ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設
ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。
こちらです
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年末年始は、本の整理をやっていました。
っていうか、まだやっています。 部屋に積みあがっている段ボールの中身を、ひたすら古本屋で売る。 なんと、同じ本が2冊も3冊も出てくる。 ボケてんのか私は。 3000円ほど手に入れました。 ヤフオクのほうがもっと高く売れることは知っていますが、私は1週間後ではなく、いま現金がほしいのです。給料日まで食いつなぐ(食費と交通費が、1日に1000~2000円くらいかかる)のが目的なんですから。 うーん、3000円では、まだ足りないな…… まあ、そんなことより。 年末にネットの知人と会って酒盛り。 年始には別の人と酒盛り。 どちらも小説の話をしました。 いろいろな意見をもらいましたよ。 「増田の小説は80年代臭い」 「お前の小説は萌えがない。いまは萌えキャラがいて起承転結があれば使ってもらえる、ややこしい設定とか不要」 「もっと一点突破で突き抜けろ」 「道徳や倫理を押し付ける傾向があって鼻につく。これが正義だという作者の思想の押し付けを感じる」 などなど。 うーん…… 「萌えさえあればいい、設定なんていらない」っていうのは、おそらく嘘っぱちです。 設定のややこしいライトノベルだって売れている事実をあまりに無視してます。シャナも禁書目録も、川上稔作品も、設定がいろいろややこしいではありませんか。 「萌えさえあれば売れる」なんて、ライトノベルを読んでない人間の思い込みです。 設定があるからダメなのではなく、設定を生かせないからダメなのです。萌えキャラだって生かせなければ意味がなく、売れるわけもありません。 いっぽう、「道徳の押し付けを感じる」というのは見過ごせない言葉です。 私も他人の小説を読んでいて、「ああ押し付けウゼエ」と思うこともあります。 いっぽう、「思想が入っていても、押し付けだとは思わない」場合もあります。 麻生俊平のザンヤルマとかミュートスは、十年たっても毎日のように読み返す、私のバイブルです。これらの小説は、信念と信念、正義と正義のぶつかり合いで、これ以上ないというくらい「説教くさい台詞」が出てきます。 「相手が悪人でも、人を殺す権利なんてない」 「この人を殺すことで多くの命を救うことができてもですか? 殺すのは力を持ったものの義務ではないんですか?」 「仕方ないことかもしれない、でもどんな理屈をつけても最低なことだ、卑怯だ。それは君の妹さんのような人間(ますだ註、身体障害者のこと)を、どうせ幸せになれないと言って殺してしまうのと同じだ。安楽死させる医者にだってそれなりの苦悩はあるかもしれない。だが、そういう人間でも幸せに生きられる世界を創る苦しみに比べれば、安易な苦しみだ」 ザンヤルマの終盤はずっとこんな感じのイデオロギー闘争ですよ。 同格の主人公である二人の剣士の、信念のぶつかりあいです。 人を殺さずに事件を解決してきた(それでも全員を救うことができず、深く傷ついてきた)剣士と。 悪人を殺すことで解決してきた(それでも世界は何も変わらず、人間に絶望した)剣士の。 でも説教だとは感じない。 キャラクターが自分で行動して掴んだ信念だ、この思想や信念には血が通っている、と感じるからです。そいつ自身が心から願い、血を吐くように慟哭した結果、説教のような形で出力されただけであって…… 背後で操っている作者の糸、プロパガンダ性を感じない。 だから私も感じさせてはいけないんだと思います。 あと、「説教」というのは上から見おろして、指導する、矯正する、救済する、などの意図をもって行うものです。 だから「上も下もない、この人はぼくと同じ人間でしかない」という「同格視点」での訴えなら、それは説教にはならない…… はず。 とくに気に留めるべき点だと思います。 PR |
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