ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設
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11月8日の日記「叛逆の感想はこのへんが面白い」に、興味深いコメントがあったんですが……
あまりにコメント欄が長くなりすぎたので、こっちでレスをつけます。 まず「今北何行」さんのコメントを転載します。 無題 こんちは。 ますだ様に敢えて聞いてみたい。「鹿目まどか」と「円環の理」は同一の存在か? …魔法少女って2種類いますよね。「変身ヒロイン」と「魔女っ子」。 変身ヒロインはマミやさやかみたいに、プリキュアやハニー、セラムンのように 「闘うために」魔法を使う者。「闘う相手がいる限り」死ぬまで戦士、魔法少女。 ”永遠に絶望の結末と闘い続ける”者。 魔女っ子は「自分が変わるために」魔法を使う者。多くは人助けをしたかったり、 魅力に溢れる大人に憧れて、そうなりたいと悩み、少しだけ魔法に後押しされる者。 「いつかは魔法でなく自分自身の成長で」問題を解決する者。 「ただの人間の自分には、何の取り柄もない」「将来も凡庸な人間だろう」と悩んで、 「人助けが出来ればそれだけでいい」と思っていた子は、どちらになり得たのでしょう。 そして、その子にとって、選んだ結末は祈りを正しく反映した姿なのでしょうか。 セーラームーンやハニーは永遠に戦い続けても美しい。闘いが存在意義だから。 クリーミーマミが魔法の力でレディになったままだったり、姫ちゃんがリボンの力に 永遠に頼り続けたり、おジャ魔女が魔法無しでは何にも出来ない魔法だけが取り柄の 少女たちだったら、彼女達は美しくいられたでしょうか。 人助けをしたい、魔法少女を泣かせたくないというまどかの心根は凄く美しく正しい。 それはいい。 では、”自分が絶望しないよう願ったから永遠に概念でも辛くないよ!”というのは、 その心根通りの、魔法が無ければ取り柄のない少女が正しく育った姿なのでしょうか? ・・・そう。ほむらが成長してないとは良く聞きますが、じゃあまどかは、成長したの? 成長してない子なら、成長出来る土壌に戻した方が良いじゃない。 そこがたとえ、他人の庭であろうとも。 【2013/12/11 14:54】 NAME[今北何行] WEBLINK[] EDIT[] 転載終了 ここからは、ますだのレスです。 >「鹿目まどか」と「円環の理」は同一の存在か? 同一ではないと思いますよ。 肉体を失って宇宙全体に拡散しちゃったのだから、もう別のもの。 円環は、まどかを元にしているけど、もっとずっと大きな、違うものですね。 質問の意図としては、「同一の存在でないなら、円環がどんなに幸せな状態であっても、まどかの幸せではない」という感じですか? >魔法少女って2種類いますよね、以下略 要するに問題の構図としては、エヴァンゲリオンみたいなものですか? (この場合のエヴァンゲリオンはTV版と旧劇場版を指す) 碇シンジと惣流・アスカ・ラングレーは、(簡単にいえば)親に捨てられたことにより、「自分がこの世に存在してもいいという理由、自己肯定感」を失っていた。 自己肯定感を手に入れる方法は、何もエヴァンゲリオンに乗って戦うだけじゃなくて、恋愛や趣味だって構わないはず。実際、学校でトウジやケンスケとじゃれあっているシンジは、そこそこ幸せで、居場所を得ているように見えました。 しかし、碇ゲンドウを始めとする大人たちが、ストーリーと設定が、「エヴァに乗るだけが、お前の存在理由だ。それ以外はなんの価値もない」と、シンジやアスカを責め立てる。 普通の少年や少女として自己肯定する事こそ、シンジとアスカにとって必要だったのに、彼らはあるべき成長の姿を歪められてしまった。 まどかにも同じことが言える、というのですね。 シンジの自己肯定が歪められているのと同じくらい、まどかの自己肯定は歪められている。 にも関わらず、多くの人が、まどかの概念化を感動的なものだと讃えている。 私にはそれがとてもグロテスクに思える…… みたいな感じで。 そういう意味だとすれば同感です。 女の子が等身大の人生を放棄して神様になることをみんなが賞賛する。現実世界で同じことが起こったら、と考えてみると、たいへんにグロテスクです。 まどかがなりたかった「魔法少女」は、本来は「魔女っ子」であるはずです。 「魔法少女は夢と希望を振りまくものだから」という彼女のセリフは、明らかにそう。 「魔女っ子」になったほうが断然、本人のためだというのも同感です。 しかし、それはできない。できないことが明示されている。 あの世界には、「普通の人間が普通の人間として努力して成長して、問題を解決する」という回路がない。 上条くんの手の障害が治らなかったとしても、他の楽器に転身するとか、地に足の着いた努力で幸せを手に入れることは出来たはず。 しかし、その可能性はまったく言及されない。 何もせずに絶望するか、奇跡の力に頼るか、という二択しか示されていない。 4話でおっちゃんの工場が潰れたように、早乙女先生が必ず失恋するように、「現実的な努力は報われない」と、徹底的に可能性が潰されている。 まどかの母は例外的に努力して成功しているキャラですが…… しかし、母の成功こそ、まどかに「偉大な母親と比べて、自分は凡人で、何も出来ない」という劣等感を植え付けている原因なのです。 (まどかの劣等感の原因は描写されてないけど、私はこう考えています) そんなわけで、「現実的な努力は無駄、奇跡に頼って一発逆転しか無い」ということが執拗に定められている世界なのだと思います。 エヴァではゲンドウという明確な抑圧者がいますけど、まどか☆マギカはもっと巧妙に、世界そのものが真綿で首を締めるように抑圧してくるのです。 おジャ魔女どれみみたいな、「魔法は手助けにはなるけど、基本的には友情と勇気でなんとかする」という「魔女っ子」は、存在できない世界。「いつかは魔法ではなく自分自身の成長で」問題を解決することは、できない世界。 そういう世界を作ったのは、QBというか、虚淵玄をはじめとするスタッフですね。 まどかは、そういう世界の中で精一杯の願い事をしたと思いますよ。 概念化は、たしかに仰るとおり、本来のまどかの祈り、願いではなかったでしょう。 でも、ベストの選択ができない状況はたくさんある。 そんななかでは十分にやった! と思う。 邪悪な神ウロブチが絶望の法則を強いている世界の中では十分にやった! と。 彼女たちにとっては、「努力が無駄である、あの現実」が全てで、大前提として受け入れるしか無い。 外に違う現実があるなんて、分かる訳ありません。 世界の外側、メタ視点を持っている我々三次元人だからダメ出しができる、というだけですよ。 そんなわけで、今北さんの「まどかの願いが正しくない」という指摘については、「ベストではないけどベター。少なくとも、あの作品の中では。他の作品や現実には押し付けないが」。 そして、「ほむらは、まどかの正しくない選択を正して、人間として成長できる機会を与えたのだ」という解釈に関しては、「ほむらはそんなこと考えてないと思う」。 悪魔ほむらは、独占欲だけで動くほど利己的ではないけど、「自由に成長させてあげたい」というほど利他的ではない。 「君の銀の庭」の歌詞では、「籠の鳥にして、ずっと成長させないでおきたい」とすら歌われている。 まどかが幸せになってほしいとは願っているけど、ほむらのコントロールから外れて「勝手に幸せになったら」? たとえばまどかが彼氏の一人でも作ったら? 悪魔ほむらは泣いて苦しむ。 「これでいいの」って言いながらも、一人きりになったら絶対泣く。 まどかの成長を祝福したい気持ちと、何もわからない子に戻して独占したい気持ちの板挟みになって悶え泣く姿が、俺の脳裏に明確に浮かびます。たぶん今夜の夢に出てきます。俺気持ち悪いなあ。気持ち悪くてもいいや。 もし、「叛逆の物語」後の世界で、まどかが人間として成長し、幸せになれるのか。 シリーズが続く限り、なれないと思う。 人間が人間として人間の努力で幸せになれる、それは「まどか☆マギカ」が完全に終わったことを意味します。 PR
無題
レスありがとうございます。
むむ、さすがにそう簡単には悪魔の声に堕ちてはくれないか(笑) ほむら自身はそんな事考えてないというのには同感。最後の言葉は 悪ほむを装いつつ、ホントは外から見た結果に対する私の評価。 歪んで見える道でも、答えは正しい事だってあるのが世界。 ただ、私はあの世界でも、万に一つある努力の可能性を信じてます。 どんなに希望が空虚な世界でも、ほむらは「結果」を願った訳じゃ ない。「私がまどかを格好よく守れる世界」を願った訳じゃない。 彼女が願ったのは、自分が努力出来る可能性と、育つ為の時間。 多少不恰好だけどまどかが幸せに暮らすハッピーな世界は、挫折と 悲しみを繰り返した『ほむら自身の努力と執念』の賜物だと思うから。 結局私は新編を通じて、そこの解釈が円環肯定派の方々と違うのかも。 「ほむらは努力して苦労して、新編まで至ってようやく何かの成果を出した。 まどかも変な近道せずに頑張れよ、ほむらに出来たんだから」 ・・・と、思ってしまうんだよね。
無題
すみません。体調不良のため、レスは少々おまちください。
無題
>今北何行さん
レスが大変遅くなりました、ごめんなさい。 >ほむら自身の努力と執念の賜物 まどかが「才能のみ」で、「ほむらと比較すればお手軽に」奇蹟を成し遂げてしまったことが不満である、もっとあがくべきであった、ということでしょうか。 まどかが前作で行った世界改変 ほむらが今作で行った世界改変 理屈が通っているのはまどかの方ですよね。 ループで膨大な因果(魔法少女の才能)が溜まっていたという理屈付けがある。 それに対しほむらのは、「一介の魔法少女が、なぜ神の力を強奪できたのか?」って言われると、「愛よ」って言うしかない。ループの時にほむらの因果も溜まっていたんだ、と憶測されていますが、だったらQBがそれに着目しないのは変なので、無理がある。 しかし、「設定の上で理屈が通っているか」とは別問題として、「物語の力学」として、「一途に苦労した人間は報われるべき」「逆に言えば、特別な苦労をせずに流されてきたまどかが、最終話でいきなり奇蹟を起こせるのは、お手軽すぎる感じで、感情の流れとして納得出来ない、もっとあがいた上での奇蹟であるべき」という考えもありうるでしょう。 今北さんの考えはそんな感じでしょうか。 では、どういうストーリーにすれば今北さんは納得するのか? 以前、「オタフィジカ」のエフヤマダさんが、こう言っていました。 http://www.ne.jp/asahi/otaphysica/on/column154.htm 上記より引用します。 引用開始 別の角度から考えてみよう。鹿目まどかの物語の結末は、彼女が魔法少女たちに課せられたゲームのルールを打破する、というものであった。さて、このようなルールブレイクものには、いくつかのパターンを区別することができる。要点は、そのキャラがどうしてゲームのルールを打破できたのか、ということについての物語的な説得力をどのように確保するのか、ということにある。注意していただきたいのだが、重要なのは、キャラの能力ではなく、物語的な説得力である。主要なパターンは、三つくらい考えられる。一つめのパターンは、そもそもそのキャラがゲームの外部からの参入者である、というものである。二つめのパターンは、ルールを打破するかわりに、なんらかの代償を払う、というものである。三つめのパターンは、ルールの裏をかいて出しぬく、というものである。 さて、鹿目まどかにとって、一つめのパターンは設定上ありえない。二つめのパターンは可能ではあるが、実はそれほど有効ではない。というのも、打破すべきゲームのルールそのものが、代償をもって魔法少女となる、というものであるので、ネタが被ってしまい、あまりルールを打ち破った感じがしなくなってしまうからだ。そこで、鹿目まどかの物語が目指すべき方向は、三つめのパターン、ルールの裏をかいて出しぬくものであるべきだ、ということになる。 引用終了 実際には「ルールを深く理解して裏をかく」という形で奇蹟を起こすべきだったのに、「犠牲を払ってルールを破る」という形になったので、カタルシスが欠けるものになってしまった、というのがエフヤマダさんの主張です。根本的にルールを破ったわけではなく、ルールの犠牲を肩代わりしたにすぎないからです。 ほむらが今回やった世界改変、「お迎えされる瞬間、アルまどの力を奪取する」というのは、エフヤマダさんの分類で言えば「ルールの裏をかく」に相当するのではないかと思います。 まどかもルールの裏をかいて奇蹟を成し遂げていたのであれば、あるいは今北さんは納得したのでしょうか。
無題
まどかマギカの世界は人としての努力が報われない世界という考察には同意します。
人に危害を加える魔女という存在がいて、その魔女に自分の大切な人もしくは自分自身が襲われる可能性があると知ってしまう訳ですから。 自分の代わりに魔女の脅威を排除してくれる魔法少女がいなければ、自身が契約するしか道はありません。 まどかが契約した場合においてもそれは同様だと思います。 ワルプルギスという脅威が迫っていて、その脅威を排除できる可能性を持つほむらがリタイアした時点で、まどか自身が契約する以外の道は実質的に断たれたも同然です。 あの状況で「ワルプルギスの脅威にさらされているほむらと見滝原住人を見捨て、何食わぬ顔で家族と幸せに暮らす」という選択肢をまどかが選べる筈がありませんから。 世界そのものがまどかに圧力をかけて契約させたように私にも見えました。 しかし、あの時点のほむらにまどかの選択を批判する権利はありません。 ほむらは、まどかが契約する以外の選択肢を提示出来なかったからです。 どれだけ駄々をこねようが、ほむらに代替案が出せない以上、まどかの選択に従うしかありません。 悪魔ほむらがこれまでのほむらと明確に違う点は、代替案を出せるだけの力を持っているという点だと思います。 悪魔世界では本編でまどかが契約しそうになった要因が悉く排除されています。 まどかが契約せずともマミさんは孤独では無いし、まどかが契約せずとも杏子とさやかは争わないし、まどかが契約せずともキュウべぇは「今の所は」悪巧みしていません。 ほむらが悪魔になったこ事の一番のメリットは「まどかに契約以外の道を提示出来た」「まどかと話し合う権利を手に入れた」点だと思います。 まぁ続編が出るなら、結局まどかが動かざるを得ないよう、再び世界から圧力がかかってくるのだと思いますが。
無題
>通りすがりさん
コメントありがとうございます。 やっぱり叛逆の話は盛り上がるな。 もっと叛逆の話をしたいな。 私が言った「努力は無駄」というのはもう少しメタな視点の話なんですけど、設定の上でも「努力は無駄」なんですよね。魔女というものが人々に絶望を与えて回っているわけですから、上条くんが「バイオリンだけが人生じゃないさ」って前向きに生きても、魔女が口づけすれば自殺しちゃうんですから。 そういう世界観の中で、「地に足の着いた努力で幸せになって成長するべき」といっても、逆に現実逃避ってものです。 (世界が『変身ヒロイン』なのに、その中で『魔女っ子』として生きようとしても無理がある) ほむらが「まどかの契約理由を全部改変した」というのは、そのとおりですよね。 とてもスッキリしました。 でも「神としての記憶」は蘇りそうで、不安定な世界ですよね。 続編を見たいような見たくないような不思議な気持ちですよ。
無題
ただ一つ疑問なのは、もしこの先まどかが契約以外の方法で自己実現出来たとして、その達成感は神様だった時の達成感を上回る物なのかという点ですね。
TV版での願いは、因果の特異点となったまどかにしか出来ない事であり、人としての生活の中で手に入れた平凡な自己実現で代用出来る物なのかは疑問です。 自分に自信が持てないまどかにとって神様になって全ての魔法少女を救済する事以上に魅力的な選択肢など存在するのでしょうか。 まどかに神様になるだけの力を与えたのは他ならぬほむらというのは何とも皮肉ですが。
無題
>通りすがりさん
書き込みありがとうございます。 そうですよね、現実問題として、いちど神様を経験したら難しいでしょうね。子役時代に大ブレイクした人が普通の人生で満足できない、を百倍にしたような感じで。 教祖様どころじゃなくて本当の神様ですからね。 仮に続編があって、まどかが人間として幸せになるエンドだとしたら、神様時代の記憶を失わないとむずかしいなあ、みたいな。 でも神様化も、まどかが自分で選んだ人生であって、それを忘れてしまうのは成長といえるのかなあ、みたいな気もするし、難しいんですよね。 一般的な「ジュブナイル」では、魔法世界での冒険は通過儀礼にすぎない、一生やるもんじゃない、成長したあとは現実世界に戻って現実的に幸せになるべき、という定石があると思うのですが、まどか☆マギカには当てはまらない。 まどか☆マギカは世界観そのものが「知ってしまったら普通の生活には戻れない深刻な要素」に満ちているし、まどかのやったことは通過儀礼に片付けるには重すぎます。
無題
まどかママという「人として成功したキャラクター」がまどかの劣等感の原因になっているのに、まどか自身に人として生きる可能性が閉ざされているという事になりますよね。
今更ですが、何とも意地の悪い世界だなぁと感じます。 ますださんの仰る「魔法世界での冒険」が現実世界の一部として実在している以上、まどかを魔法世界から遠ざけたほむらに対する「現実逃避している」「偽物の世界を造っている」イメージはどうしても持たれてしまいますよね。 現実世界で人として生きる事が現実逃避と見なされるというのも面白い所です。
無題
>通りすがりさん
「オタフィジカ」のエフヤマダさんが、「仮面ライダー」などのことを、「二世界論ヒーロー」と呼んでいます。 http://www.ne.jp/asahi/otaphysica/on/column118.htm このURLをご参照ください。 世界の裏側に、怪人の暗躍する闇の世界があり、その闇の世界が日常世界に侵食してこないように戦うヒーローのことです。2つの世界は明確に分かれていて、日常世界の人間は闇世界の戦いのことなど知らずに平和に暮らしている。が、闇世界の戦いに首を突っ込んでしまったものは、もう日常世界で安穏していることは許されない。 まどか☆マギカも二世界論であるから、いちど闇世界を知ったものが、いまさら現実世界で幸せになろうっていったって、それは健全な自己実現ではなく、逃避っぽくなってしまうんですよね。 では二世界論という構造を破壊してはどうか? あの世界の大人を巻き込んでみる、現実世界の人々に魔法少女や魔女のことを教えて対策を取らせる、すると何が起こるのか、というのもちょっとおもしろそうです。 実際にやったらQBが妨害するんでしょうか。 ほむらが実銃で魔女を倒している以上、普通の軍隊が全く役立たずというわけでもないのでは。 あと不思議なことは…… まどか☆マギカでは「魔法少女の存在は一般人に知られてはいけない」「秘密や正体がバレるとこれこれのペナルティが」って全くないですよね。 ペナルティがないなら、一般人の前で変身して魔法少女や魔女のことを全部喋ってしまうお調子者も、きっといると思うんですが…… なぜ二世界論が維持されているのか。 |
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