ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設
ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。
こちらです
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なんかキーボードが壊れてしまい、手書き入力で文章を書いています。
マウスでグリッグリッと。 「片手だけで書ける」という利点はありますが、やはり手書きの認識が鈍くて、頭悪くて。 とくに、『わ』がなかなか出せない。 なんどもなんども『わ』を書きなおして、どうしても『の』や『処』に変換されてしまい、「厶キーッ!」と切れてソフトウエアキーボードを出す。 私の書き方に癖があるのだろうか? これで小説を書くとなると、大変に非能率的。 「ケンカ」が「ケン力」になったり、「アニメ」が「ア二メ」になったり。 「カ」と「力」は本当に紛らわしい。 しかし私は手書き入力を全否定するものではない。認識の精度が上がって、さらに個々人の癖に合わせてくれるなら、きっと入力に革命が起こる! 手書き支援のフリーソフトくらい、すでにありそうですね。 それはそうと、このランキングが面白い。 「アメリカ人の選ぶ『名将ランキング100』」 1ジョージ・ワシントン 2ナポレオン1世 3アレクサンドロス大王 4ジンギス・カン 5ユリウス・カエサル 6グスタフ・アドルフ 7フランシスコ・ピサロ 8シャルルマーニュ(カール大帝) 9エルナン・コルテス 10キュロス大王 11フリードリヒ大王(フリードリヒ2世) 12シモン・ボリーバル 13ウイリアム1世征服王 14アドルフ・ヒトラー 15フン族のアッティラ 16ジョージ・カートレット・マーシャル 17ピョートル大帝(ピョートル1世) 18ドワイフ・デヴィド・アイゼンハワー 19オリヴァー・クロムウェル 20ダグラス・マッカーサー 21カール・フォン・クラウゼウィッツ 22アーサー・ウエルズリー(ウエリントン公) 23孫子 24エルマン・モーリス・コント ド・サックス 25ティムール 26アントワーヌ・アンリ・ジョミニ 27サヴォイ公オイゲン 28フェルナンデス・ゴンザロ・デ・コルドバ 29セバスチャン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン 30ハンニバル 31ジョン・チャーチル(マールボロ公) 32ウィンフィールド・スコット 33ユリシーズ・シンプソン・グラント 34スキピオ・アフリカヌス 35ホレーショ・ネルソン 36ジョン・フレデリック・チャールズ・フラー 37アンリ・ド・ラトゥール・ドーヴェルニュ・ド・テュレンヌ 38アルフレッド・セイヤー・マハン 39ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ 40ボー・グェン・ザップ 41ジョン・ジョゼフ・パーシング 42マウリッツ・フォン・ナッサウ 43ジャンヌ・ダルク 44アラン・フランシス・ブルック(アランブルック) 45ジャン・バプティスト・ヴァクェ・ド・グリボーヴァル 46オマー・ネルソン・ブラッドレー 47ラルフ・アバークロンビー 48毛沢東 49H・ノーマン・シュワルツコフ 50アレクサンドル・ヴァーシリヴィチ・スヴォロフ 51ルイ・アレクサンドル・ベルティエ 52ホセ・デ・サン・マルティン 53ジョゼッペ・ガリバルディ 54イヴァン・ステパノビッチ・コーネフ 55スレイマン1世 56コリン・キャンベル 57サミュエル(サム)・ヒューストン 58リチャード1世獅子心王 59シャカ 60ロバート・エドワード・リー 61チェスター・ウイリアム・ニミッツ 62ゲブハルト・レーベレヒト・フォン・ブリッヘル 63バーナード・ロウ・モントゴメリー 64カール・グスタフ・エミール・フォン・マンネルハイム 65H. H. (ハップ) アーノルド 66ムスタファ・ケマル (アタチュルク) 67ジョン・アーバスノット・フィッシャー 68東郷平八郎 69モシュ・ダヤン 70ゲオルギー・コンスタンチノヴィチ・ジューコフ 71フェルディナン・フォッシュ 72エドワード1世 73セリム1世 74ジュリオ・ドゥーエ 75ハインツ・グーデリアン 76林彪 77山本五十六 78ハロルド・ルパート・アレキサンダー 79エルヴィン・ロンメル 80レンナート・トルステンソン 81サダム・フセイン 82フィデル・カストロ 83ホレーショ・ハーバート・キッチナー 84チトー 85カール・デーニッツ 86キム・イル・ソン 87ダヴィド・グラスゴウ・ファラガット 88ガーネット・ジョゼフ・ウーズレー 89蒋介石 90フレデリック・スレイ・ロバーツ 91サラディン 92ジョージ・デューイ 93コンデ公ルイ2世 94クルト・シュトゥーデント 95ジョージ・C・パットン 96ミッシェル・ネイ 97カール12世 98トーマス・コクラン 99ヨハン・ツェルクラエス・ティリー 100エドモンド・ヘンリー・H・アレンビー 引用おわり なんだこのランキング? いろいろ言いたくなる。 続きは帰宅してから書きます。 PR
安全靴の両サイドが破れはじめたので、「さすがにこれは駄目だ」と思って新調した。
4000円かかったが、こういうカネの使い方なら良いはずだ。 靴は時として命にかかわってくるからね。 ところで昨日、妙なものをみてしまった。衝撃的なものというか。 川崎の海沿いの工業地帯で警備をやったんですよ。 そしたら、すぐ近くにお弁当を作っている工場があって。 お昼休みに、その工場からオバちゃんたちが出てきて。 そのオバちゃんたちは、足から頭のてっぺんまで真っ白い服で包んで。 無知な私は「え? サティアン!?」とか連想した。 よく考えれば、お弁当を作る人が白服を着るのは当然なんだけど。 そして、頭に大きな名札を付けていた。 文庫本くらいの大きな名札を、白帽子の、オデコのあたりに。 「6 李」「4 孫」とか、中国人と思われる名前が。 胸じゃなくてオデコに。そんなでかいのを。 異様な光景でショックを受けた。 当たり前のことなのか? これは必要があって付けているの? 頭に名札を? なんか異様だった。息をのんでしまった。 奴隷の焼印みたいだな、なんの修行なんだろう、酷い目にあわされているんじゃないのか、とか思ってしまって。 気のせいなら良いんだけど。
きのうサーバーのトラブルで記事が閲覧できなくなっていました。
こんなことは5年やってきて初めてで、「俺のせいかな」と不安で仕方ありませんでした。 ところで「石原慎太郎VSパチンコ」の話の続き。 コメント欄で諭され、いろいろ考えてみた。 もし石原ではなく、左翼と呼ばれる人々(たとえば共産党とか)がパチンコ規制を主張していれば、私は一も二も無く賛成していただろう。 「そうだ、よく言ってくれた! 資本家の謀略であるパチンコを叩きつぶし労働者を解放しよう!!」 このくらいの事は言っただろう。 間違いなく言った。 「石原が言うことだから」意見を180度変えてパチンコ擁護するのは、やりすぎではないか。筋が通らないのではないか。 だから、前の書き込みは撤回します。 たとえ石原の言うことであっても、パチンコ廃止論には一分の理があると認めます。 廃止できたならば称賛します。 でも。 規制は良いとして、パチンコ規制が民族差別や職業差別に結び付かないよう、細心の注意を払ってほしい。 とても嫌な予感がする。 石原の真意は「日本の労働者をパチンコ禍から救うこと」ではなくて、「パチンコを口実にして差別を行うこと」に思える。 いままでの言動が常に差別的だからだ。 石原が産経新聞のウェブサイトで書いた文章、「国家再生のために」。 あれはまったくデタラメを書いているだけで、「正気か?」というレベルの恐怖を感じる。 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110502/dst11050203260001-n2.htm 以下引用 私たちはもっと根源的なものへの反省と修復を志すべき時に至ったのではなかろうか。それは国家存立のために絶対必要な国防という要因に関する安易な他力本願や、そのすり替えに享受してきた薄っぺらな繁栄、そしてそれを促進してやまない我欲、物欲、金銭欲、性欲の氾濫と、それにおもねり続けてきた政治の安易なポピュリズムを淘汰(とうた)する決心をしなければ、この国の真の復興、復活などありはしまい。 引用終わり デタラメだ。反吐が出る。 石原はいまの日本を叩く一方で、戦前や戦時中の日本を称賛する。 だが、戦前のほうが今よりも、はるかに「薄っぺらな繁栄」であり、「我欲、性欲、金銭欲」に溢れた時代だった。 財閥が富を独占し、社会保障も行わず、民衆を餓死させている時代が「薄っぺらな繁栄」でなくてなんだというのか。 軍人たちは、個人的な野望のために自作自演の戦争を始めた。 さらに、部下を特攻で死なせて自分だけ酒に芸者に贅沢三昧。 これが「我欲の時代」でなくて、一体なんだというのか。 性欲だって同じである。 昭和初期の不況期、売春を行っている女性は現在よりも多かった。 「月給100円サラリーマン」を読めばわかる。 全国で10万人を超えていた売春婦は、膨大な男性客がいたからこそ成り立っていた。 つまり当時の男は性欲の塊だった。 犯罪だって「戦前の少年犯罪」を読めば、現在と何も変わらない「通り魔殺人」「一家皆殺し」「強姦」が日本に溢れていたことが分かる。 戦前の日本は断じて、現在よりも良い時代ではない。 「我欲の時代」は今ではない。 大日本帝国こそが我欲の時代、我欲の国だ。 石原の言葉に騙され「いまの日本は駄目なんだ、戦前のほうが良いんだ」などと思ってしまう人が増えることを私は恐れる。 なによりも恐れる。
書き忘れていました。
2週間くらい前に蛍光灯を取り替えていました。 もう、真っ暗な家ではないのです。 「蛍光灯を取り替えた」と言えば、あの光る管を取り替えたように聞こえますが、そうじゃなくて、あの管を取り付ける機械、天井からぶら下がっている照明装置全体を取り替えたのです。(もちろん管も替えました) あの照明装置全体の事はなんと呼べばいいのだろう。やはり「蛍光灯」としか言いようがない。 値段は5000円。 よい買い物でした。 素晴らしい。明るいし、安定してちゃんと光るし、「ぶううううん」とか異音を発することもないし、スイッチを入れた時の反応も早い。 文明! という感じだ。 しかし、蛍光灯なしの生活をしばらく続けて、なしでもできることはある、と分かったので、必要な場合のみ点灯させて、節電を極めようと思う。 今年の夏、どれだけ節電できるか、限界に挑戦したい。 すでに65キロワット時(一か月の消費電力)を達成した。 冷暖房と照明に電気を使わなければ、そのくらいの数字になる。 この状態だと電気代はたったの1200円だ。 もう一歩踏み込んで、50キロワット時をめざせ!
まどか☆マギカのネタバレをします。
ご注意ください。 最終2話、みました。 素晴らしかったです。 最後の最後まで、「なるほど、こう来るか」「ええええええw」という驚きに満ちた作品でした。 いや、「設定」そのものは、ネット上である程度は予測されていました。あとになってみれば、「そんなの分かっていたよ」って言えます。「ほむらが時間の中をループしてる」という伏線は1話の時点でありましたし。 まったく予測されていなかった設定は6話の、「魔法少女の本体はジェムのほうです。肉体はリモコン人形に過ぎません」くらい。 いやあ6話は本当にパソコンの前で凍りついた。凄かった。 だって戦いをやめさせようと思って変身アイテムを取り上げたら、死んじゃうんだよ。 でも、でも、設定なんて分かっていても、「実際に描かれた映像」が、脳内のイメージを遥かに上回っているんです。予想なんて吹き飛ばしてしまうんです。 だから、「あらすじで言ってしまえばナーンダかもしれないけど……いや、でも、これは凄いよ!」になるんです。 なんていえばいいのかなあ…… 一つ一つの要素は斬新ではないのです、たぶん。 邪道な魔法少女。 ロリキャラの惨殺。 女の子同士の熱烈な愛。 スタイリッシュなアクション。 愛や努力が報われないシビアな世界。 愛する人を救うため、時間遡行をくりかえす。 その時間遡行が、さらに事態を悪化させてしまうジレンマ。 そして、主人公は神となって全てを変える…… ご町内レベルの話ではじまったものが全宇宙的な救済に拡大する、極大スケールアップの快感…… それぞれは過去に前例があります。 この作品が決定的なエポックメーキングだとは思いません。 でも、これらの要素をギリギリまで研ぎ澄まし、最高の演技力と美術で飾り、破綻させずに高レベルでまとめた、というのは、やっぱり驚異的なことですよ。 結果として出来上がったのは前代未聞の物語です。 そんなわけで、とにかく何度でも言う、素晴らしかった。 ほむほむマジほむほむ。 ほむほむのことは忘れない。 10話見てから、「やっぱメガネほむほむだよ、あの気弱そうな喋りが理想だよ、裸眼ほむなんて認めない」って言ってたけど、でも裸眼ほむも最高です。 ほんとうはずっと、メガほむの頃の弱さを残していたんだ…… 11話、「わたし、未来から来たんだよ」と、昔の口調で喋り出して全てを打ち明けるほむらが、すごく良かった。 その後の対ワルプル戦もアニメの歴史に残りそうだけど、でもなんといっても12話。まどかが願い事を口にしてから、ほむらと別れるまで10分の間、ずっと私は震えていました。 この宇宙はこうなんだ、人間はこうなんだ、という認識が覆されるような感動に震えていたんです。 いやアニメの中の話だって事はわかっているけど。 見ている間は現実なんて忘れていました。 最終的に、まどかは、いままで行動せずにいた事を埋め合わせるように、究極的な決断、究極的な行動をします。 そして、「神になった」わけですが。 神と言っても全知全能の神ではなく、宇宙に、新しい法則を一つ付け加えた、それだけの神だと。 「すべての魔法少女の努力は無駄」だった世界が、「無駄じゃないかも」という世界に変わった。 戦いの日々は変わらないし、多くは力尽きて死んで行くんだけど、でも新しいルールのせいで、わずかに救いが出た。あとは自力でがんばろう、この世界の法則が私たちを応援してくれたのだから。 新しいかも。 あえて類似例をあげるなら、テーブルトークRPG・ビーストバインドのサプリメントシナリオで、これに近い展開がある。 世界の法則こそが神だ、という考えは理神論といって遥か昔からある考えだけど、理神論オチのアニメなんて初めて見た。 このオチはいまこそ求められていたものかも。 「残酷な世界で、自分の力だけを頼りにバトルロイヤルするしかない」というリアリズムではなく。 「愛で奇跡を起こせる、なんでもできる」というおとぎ話でもなく。 「心から愛し合って努力すれば、もしかすると、世界の残酷さを和らげる程度の奇跡は起こせるかもしれない、ゼロにはできなくても……」 どうか、そうであって欲しいと。 いまの時代の、日本の、人々の祈りが。 この作品に共鳴したのです。 だからみんなこんなに感動してるんです。 追記 「世界の法則こそが神だ」は理神論というより汎神論だった! ぐぐってびっくり。 |
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