ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設
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× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 「クリアできない」 俺は、はっきり覚えている。最初に「ゲーム・クリア」したのはオリンピックのマラソン日本代表だった。 狭い部屋で正座して、超旧式のブラウン管テレビで見た。 貧しい中から這い上がって頂点に立ったその男は、顔をくしゃくしゃにして涙ぐみながら、テレビの生中継で、金メダルをカメラにかざし、叫んだ。 「ありがとう、ありがとう母さん、ありがとうみんな、俺、最高に幸せ……」 ぴろぴろっぴ、ぴっぴー。 間の抜けた、明るいが軽薄な電子音。大昔のゲーム機みたいな。 そんな音がして、男は消えた。 インタビュアーはしばらく凍りつき、「◯◯さん? ◯◯さん!?」と慌て始めた。 なにかの演出だろうと俺は思っていたし、テレビの前の多くの人間がそうだったろう。 だが、画面がお花畑に切り替わって「しばらくお待ちください」。 それきり、選手が姿をあらわすことはなかった。 種明かしはなかった。 次の日から、同様の出来事が次々に起こり始めた。 宝くじで一等を当てた人が、売り場でガッツポーズを決めた瞬間に「ぴろぴろっぴ、ぴっぴー」。 何度も口説いてフラれ続けてきた高嶺の花に、ようやくうなずいてもらえた男が「ぴろぴろっぴ、ぴっぴー」。 男も、女も、老いも若きも、世界のあちこちで、消えていった。 幸せの瞬間に、消えていった。 世界中の学者が議論した。ネットでも激論になったらしい。 「一体何が起こっているのだ?」 異星人による誘拐。タイムスリップ。神による空中携挙。 そんな馬鹿げた説が大マジメに唱えられた。何しろ科学者たちはお手上げだった。街中で自分の目で見てしまうことも珍しくない、捏造でも都市伝説でもあり得ない、科学では説明の付かない何かが、間違いなく起こっているのだ…… テレビの討論番組で消滅事件が話題になった時、ある若手の作家がこう言った。 「消えるときの音がヒントだ」「これは、ゲームのクリア音じゃないか?」 そう聞いた時、俺は膝を叩いた。俺が子供の頃のゲーム機で、「面」をクリアして次の面に行く時に、たしかにこんな音が出た。 討論番組は即座に紛糾した。 『彼らはゲームをクリアしたんだ。この現実というゲームを』 『幸せになったことがクリア条件だっていうのか? じゃあなんで、いままでずっと、消滅は起こらなかった?』 『いままではゲームにバグでもあったんじゃない? 逆にバグが出てクリアが超簡単になったとか?』 『そんな、まさか……』 だが誰一人、「ゲームをクリアした」以上に説得力のある説をひねり出せなかった。 もちろん検証する方法もない。検証どころか、人類社会自体の維持が難しくなっていった。 なにしろ生きていれば、たいていの人間は幸せを感じる。ネガティブな人間でも数年に一度くらいは、「ああ、幸せだなあ」と思うだろう。 だから、「クリア」が始まって1年で世界人口の半分が消え。 5年でみんな消えていた。 俺以外は。 幸せになれない、俺以外は。 真っ赤な真夏の夕日が街を、俺を照らしていた。 空気は停滞して熱気に満ちていた。 だが蝉の声もない。動物たちはクリアしてしまった。犬にも猫にも心は有って、幸せを感じたのだ。 大きなカバンをくくりつけた、旅行用自転車……ランドナーに乗って、俺は無人の市街地を探索していた。 歩道や車道を突き破って草が生えている。道路のあちこちに自動車が停めてある。フロントガラスにもボンネットも泥と埃で白く汚れている。ドライバーが消えてしまって、そのままだ。昔は自動車を拝借したこともあったが、いまはやめている。何年も放置しているのでガソリンやら何やらが劣化して、まともに走れないのだ。 車の中も、歩道も、道の脇のマンションもビルも、全くの無人…… 聞こえてくるのは、俺の自転車が立てる音と、街路樹が風で揺れる音くらいだ。 俺は毎日、街を捜索している。 食べ物を得るためだが……それだけではない。 きっといるはずだ。俺以外にも…… クリアできない人間が…… それを探して、町から町へ転々としてきた。 もう10回は引っ越しをしている。この街にもいないのか……? と、俺の耳が何かを捉えた。 ガシャン……ガシャン…… 何かがぶつかる……いや、人為的な「ぶつける」音だ。 ペダルを力いっぱい踏み込んで、音のする方に急行した。 平凡な一軒家だ。玄関を見て、俺の心臓が高鳴った。 人間だ。女だ。 玄関先、手入れがされていないので雑草が密生している地面に立ち、長い髪を無造作に縛って、汚れたシャツ姿の女。 鉄パイプでドアを殴っている。 何をやっているのかはだいたい分かった。 スーパーやコンビニに行けば缶詰を盗める、食べ物は手に入る。 だが家が欲しいのだろう。軒下で眠ることに疲れてしまったのだろう。 「おい、そんなんじゃ鍵は壊せないぞ」 俺が声をかけると、女がビクッ、と凍りついた。 振り向いたその顔は、俺の想像よりも美しい。 やつれて、汚れた髪の毛が額に張り付いてしまっているだけで、おとなしそうな美人だといえた。 女は俺の姿を見るや驚愕し、その表情が恐怖に満ち溢れた。視線が空中をさまよう。 逃げようとして、逃げ道がないと気づいたのだろう。玄関の両脇は樹木と、丈の長い雑草が繁茂して、薮になっている。 「あああっ!」 絶叫し、棒を振りかざして襲いかかってきた。 だが、その動きは鈍い。疲れ果てている。 俺はステップを踏んで軽々と攻撃をかわした。 女は私の後ろに通りすぎてしまって、ふらりとつんのめり…… そのまま倒れた。 助け起こすと、気を失っている。 あまり体を洗えていないのか、汗の匂いが酷いし、顔も埃で茶色に汚れて、もとが色白だったのか色黒だったのかもわからない。 だが、表情から緊張が抜けた今、ますます美人に見える。 女の顔を見ているうちに、俺の心の中に確信が広がっていく。 ……この女なら。この女なら。 俺は女を背負って自転車を押し、家に帰った。 家につく頃は日が落ちて、周囲は真っ暗になっていた。 もとは資産家の家だったのだろう、大きな一軒家だ。 鍵はもともとかかっていない。ドアを開けて電気のスイッチを入れる。 電圧が不安定なので照明がチラついているが、とりあえず家の中に蛍光灯の光が溢れる。 ……バッテリーが古くなったのかな? それとも太陽電池モジュールか…… ソファに女を寝かせ、電気ケトルでお湯を沸かした。お湯をカップ麺に注ぐ。このカップ麺は、さんざん探して見つけ出した、まだ食えるやつだ。5年もたったのでカップ麺の大半は酸化して、具は枯れ葉みたいになっている。これは奇跡的に保存状態が良かったのだ。 ついでに冷蔵庫から麦茶も出す。 しばらく女の顔を見ていると、目を覚ました。 「……っ!」 すぐに目を見張り、立ち上がろうとするが、力が入らないらしくまた倒れこむ。 俺を仇のような目でにらみつけている。 やっぱりな、この敵意……きっと、この女なら…… 「……そんなに怖がるなよ。疲れてるんだろう?」 「あっ……あっ……あなっ……」 声が上ずったり、喉がガラガラ鳴ったり。何年も口を利いていなくて、言葉の喋り方がわからない、そんな感じだった。 「怖がるなって」 俺は精一杯、優しそうな顔を作る。 「あなた誰? どうして残ってるの? なんでクリアしてないの?」 「簡単さ、幸せじゃないからさ。そんなことより、メシでも食わないか? 茶もある」 俺が麦茶とカップ麺を持ってくると、女の眼の色が変わった。 俺の手からひったくって、勢い良くがっつき始めた。 「まだ3分経ってな……」 あまりに美味そうに食べるので、俺は言葉を飲み込んだ。 これで幸せを感じて、消えるか? そんな不安もあったので、女から目が離せない。じっと見つめた。 女はカップ麺を一気に掻き込んで、麦茶をあおる。 「……温かいメシが珍しいか?」 「と、当然でしょう。缶詰しか……どうして、この家は電気が使えるの?」 「太陽光発電を導入してる家を探したんだよ。それだけじゃ足りないから風力発電機も作って、バッテリーも増設した。エアコンは無理だが、他のものならだいたい動かせるよ」 「そ、そう、器用なのね……」 「どうってことない。体も洗ってきたらどうだ? ガスはないから水風呂だが、夏ならいいだろ?」 「……」 女は沈黙し、自分の体を見下ろした。その顔が恥ずかしそうに歪む。他人と出会って、体の汚さに改めて気づいたのだろう。 「どうして助けてくれるの?」 「とくに理由が必要か? そうだな……話し相手が欲しかったのかな。俺も何年も、人間に会って無くてね。家と電気があっても、一人ではな……」 この段階で逃げられては困る、俺は笑顔を作って言った。本心からかけ離れた言葉だが、ウソがばれないといいのだが…… 「わかったわ……」 「サイズが違うかもしれないけど、替えの服もある。洗面台に置いてある」 「よ、用意がいいわね……」 何か下心があると思っているのだろう、女は猜疑心たっぷりに俺を睨んでいたが、体を洗えるという魅力に耐えられなかったのだろう。やがて小さく頭を下げた。 「……お風呂、お借りします」 「ああ。なんだったらずっと住んでもいいよ」 女が風呂場に消え、シャワーの音がシャアアと響いてくる。 ……水道はまだ使えるけど、これもいつまでもつか……メンテナンスする人間がゼロだからな…… しばらくすると女が現れた。俺が用意していたジャージに着替えている。薄汚れていた顔と体を洗っただけで、別人のように生き生きとしている。目の輝きが違う。 「ありがとう……ございました」 心の中の黒いものが綺麗さっぱりなくなった、という晴れがましい笑顔を俺にむける。 だが次の瞬間、 「あっ……」 と声をあげて、一瞬にして表情に警戒が生まれ、恐れが生まれて、俺から目をそらす。 自分の今の行動が信じられない、という態度だ。 よほど不信感や恐怖があるのか? 俺に? ……いいやおそらく、男性に。 だからこそ、この女なら。 「なあ、話をしよう。ここに住んでいてもいいから、風呂もメシもあるから、話をしよう。あんたは今まで、どんな人生を送ってきた? いや、そこまで重い話はしなくてもいいや、好きなもの、嫌いなもの、趣味とか……」 「趣味なんて、無理でしょ。こんな世界じゃ」 「いいや、出来ないことはないね。料理を作ったり、歌ったり踊ったりが趣味なら一人でもできる。相手が欲しいんなら、俺がいる。人間が二人いれば、文化も趣味も成り立つ。だから、話を」 「そんな……趣味なんて。私は、ダメなの、そんなの楽しんじゃ、楽しめないの」 「どうしてだ? あんたが『クリアできない理由』と関係あるのか?」 女は口ごもった。 「話せないのか?」 目線を下に向け、一呼吸おいてから喋り始めた。 「憎い相手がいるの。復讐したい相手。 そいつをぶち殺すことだけをずっと考えてきた。 でも、そいつはゲーム・クリアで消えちゃった。 幸せになってしまったのよ。 この気持ちをどこにぶつけたらいいのかわからない。みんな消えていったわ。わたしの家族も、わたしを支えてくれた友達も、忘れて前向きに生きろと言った、無神経な男も…… でもわたしは消えることができなかった。あいつをズタズタにできないことが辛い、寝ても覚めても考え続けて、幸せなんて感じられない」 その言葉が俺の耳に、心に染み透っていく。 しぜんと頬が緩み、体が期待に震える。 この女なら。この女なら、俺を。 「ねえ、あなたも教えて。どうしてゲーム・クリアできなかったの?」 俺は笑顔を作って立ち上がった。いままでの笑顔とは違う、『ニタア』という感じの、下卑た笑いになっていたと思う。 そしてキッチンに置いてあった包丁を掴む。 彼女が俺を見て、表情を恐怖に硬直させる。 俺は、包丁を彼女に向けた。顔にゲスな笑いを貼り付けたまま。 声を甲高く裏返す。 「……俺はな、女を犯すのが好きだったんだよ。強そうで反抗的な女を、暴力で黙らせてヤるのが最高だったなあ。でも誰もいなくなっちまって、俺は幸せになれない。あと一人、あと一人でも女とヤれればなあ……あんた、いいところに現れてくれた」 彼女の顔は硬直していたが体はそうではなかった。素早く動き、俺の手から包丁を奪い取り、そのまま一瞬もためらわず、腰だめに包丁を構えて体当りしてきた。 腹に熱い痛み。 「てめえ!」 俺は女を睨みつけて叫び、そのまま後ろにひっくり返った。 頭を強打したはずだが、腹の痛みが激しすぎて何も感じない。 彼女は俺にまたがって、俺の腹から包丁を力任せに引きぬいた。この世で一番の激痛だと思っていたのに、まだ何倍にも激しくなった。腹が裂けて、何かが勢い良くこぼれ出るのを感じる。 「あああああっ! 死ね!」 甲高い叫びをあげて、彼女は包丁を俺の体に、何度も何度も突き立てた。 最初の2,3回は痛みもあったが、途中から感じなくなった。ただ体に力が入らない。視界が暗い。誰が電灯を消したんだろう。彼女の顔も見えない。見たいのに。 どんなに幸せなのか、見たいのに。 「ああっ……ああっ……死ね……死ね……」 ただ薄闇の中で彼女の声が聴こえる。 彼女の声に喜びの色が混じってきた。 「死ねっ、あははっ、死ね……」 明らかに、泣きながら笑っている。 はしゃいでいる。長年の鬱屈した気持ちが解放されたのだろう。 俺は安堵した。焼けるような痛みさえ和らぐほどに、報われた。 だが演技だってバレたらマズイからな。 憎々しげな表情を浮かべないと。 やっぱり、彼女が憎んでいるのは性犯罪者か。 彼女の大切な人か、あるいは彼女自身を犯した敵。 そいつを演じてやれば。思ったとおりだった。 「殺せる……やっと殺せる……死んだ……死んだ……やったっ……」 彼女の喜びの声が、闇の中で響く。 やがてもう一つの音が重なる。 ぴろぴろっぴ、ぴっぴー。 幾十億の人々を消し去った、「ゲーム・クリア」の音。 やった、これでいいんだ。 俺をかわりに殺して、幸せを感じてくれた。 これでやっと、ひとり救えた。 俺は、じつは強姦魔じゃない。 もっと悪い。人殺しなのだ。 優秀な技術者とおだてられ、夢中になって徹夜の連続。 居眠り運転で5人も死なせてしまった。 懲役10年の判決を受けたが、たった1年で刑務所を放り出されてしまった。 俺が懲役刑を受けてる最中にゲーム・クリアが始まってしまったから。 人間の数が減りすぎて刑務所を維持できなくなったからだ。 シャバに出た俺は、遺族を訪ねて歩いたが、みんなゲーム・クリアで消滅していた。 どうすればいい。どうすれば俺は罪を償える。 そればかり考えたので、俺は消えることが出来ず、ひとり世界に取り残された。 これで、俺の罪も…… しかし闇の中に響いた音はひとつだけ。 俺のぶんのゲーム・クリア音は、いつまで待っても聞こえてこない。 そうか、そうだよな。 たったひとり救ったくらいで、俺が許されるわけ無いよな。 PR
感想です
面白く読ませてもらっています。感想をひとつ。
ゲームをクリアする、ということは、客観的に条件が決まっているところに特徴があります。たとえば、本人が不満足感を抱いていようが、手もちのカードが全部なくなれば、トランプのババ抜きは勝ちになる。逆に、本人が満足感を抱いていようが、カードが残っていれば負けになる。 この「客観的に条件をクリアしたかどうか」と「当人が主観的に満足しているかどうか」のズレは、本作でも深刻に生じている。「女」は、本人は目的を達成したと信じて主観的には幸福感を覚えているわけですが、客観的には目的をまったく達成していない。「俺」は、本人的にはいまだ罪を償いえたと感じていないわけですが、客観的には(社会的には)まったくの無罪になっている。 私はここにオチの面白みの一つがある、と読んだのですが、そうなると、本作の「ゲーム」のクリア条件が「主観的に幸福感を覚えること」だとされていることにどうも違和感が出てしまう。オチの面白みが、クリア条件と主観的な満足とのズレの強調にあるのだとすると、この根本設定の面白みは、あるはずのズレをなくすところにあるので、ベクトルが逆のように思えるのです。 このベクトルの逆向きが効いているような気もするのですが、どうも、もうひとひねりなにかないと平仄が合わないようにも思えて、読んでいて混乱しました。
無題
>エフヤマダさん
感想ありがとうございます。 たしかに、「主観的に幸福ならクリア」というのは、「ゲームという名前を冠する意味が乏しい」ですね。 ゲームならではの面白さを追求するんなら、主観的というのは勘違いで客観的な条件があった、という二段落ちにしたほうがいい。 ゲームというものの特別性までは考えが及んでいませんでした。ありがとうございます。 |
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