限った話ではなく、くだんのリンク先で嫌韓活動をしている名無しも、おそらく同様である。会話したのでわかる) さらに……趣味は同格なんだから他の趣味を否定してはいけないし、押し付けるのもいけない。しかし、「押し付けるな」を厳密に守ったら議論にならない。 どうすればいいんだ。 妥協点として、場所をわきまえるべきだ、とは言えるだろう。 他人の個人ブログやミクシィ日記など、プライベートな場所に議論を持ち込んだことがあるが、「趣味」の範囲を逸脱していた。間違っていた。反省する。 PR
体調はだいぶ良くなりました。
久々にネットでムキーッってなったから脳味噌に負荷がかかったかなw こないだ友人に会った時、こういうやりとりになりました。 ますだ「またネットで激論しました。太平洋戦争はアジア解放の聖戦、という妄言が垂れ流されていたので全力で戦闘モードに入りました」 某「ネットバトルが趣味なんですね(^-^)」 ますだ「趣味じゃないですよ! 私は歴史の歪曲が許せなくて正義の怒りが……」 某「政治的な話なんて、いくら議論しても相手の意見は変わらないんだから意味無いですよ、罵られれば罵られるほど頑なになる。とくに他人の掲示板に乱入して反論する場合、たいがいのROMは『外から攻めてきたヤツのほうが悪い』と考えるから逆効果です。 単に楽しいから、趣味としてバトルしてると考えるのが自然ですよ、合理的な行動ではないから」 ますだ「趣味と言われると大変惨めですね……」 某「惨めって言っちゃうのも違うんじゃないですかね。別に違法なことではなし、本人が楽しいならそれでいいじゃないですか。それを正義と言ってしまうから胡散臭くなる」 ますだ「そ、そうなのかなあ……『私が戦わないと日本が軍国主義になってしまう』とかなんとか、激論の途中では思ってるんですよ。途中だけですが。趣味って言われると辛いんですが……」 某「それは趣味の延長線上のロールプレイということで」 そうかな…… なんの利益(金銭に限らず)もないのに政治的な争いに首を突っ込みたがるのは「趣味」なのか…… まあ、そうなのかもしれないな…… 大上段に正義を掲げないほうがスマートかもな。 「趣味」と言われて屈辱を感じるのは、「趣味」という概念を蔑んでいる、差別している証拠かもしれない。 まあ、それはともかく。 秋山完という作家がいます。 ソノラマ文庫を中心にスペースオペラ書いていた人なんですが、この人の書くものは斬新なんです。 ご本人は「真新しくない」って言ってますけど、それは謙遜です。 普通なら主人公にしない「葬儀屋」「羊飼い」「遊園地の従業員」とかを主人公にする。 戦争そのものではなく、戦争の回避、戦争で生じる被害、その被害の回復、などを描く。 「宇宙の侵略者に、遊園地のマスコットロボットたちが立ち向かう! 武器は綿アメ、ゼリー、チューインガム!」(リバティ・ランドの鐘) 「不老不死を手に入れようとする悪の製薬会社に、葬祭社団が立ち向かう! 人が死ななくなったら葬儀屋は困るじゃないか!」(ペリペティアの福音) なんか面白そうだと思いません? SF的なホラ話としても素晴らしい。 政治パロディなどの時事ネタも豊富に盛り込んで飽きさせません。 (時事ネタのない作品もあります) 短編もいいですよ。「天象儀の星」は壮大でありながら詩情にあふれた傑作。 しかし……面白いのに、しばらく本を出しておらず、ネットのサイトも更新停止していたんですよ。 もう読めないのかなあ…… ところが! あっ! 7月に復活してた! サイト移転して更新再開してた! いまやっと気づいたぞ! 秋山完ホームページ さっそくエッセイを読んでみると…… ううむ。失業や体調不良で苦しんでいたのか…… 再起を期待しています。次の小説をぜひ読みたいです。 エッセイも快調に飛ばしています。 いま、「民主党を叩かざる者は人にあらず」という逆風の吹く中で「菅直人は英雄」って公言できる人は、めったにいないでしょう。 しかし秋山完の語り口を聞いていると、なんだかほんとに英雄っぽく聞こえてくるのです。 これなら次の本もきっと面白い。
昨日の夕方あたりから、とても体調が悪い。
激しい頭痛と悪寒と、胃のムカムカで、なんとラーメンを半分しか食べられなかった。私が食欲を失うなんて尋常じゃない。 20時ごろに帰宅して、ひたすら寝た。 6時まで寝たので10時間。 だいぶマシになったが、まだ辛い…… でも仕事いかなきゃ……
こないだ友人と久々にあって、小説の話、フジデモの話、軍事の話など、いろいろな話題に興じました。とても楽しい。
友人が 「横一列で戦っていた時代に、塹壕を掘るドクトリンを持った者がタイムスリップすれば、それだけで戦争に勝てる。科学技術ではなく軍事ドクトリンを持ち込むタイムスリップものは新しいのではないか(大意)」 という趣旨のことを言っていて、「ん?」と思った。 言っていることはわかる。面白いと思う。 過去の戦争を見ると、「なんでその程度の戦術の間違いも気づかないんだ、俺が行って指揮を執れば」などと思うこともある。 だが、「塹壕」が「昔はなかった画期的なドクトリン」みたいに言ってしまうのはどうだろう? 普及しなかっただけで、塹壕というのは遥か昔からあったはず…… 家に帰って調べてみた。 「歴史群像」には、その名もズバリ「塹壕入門」という記事があった。 それによれば、 「塹壕、すなわち大きな溝状の防御施設は、19世紀以前から有った。だが当時の塹壕は、いわゆる『空堀』で、敵の部隊の接近や移動を食い止めるための障害物という側面が大きかった。弾丸を防ぐために使われたのは塹壕ではなく土手や壁だった。 塹壕に味方の部隊を入れて弾除けにするという発想の転換が行われたのは、南北戦争など19世紀後半の戦争である(大意)」。 なるほど…… ウィキペディアで「塹壕」を調べると、また別のことが書いてある。 「塹壕、すなわち溝に部隊を入れて弾除けにするという行為は19世紀以前から行われてきた。だがそれは『長期間にわたって敵の銃撃砲撃を受け続ける場合』だけしか作られなかった。つまり城塞などを攻める闘いのみである。野戦では短時間で銃撃戦が終わってしまうため塹壕は作られず、兵士たちは立って戦った。南北戦争で塹壕が大々的に使用されたが、これも拠点を攻撃する軍・防衛する軍が塹壕を作ったのみで、野戦では作られなかった。 野戦にもおいても塹壕を作るのが一般的になったのは日露戦争である(大意)」 う、うーん…… どっちなんだ…… 「塹壕は昔は空堀だった」のか。 それとも「塹壕は昔から塹壕だったが、野戦では用いられなかった」のか。 塹壕を掘り始めてから一般化するまで何世紀もかかっている。 ということは、塹壕戦術は単体では役に立たず、銃の性能とか、いろいろなものと組み合わせて初めて意味のあるものではないか…… 塹壕戦術を知る人間が単体でタイムスリップしても戦争には勝てないのではないか…… ということを私は言いたいのだが、どうも、資料によって言ってることが違うので、この考えが正しいかはわからない。
起動不能だったパソコン、ソフマップ店員のアドバイスに従い、バッテリーを外し、外部電源のみで動かしてみると、ちゃんと動いた。
なんだコレ。 動いたからいいけど…… こうして私のノートパソコンはモバイル機能を完全に失ったのでした。 もう一台欲しいところである、予備として。 無理っぽいけど、カネがないから。 |
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