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ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設 ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。 こちらです https://kakuyomu.jp/users/pennamec001
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 昨日は仕事が無茶苦茶忙しくて、今日もたぶんそうなるでしょう。
 下手すると年が変わるまでに帰宅できない。
 仕事中に年を越す。

 まあ今年は悲しいことが色々ありましたが。

 来年はいい年だと良いなあ。

 では行ってきます。
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 しばらく前、「のうりん」のポスターが「セクハラだ」とか言って批判されたじゃないですか。
 私としては、
「あのポスターは私もエッチだと思うが、性的なものを公共の場所に置いてよいかどうかは、程度によるし、場合による。一概に良いとも悪いとも言えない。今回は枚数も少ないし、特別に大きなポスターでもないし、部外者による批判だから、別に良いと思う。」
 という考えで、批判派擁護派の両方に違和感がある。

 それより気になるのは……

 ネットの風聞だと、今回のポスターを批判しているのは「フェミニスト」だそうだけど。
 フェミニスト(女性解放運動)の視点だと、糾弾すべき点は他にあるでしょ。
 巨乳ポスターなんぞ比較にならない重大な問題が。

 本編内での、ベッキー先生の描写ですよ!

 「結婚できない女性は、醜い化け物になってしまう」。

 このギャグを何度も何度も何度も繰り返してきた。

 私がもし女性解放運動の人だったら「女性の多様な生き方を否定する、偏見に満ちた描写だ!!!!」って言いますよ。
 
 これを女性差別と言わずしてなんと言えばよいのか……
 ベッキーの描写が政治的社会的に正しくないことは明らかで、だからこそファンは笑ってる。
 「キレイ事じゃないから面白いんだ。」って。
 私の中にも「女性差別だから面白い」という受け止め方があったことは確かだ。
 まあ、ベッキーだけじゃなくて、モテナイ男のほうも戯画化して描いてきた。
「モテナイ男が30歳で魔法使いになるんだから、モテナイ女が40歳で妖怪になってもいいだろう?」みたいな感じで。
 しかし、男連中の非モテぶりよりもベッキーのほうが過剰に描かれてきたことは確かで、男女平等だとはいえないなあ……

 もし本当に、のうりんを糾弾しているのがフェミニストならば、「ここからがほんとうの地獄だ……」

 一ヶ月くらい更新が止まってましたね。

 ここんとこ、ロクなことがなかったのです。
 バイクで通勤中、あと少しというところでバイク動かなくなるし。
 幸いにもタクシー会社が近くにあったのでタクシーに乗り換えて、遅刻は免れました。
 しかしカネが飛ぶ。
 なんとか仕事を終わらせて帰宅したら、とつぜん体調不良。激しい頭痛と目眩と下痢に苦しみ、高熱を出してぶっ倒れました。布団からトイレまで3メートル歩くのがツライくらいで、とても仕事どころではなく……
 一日休んで20時間くらい眠ったけど回復せず。
 まずいなコレ、もしかしてインフルエンザ? 
 頑張って医者まで行って検査を受けたら、インフルエンザは陰性でした。
 でもカネが飛ぶ。一日休んだだけで大打撃だ。
 なんとか風邪を治した、と思ったらバイク屋から連絡が来て。
「レギュレーターの故障でした、2万円です」。
 痛い! 2万円は大金! カネが飛ぶゥゥゥゥ!
 で、挙句の果てに、交通違反で捕まってしまった。
 これで免停だ!
 まあ講習を受けて短縮するけど。
 免停は5年ぶりだ。
 「バイクに乗り始めて20年、交通違反でどのくらいのカネを警察に貢いできただろう?」
 計算してみたら「約40万円」という数字が出てきて、ショック……

 バイク故障と風邪と免停のトリプルパンチですよ、トリプルパンチ。

 泣けてくるわ。
 免停以外は俺のせいじゃないけどな。
 つうか意外とモロいバイクだな、SYMのJETPOWERは。
 まだ2万キロしか走ってないのにレギュレーター壊れちゃうのか。

 台湾車は安いけど、やっぱり、あんまりオススメできるものでもないかな。

 この10日間、アニメを見ようとも試みたのだが、オルフェンズみても、おそ松さんをみても、なんだか気が乗らない。
 意外にも、小説なら読める。
 仕事で疲れ果てていた時は、小説はハードル高かった。活字を追って、頭の中で再生するのが疲れる。頭使う。だから口をポカンと開けて、アニメ見た。
 でも、いまは逆に、アニメより小説だ。

 山本弘の「アイの物語」「去年はいい年になるだろう」「僕の光輝く世界」「翼を持つ少女」あたりを、何度も読み返していた。どれもいい話だ。
 なにより、作者の思想が進化する過程を味わえる。
 山本弘は「アイの物語」でいちどは結論を出した。
「人類は真の知性体ではない。人工知能こそ地球の支配者にふさわしい。人類はさっさと引退しろ。人類のやりたかった宇宙進出は人工知能が引き継いでくれる。だからもういいだろ」。
 絶望的だけど、すごく美しくて、頭をガツーンとやられてしびれちゃうような、感動と快感を与えてくれる結論なんだよ。「敗北を受け入れる」のも気持ちいいものだ。

 ところが山本弘はその結論を超克する。

 「去年~」では、「人工知能も神様じゃない、人類を救うつもりで逆に苦しめて、世界をメチャクチャにしちゃうことだってある」と限界を描く。だから愚かな人類は、愚かなりに奮闘して、血と涙を流しながら世界を変えていくべきと謳う。
 「僕の光輝く世界」の主人公は特殊な能力を持ってはいるが人間だ。その人間が不完全なりに奮闘して幸せを作ろうとする姿を暖かく描いている。
 「翼を持つ少女」に至っては、ただSFが好きなだけで特別な力など何もない少女が、周りの人間とコミュニケーションしながら恐る恐る、自分と周囲を救っていく姿を描いている。世界は悲しみと挫折に満ちているが、げんに希望もあるじゃないか、と、繰り返し繰り返しメッセージが放たれる。
 「人間バカ! 人工知能偉い!」とズバッと断言することに比べて、これらの作品のメッセージ性は、泥臭くて歯切れが悪い。
「人類は素晴らしい」とは言ってないのだ。
 人間はダメだけど頑張ろう、という矛盾に満ちた、「そんなの、口で言うのは簡単だけどさあ」という思想。
 ある意味、何千年も前から、当たり前に言われ続けてきた説教への回帰。
 でもそれは、単にヤケクソになっての思考停止ではない。読めば分かる。

 というわけで、私はこれらの小説群が大好きです。
 
 小川一水の「イカロスの誕生日」が再刊されていたので、買って読んだ。
 あ、これ昔も読んだ。
 リメイク版ではなく、15年前に出たやつと同じ小説みたいだな。

 山本弘といい、小川一水といい、人も死ぬし、苦悩もあるんだけどな。
 なんで抵抗なく読めるんだろう。

 10日ほど前に大変悲しい出来事があった。
 仕事を休んで対応した。
 具体的にはお葬式だ。
 空いた時間も、パソコンに向かう気にもなれず、家でゴロゴロ、ボーッとして過ごした。
 仕事がまた始まったが、やはり日記を書く気になれない。
 仕事が終わった後はゴロゴロ、ボーッ。
 昔だったら酒浸りになっていたかもしれない。今は酒を飲まないけど。
 ネットの日記? そんなもん書いて何になる……もう遅い。もう遅い。
 そう思って布団にくるまった。
 
 要するに悲しんでいた。
 そして恐怖にも襲われていた。
 人間はこんな簡単に死んでしまうのか、という。
 じゃあ俺も。あの人も。明日会える保証はない。
 ああすればよかった、ああ言えばよかった、という後悔も強い。

 でも、悲しむことはきっと必要だったと思う。
 「まどか☆マギカ」でさやかが壊れちゃった理由(の一つ)は、マミさんが死んだ時に泣かなかったから……と言う意見をネットで見ました。
 まどかはさんざん泣いたけど、さやかは泣かなくて、「私がマミさんの遺志をついで正義の魔法少女になるんだ!」って発奮して、頑張り続けて……だからだと。
 そうかもしれない。

 だから「今は悲しんでいい」「頑張らなくていい」と思って、薄ぼんやりと10日間を過ごした。

 もうそろそろ立ち直れそうだ。
 立ち直るも何も…… 
 俺は最初から、人間的に自立していなかった、ということを思い知らされているのだが。


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