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ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設 ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。 こちらです https://kakuyomu.jp/users/pennamec001
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 最近、面白いアニメは?
 ルパン三世、ゲゲゲの鬼太郎……フルメタル・パニック!
 西暦何年だ?

 でも、ルパン三世PART5は、やっぱり面白いのだ。
 6話は私の趣味に合わなかったけど、7話、8話、9話、10話のエピソード、「黒い手帖篇」「アルベール篇」とでも言うべき話はいい。超渋くて、俺が観たかったルパンだ!!!
 1話~5話の「ルパンゲーム篇」「アミ篇」と同じくらい好きだ!

 最初、BLかと思ったんですよ!!
 みんなも思ったでしょ?
 ライバルキャラのアルベールという男は、明らかにゲイ。ルパンはそいつと因縁があるらしい。敵だけど、単純に憎んでいるわけではないらしい。ルパンはアルベールについて、「男の趣味は変わってねえようだな」といい、「ルパンを捨てた男」という……
 も、も、元カレ!?
 公式の作品でBL!?

 違いました。
 ルパンを捨てた、というのは、ルパン三世個人を捨てたのではなくて、ルパン一族であることを捨てたということ。
 アルベールとルパンはルパン一族に所属する泥棒で、「ルパン三世」の名を賭けて争うライバルだったのだ!
 肩を並べて闘い、あるいは獲物を盗りあっていた。
 実力ではアルベールが上回っていた。
 だが、アルベールはその魂が、泥棒になりきっていなかった。
 2人はふたりとも、「あいつのほうが、俺より上」というコンプレックスと、それと裏返しの敬意を持っていて。
 過去のエピソードで、アルベールはアルベールと呼ばれるが、ルパンは名前で呼ばれない。
 当然だ。当時の彼は、「ルパン三世候補」であって、「ルパン三世」じゃなかった。
 きっとジャンとかクロードとか、カミーユ(笑)とか、そういう名前だったのだ。
 ドキドキする。ルパン三世とは何か、という定義がゆらぎ、世界が広がった。
 だってアルベールがルパン三世になっていたかもしれないわけだし、「ルパン三世」は、「三代目を襲名した」という意味であって、文字通りの孫ではない……!!

 最強のライバルだったはずなのに、アルベールは勝負を降りた。
 もっと大きなもの、「フランス」を国盗りするために、あえてルパン一族であることをやめて、エリート警察官の道を選んだ。
 ふたりの絆の描写がカッコいい。
 裏切りの苦々しさ。相手の力への敬意と信頼、今も残っているライバル意識。
 道を決定的に違えた2人が、黒の手帳を悪用するジョゼ一味を倒すために、あえて共闘する。
 改心も和解も全く無く、つい先日まで殺し合い、今度会うときはまた殺しあうだろう2人が、一時的に友に戻る。そこには一片のごまかしも妥協もなく、敵意と敬意が何の矛盾もなく同居している。
 渋すぎ。シビれる。
 
 ジョゼ一味との殺し合いも、殺伐としていながらも、アニメらしい、ルパン三世らしい、ケレン味のある闘いだ。

 そして、あの日決別した橋の上で、また別れる2人、というシーンが良い。

 俺、アルベールは死ぬんじゃないの、と予想してました。
 闘いの中で致命傷を負っていたけど、ルパンにカッコ悪い所を見せたくないから、超人的な精神力で平静を装っていた。
 ルパンと別れて一人きりになった途端、その場にくずおれて、道路に血がドバーッと広がって、
「俺の芝居もちょっとしたもんだろう……?」
 って言って。
 ひるがえるフランス国旗に手を伸ばしながら、息絶える。

 ほとんど俺の中でそういうアニメができあがっていた。
 そうならなくて良かった。

 アルベールはゲイだけど、ルパン三世との関係は同性愛ではなく友情。
 これは視聴者に対して、「まさかBL?」っていう釣りだけど、それだけじゃない。
 警鐘でもあると思う。
 同性愛者だからっていつも同性愛のことを考えてるわけじゃないし、恋愛抜きの友情を結ぶこともある。
 異性愛者がそうであるように。
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 アニメ「ダーリン・イン・ザ・フランキス」を最新18話まで見た。
 5番目のエンディングテーマ「escape」すごく良い。
 1番めの「トリカゴ」と同じくらい良い。
 このアニメは音楽が本当に良い。

 で、最近ロボット出てこなくて、「ディストピア恋愛もの」になってるけどさ。
 なんかヒロとゼロツーが脇役になって、ミツルとココロのカップルが中心になっちゃってるけどさ。
 俺もココロちゃん好きだけどさ。
 俺も早見沙織に「不能じゃないよ」って言われたいけどさ。
 イクノも今回すごく可愛かったよね。
 
 今回ついに、「僕たちは、もう限界だ」ってヒロが言いました。
 
 次回から、理不尽なオトナたち、理不尽なセカイへの反逆が始まる。
 そのはずなんだけど。
 ちゃんと反逆できるのか?
 あと6話くらいしかないよね? いままでに尺を使いすぎじゃない?
 そもそも、この話は、「ヒロとゼロツーが愛の力で奇跡を起こして勝つ」という展開を3回もやっている。
 4話、6話、15話。
 それでも、ワンパターンでつまらん、ご都合主義だ、みたいに思わずに見ていた。
 なぜか。愛の力で奇跡を起こして勝つ、というのは、フランクス博士の実験の一環であり、オトナたちの掌の上の茶番、偽りの奇跡だということが、明らかだから。
 反逆の前提条件、布石にすぎないと思っていたから。
 自分たちの力で起こしてきた、と思っていたことが、オトナたちの仕込みで、操られた結果だと知って、今度こそ自分の力で奇跡を起こして反逆する。カッコいい!!
 でも、反逆を開始するまで引っ張りすぎたのでは……?
 18話までを見る限り、「パパたち」と「フランクス博士」は対立していたんですよね。
 パパたちは、あくまでヒロたちコドモを、何も知らない兵器として使うつもりだ。
 いっぽうフランクス博士は、コドモたちに「人間」になってほしい。恋愛性欲、どんと来い。そのためにいろいろ実験してきた。
 博士が公然とパパと対立していたのか、それともこっそり逆らっていたのかは不明だけど、今回ついに、パパたちが怒って、博士の実験を潰したわけだ。
 だったらヒロたちは対立を利用して、博士の力を借りてパパたちに立ち向かうしかない。
 だってロボの整備とか自力じゃできないじゃん。
 でも博士は善人でも味方でもなくて、幼いころのゼロツーに酷い人体実験やっていた人なんだよね。
 きっと自分の研究のためなら、コドモたちなんて全く罪悪感なしに殺せる人だろう。
 だから博士も立ち向かうべきオトナだ。
 博士の力を借りてパパに立ち向かい、博士にも反逆して真の自由を得る、という二段階の反逆が必要なんだぜ。
 大丈夫かなあ……
 ダーリン・イン・ザ・フランキスのシリーズ構成は、林直孝。
 「プラスティック・メモリーズ」の脚本書いた人……
 「プラスティック・メモリーズ」は、たしかに女の子は可愛かったけど、でもストーリーは……「きっと、なにかヒネリがあるだろう」と思っていたのに、ヒロイン・アイラの寿命が尽きるのを看取るだけの話だったんだぜ……
「ま、マジかよ……」って思ったよ……
 大丈夫かなあ……ほんとうに大丈夫かなあ……

 映画「リズと青い鳥」、見てきた。
 巨大な感情で殴られる映画、感情になる映画。少しでも百合に興味があるなら見てほしい。
 ネットでは、そんなふうに言われて、絶賛されている。
 百合(女の子同士の疑似恋愛)は好きだ。
 まどか☆マギカもシンフォギアも大好きです。
 
 だから、見た。
 感想は……
 実に贅沢な映画だなあ!
 だって、大きなことは起こらない。
 小さいことをほんとうに丁寧に描いている。
 女の子二人の、恋愛に近い関係を描いた話なんだけど。

 内気な女の子、みぞれ。
 明るくて人気者の女の子、希美。
 みぞれは、自分を吹奏楽に誘ってくれて、孤独から救い出してくれた希美のことが、大好き。心から愛している。
 ふたりは吹奏楽部で楽しい生活を過ごしていた。
 ところが、高校最後のコンクールの課題曲で、ふたりきりで演奏するパートがあるのに、なぜだか息が合わない。
 だってみぞれは、「この練習の毎日が終わってほしくない」「本番なんて永遠に来なければいいのに」と思っているから。コンクールが成功しようが失敗しようが、終わってしまえば卒業、そしてもう、楽しい日々は続けられない。だからみぞれは前に進めない……
 みぞれは自分の境遇を、課題曲の原作童話「リズと青い鳥」に重ねあわせていた。
 孤独な少女リズのところに、謎の少女が現れて仲良しになる。
 だが、謎の少女は青い鳥だった。空を飛ぶ翼がある。友達として閉じ込めて良いのか?
 みぞれは、「自分だったら、ぜったいに青い鳥を逃がさない。逃がしてしまうリズが理解できない」という。
 希美との溝は深まるばかりだ……

 しかし、そんなみぞれも、少しずつ変わっていく。
 彼女を慕う後輩とのからむうちに。見事な演奏を見せる後輩・久美子&麗奈コンビ(ユーフォニアム本編の主人公)をみるうちに。
 そして、最後に気づく。
 どちらがリズで、どちらが青い鳥だったか。
 友達を閉じ込めていたのはどちらだったか……
 
 愛が憎しみになるとか、幸福が不幸になるとか、そういうこと大きなことは起こらない。
 決定的に二人が決別するわけでもない。

 主人公、みぞれは希美のことが大好きで、大好きだからこそ、片時も離れたくない。
 これが、
 大好きだからこそ、信頼しているからこそ、今は一時的に離れることができる。
 道を違えても、ずっと私たちは一緒だ。
 ……に変わっただけ。
 普通のアニメだったら1話も使わない話を、90分の映画にしている。
 微妙な心理の変化を、表情や仕草で表現し、表現し、表現しまくっている。
 ねっとりとしたフェティシズムが、びっちりと映画全体を覆っている。
 繊細で幻想的で、それでいて緊張感がある。

 私は、終盤で、「でも、今は」「でも、今は」と、みぞれ・希美がハモるシーンが好きだ。
 最初はみぞれがリズだった。でも今はみぞれは青い鳥だ。
 2人が同時に、それに気づいた瞬間、たくさんの青い鳥が羽ばたく。
 素晴らしく心に残るシーンだ。
 私はこれを、「2人が呪縛から解き放たれた」という意味で「鳥が羽ばたいた」って表現したんだと思っていた。
 でも、ネットには違う意見もある。
 ふたりは「みぞれは青い鳥。青い鳥は飛び立つべき」という結論に達した。
 でも、「なぜ飛ぶべきなのか」は全く違う。
 ふたりの意見は一致するどころか決定的にすれ違ってしまった。
 絆だったはずの音楽において、決定的に断絶した。
 解釈が発散したからこそ、「一羽の鳥」ではなく、「たくさんの鳥」が飛んだのだ。
 そういう考えもあるか……
 
 とにかく、なかなかいい映画だった。
 良かったねえ、感動、だけでなく、なにか心にモヤモヤしたものが残るのが、また良い。
 
 この映画では、主にみぞれ視点で描いているけど、希美側の気持ちを考えると、痛々しい気持ちになるよね。
 希美は「良い子」だけど、「聖人君子」ではないので、極度の内気で、友達が一人しかいないみぞれのことを見下す気持ちがあったはず。
 見下すといっても侮蔑ではなく、庇護の気持ち。
 この子は私がついていないとダメだなあ、守ってあげなきゃ、的な。
 でも、ずっとそうやって「庇護すべき弱い者」だと思っていたのに……みぞれは自分を遥かに凌ぐ天才で、自分は「天才の足を引っ張る凡人」だったんですよ。
 「私、普通の人だから」ってみぞれに言った時、彼女の心の中はどうなっていたんでしょうね。
 ドキドキします。

 それにしても、女性客の多い映画だった!!!
 95パーセントくらい女性だ。ガルパンの逆だ。
 「聲の形」はカップルが多かったけど、「リズと青い鳥」は女性だけで見に行く映画のようだ。

「ルパン三世PART5」を6話まで見ました。
 うーん、最高!
 アミというヒロインが素晴らしいんだ。
 途中の殺し屋軍団は現実的な殺し屋じゃなくてギャグっぽい殺し屋だけど、まあ、ルパン三世って、こういう非現実的な要素も必要だよね。
 とくに5話が良かった。
 ルパンゲーム篇のラスト。アミ篇のラストというべきか。
 種明かしは痛快!
 アミとの別れはオシャレで美しく、大人の映画という感じだ。
 最高だ! これが、私の観たかったルパン三世だ!

 実はこれ(5話まで、ルパンゲーム編)も「ネットだけに耽溺してはいけない、現実でしか味わえないものはある、人は現実に生きるべき」というテーマなんだけど、でもこれは、「ネットは偽物、現実より劣っている」みたいな描き方はしておらず、アミは最後まで「自分を今まで支えてくれたIT技術」へのリスペクトを忘れていない。ネットも素晴らしい、現実も素晴らしい、という描き方なので、レディ・プレイヤー・ワンとはまったく印象が異なる。

 「はじめてコンピュータに触れた時、わたしはドキドキした。
 どこまでも行ける、誰とでも会える、わたしが一気に広がった気がした。

 (中略) 

 いつしかドキドキしなくなった。でも、環境を変える勇気はなかった。
 そんな時、その男はクソみたいなリアルからやってきた。
 リアルってやっぱりクソだわ。不便だし、不味いし、暑いし、死にかかるし……
 でも、ドキドキした。最高にハイな体験だった」

 素晴らしいセリフだ!!!

 6話は、これまでのシリアスなサスペンス・ドラマから一転して、昭和回顧ギャグ。
 絵柄まで古臭くなっちゃって。
 この絵は、「ルパン三世」というより、「ど根性ガエル」ですよ!
 アーサー! で、横井庄一にアジャパーって、昭和何年よ。 

 あと1下がればいいから、最後のひと押しで、不二子が脱ぐ!
 という話だと思ってました。
 なんだよ、おりこう酸ってw
 お前らの脳力もかなり低いだろ。

 まあ、たまには、こういう話も良いんじゃない?
 ネットでは「ルパン第2シリーズはこんな感じだった」「本来ルパンはこういうもの」って言われてますが……
 うーん……そうでしたっけ??
 第2シリーズは、子供の頃えんえんと見てましたけど、ここまで極端にギャグの話ありましたっけ?
 これの半分くらいでは?
 
 7話からは、またシリアスなサスペンスに戻ってくれるようで。
 よかったよかった。
 さすがに6話路線が続くのはツライ。

映画「レディ・プレイヤー・ワン」を見ました。
 
 仮想現実の話です。
 仮想現実の舞台にしたゲーム「オアシス」が大流行している世界。
 「オアシス」は世界中で何十億人もの人間が夢中になっている。
 もう、単なるゲームじゃなくて、もうひとつの現実といってもよいくらいだ。 
 で、その「オアシス」を作った天才ハリデーが死んだんだけど、死ぬときに遺言を残した。
 「オアシスの中に3つの鍵を隠した。それを見つけた者に、オアシスの経営権を譲る」って。
 オアシスを手に入れるために、多くのものがオアシスの仮想現実内を探しまわっている。
 特に、IOIという悪徳企業が、血眼になってたくさんの人員を投入している。
 それなのに、まだ5年たっても一つも見つからない。
 そんななかで、貧しいオタクの青年ウェイドは、偶然一つ目の試練をクリアして、鍵を一つ手に入れてしまう。
 ウェイドは英雄として注目され、悪徳企業IOIからも命を狙われる。
 ヒロインのアルテミスはIOI社に父を殺され、IOI社に立ち向かうレジスタンスを組織していた。
 ウェイドはアルテミス達と力を合わせ、IOI社の刺客と闘いながら、3つの鍵を揃えるため冒険する。
 
 面白いんだよ。
 ゲーム内での闘いのシーンはスピード感バツグンだし。
 主人公が「闘いだ! みんな来い!」って呼びかけて、思い思いの装備を身につけた数万人の大軍団が集まってくるシーンは、興奮した。
 ガンダムも出るし。
 それと平行して現実世界での闘いもあるのが面白い。
 敵のボスが意外に間抜けで笑える。そんなところにパスワード置いとくなよ。
 でもさあ……

 主人公は最終的に敵のボスを倒し、3つの鍵をそろえ、オアシスの所有者となる。
 それでね。

 「オアシスは週に2日、休みにした。
 現実こそがリアル、人は現実に生きるべきだから。」

 ヒロインと抱き合いながら、「人は現実に生きるべきだから」って言うの。
 それがラストシーンなの。
 
 あのさあ、あんた、それはないでしょ。
 あなた、ゲーム内ですべてを手に入れた人間じゃないですか。
 カネも、友も、恋人も。
 それなのに、ゲームを否定して「人は現実に生きるべき」って、あんまりにも恩知らずだ。
 ネットでは「ゲームの世界を守るためにも、現実を守らないと」って解釈してる人もいる。
 極端な話、体を壊して死んじゃったらゲームできないし、仕事もやらないといけない。
 そうかもしれない。
 でも、それなら「ゲームも現実も大事」という言葉になるはずで。
 「現実こそがリアル。人は現実に生きるものだから」というのは、ゲーム世界全否定にしか聞こえない。
 やっぱりおかしいよ。
 「現実こそがリアル、人は現実に生きるものだから」というセリフを、説得力を持って主人公に言わせたいなら、主人公はオアシスを手に入れてはいけない。

 私だったら、こうする。
 最後の最後で、鍵を手に入れてオアシスの所有者になるか、それともヒロインの命を救うか、両方はできない、という選択が発生する。
 そこで主人公は、あんなに好きだったゲームを否定し、あえてヒロインの命を選ぶ。
 主人公は単なる貧乏人に戻り、仲間からも「お前には失望した」って蔑まれる。
 それでもいいんだ、最愛の人が生きていてくれたから。

 こういう終わり方であれば、「人は現実に生きるべき」というセリフを言わせてもいい。

 これだとオアシスは悪者IOIが手に入れてしまうから後味悪すぎるな。
 じゃあ、破壊しよう。
 主人公は闘いに負け、IOIに鍵を奪われた。
 このままではオアシスはIOIのものになってしまう。
 あんな奴らに渡すくらいなら、と、主人公はオアシスを抹消する。
 多くの人に恨まれるけど、でも、人は現実に生きるものだから……

 これもちょっと後味悪いな……
 でもじっさい、オアシス世界を破壊するというのは、展開としてアリだと思う。
 じっさいの映画でも、ハリデーは主人公に、オアシスを破壊するボタンを渡してるんだよね。
 だから最後の最後で、IOIが逆襲してきて、オアシスを奪われそうで、渡すくらいなら破壊する、という展開は可能だったんだよね。
 「人は現実に生きるべき」というセリフを出したかったなら、それが良かったんじゃないかな。
 まあ、とにかく、「人は現実に生きるべき」というセリフは、それまでの展開に全く整合せず、邪魔で、イラッと来るセリフだ。
 しかもあのセリフは主人公の中から出てきたセリフじゃないんだよね。
 ハリデーのセリフを借りてるだけなんだよね。

 なんだかなあ……
 
 主人公は現実世界では貧乏。ヒロインのサマンサも顔にアザがある。
 でも、「その程度の不幸」なんだよね。
 その程度の不幸だから「人は現実に生きるべき」って言えるんだよ。
 もっと寝たきりとか、全身が焼けただれて、二目と見られない姿で……
 「現実は地獄でしかない、ヴァーチャルの世界だけが救い」って人もいるはずで。
 そういう人だっているのに、週に2日オアシスを休みにするなんて、残酷で傲慢だと思いますよ。
 あと、ハリデーが「ヴァーチャルの世界では美味い飯が食えない、現実こそがリアル」って言いますけど、それは単にあんたの技術が足りないだけ。バーチャルリアリティで味覚を再現することは原理的には可能。
 それこそ、一昔前のサイバーパンクみたいに、脳に直接信号を送り込めば良いわけで。
 そうすれば美味い飯だろうが気持ちいセックスだろうが体験できる。
 「単なる技術不足」にすぎないものを「本質的な欠陥」にすり替えないで欲しい。
 「バーチャルリアリティを原理的に否定」したかったら、「最高のバーチャルリアリティ」を否定しなければいけない。
 
 そんなわけで、「面白かったけど、終わり方がスゲー納得できない!!!」という映画でした。


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