ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設
ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。
こちらです
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× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 「えらいてんちょう」さんの日記は生活保護の話とかも面白いんですが、衝撃的なのは、やはり宗教がらみですね。 イスラム教で豚肉を禁止されている理由を語るな、神になったつもりか 原理主義だけが正しい宗教、狂信以外は信仰じゃない この2つ。 これを読んで、うーん……と考えこんでしまったんですよ。 私は宗教に関しては、 「たとえ神が存在しなかったとしても、来世がなかったとしても、神や来世を信じることで、生きる力が湧いてきて、それが支えになるというなら良いじゃないか」 「どの宗教が正しいか、というのは、言い合っても仕方ないことで、それぞれの人間にとって正しい宗教があるのだろう」 みたいな考えを持っていたんですよ。 「神が存在しなかったとしても、神を信じることで生きる力が湧いてくるなら、それで良いんだ。だから信仰を捨てる必要はない」というのは、山本弘の「サイバーナイト」で読んだセリフで、すごく印象が強かったのです。 ドイツの収容所で、捕虜たちが「架空のガールフレンド」を創りだした、というエピソードをご存じですかね。 これは2chのコピペですが、 2005年07月24日 捕虜を勇気付けた架空の少女 359: 03/31 17:52 大戦中にドイツ軍の捕虜収容所に居たフランス兵たちのあるグループが、長引く捕虜生活の苛立ちから来る仲間内の喧嘩や悲嘆を紛らわすために、皆で脳内共同ガールフレンド(?)を作った話を思い出した。 ・・・そのグループが収容されてた雑居房のバラック、その隅に置かれた一つの席は、13歳の可愛らしい少女がいつも座っている指定席だった。(という、皆のイメージ) 彼らグループの中で、喧嘩や口論など紳士らしからぬ振る舞いに及んだ者は誰であろうと、その席にいる少女に頭を下げ、皆に聞こえる声で非礼を詫びなければならない。 着替えの時は、見苦しい姿を彼女に見せぬように、その席の前に目隠しの布を吊り、食事の時は、皆の分を分け合って彼女の為に一膳をこしらえ、予め決められた彼女の「誕生日」やクリスマスには、各自がささやかな手作りのプレゼントを用意し、歌でお祝いをする。 ・・・最初は慰みのゲームのようなものだったのが、皆があまり熱心になると、監視のドイツ軍までもが、彼らが本当に少女を一人かくまっているものと勘違いして、彼らの雑居房を天井裏まで家捜しするという珍事まで起こった。 だが、厳しい捕虜生活の中で、他の捕虜たちが衰弱して病死したり発狂や自殺したりする中、そのグループは全員が正気を保って生き延び、戦後に揃って故国の土を踏んだという。 宗教や神というのは、この「架空のガールフレンド」のようなものだ、というのが、私の宗教観でした。 しかし、本気で何かを信仰している人にとっては、「たとえ神がいなくても、いると信じることでウンヌン」というのは、すごい失礼に感じるのかもしれない。 神様を、アニメヒロインと同じような扱いをしているわけだからなあ。 というわけで、「こういう宗教観を持っていて良いのか」と悩んでしまった話でした。 PR
無題
>、「こういう宗教観を持っていて良いのか」
いいと思いますよ。 原理主義者に失礼だから遠慮するというなら、すべて原理主義者に合わせなくてはならなくなり、「聖書に書かれている以外のことを言うのは原理主義者に失礼だから進化論を封印する」などということになってしまいます。 原理主義からすると「豚肉禁止を科学的に分析されるのは腹が立つ。神がそう言ったから以外の理由はない」とのことですが、この主張に同意したとしても、そもそも日本人にイスラム教徒は殆どいませんから、ゆえに殆どの日本人は豚肉を食います。原理主義者からすればその時点で殆どの日本人は「悪人」なんですよね。豚肉禁止の理由を分析しようがしまいが関係ない。 「『悪人』だからと腹を立てる」のは原理主義者、 「悪人だから殺して良い」となれば原理主義過激派=テロリストです。 そういう意味で、腹が立ったのだからバカだのアホだの罵るのはかまわないと思いますが、「信仰者を敵に回す行為です」みたいに脅しをかけるのは如何なものかと思いました。明らかに「匂わせて」ますよ。 まあ自分で「理解よりも適度な距離が大事、それが共生」と言ってるのだから、腹が立っても我慢するしかないわけで、「即刻記事を取り消せ」なんて言うのは矛盾してますね。
無題
>moithさん
いろいろ考えたのですが…… 私の考えは、神の実在などは幻想であると考えたうえでの「それでも認める」であって、無神論者が信仰者に調子を合わせているにすぎない。 だから信仰者にとって容認出来ない考えだ、というのはわかる。 しかし、イスラム教徒とキリスト教徒と仏教徒全員にあわせることなどできないので、どうしても「教義の真偽はさておき、一時期的に合わせる」八方美人的な態度しかとれない。 私の宗教観は、「宗教に理解がある」などと威張るほど立派なものではないし、真の信仰心とは全く違うものだが、撤回して恥じなければいけないほど罪深いものでもない。 という考えを、今は持っています。 てんちょうさんに合わせて宗教観を変えることはできないが、しかし私は傲慢で、怒られて当然の態度だった。 >まあ自分で「理解よりも適度な距離が大事、それが共生」と言ってるのだから、腹が立っても我慢するしかないわけで、「即刻記事を取り消せ」なんて言うのは矛盾してますね。 いや、これは、てんちょうさんの文章の前後を読んで見ると、理解できます、矛盾してないですよ。 てんちょうさんは、「理解できないものは理解できないで距離を置けばいいだろう」「半可通がわかったふりをするのは侮辱」という意味のことを言ってるんですよ。 経済的合理性という外部の理屈でイスラム教を「わかったふり」で貶めてきたから、信仰者の当然の態度として反撃してるんですよ。殴り返しているだけなのです。 「同じ人間だから話せば分かる、というのは、それこそ戦争への道です」 すごく胸に刺さりました。名言だと思いますよ。 これを体現できればイジメは起こらない。
無題
>殴り返しているだけなのです。
自分が殴られたら(実際には殴られていないにも関わらず、殴られたと感じさえすれば)反撃と称して殴り返してもいい、というのは危うい考え方です。 これと、戦争やイジメが起こらないというのを繋げるとすると、最初に私が書いたように、すべて原理主義狂信者の人に合わせて、豚肉禁止の合理的説明も進化論もすべて引っ込めて、顔色をうかがい調子を合わせるという状況下でのみ争いは起こらないでしょう。 少しでも原理主義狂信者の気にくわない言動をとれば、「ちゃんと距離を取れ!」と叫びながら近づいてきて距離を詰められ、反撃と称してぶん殴られます。 心酔しているますださんには悪いが、到底容認できませんね。 学者も学者の本の紹介者も、「狂信こそ信仰、教義より上に科学も何も置かない」と宣言している原理主義狂信者に対して、「いや科学や合理主義を上に置け」などとは強制していません。話せば分かるなどと誘いを掛けた事実もないでしょう。無視して(距離をとって)狂信を続けていればいいのです。 およそ30年、翻訳され世界で読まれ続けている本です。ネットで紹介している人もたくさんいますが、たまたま今回、原理主義狂信者の人に見つけられてしまった人が脅され、絡まれてしまった、というのが実態です。で、しまいにはツイッターをブッロクされてます。絡まれている人のほうがよほど距離を取れていますね。 原理主義狂信者の人は、「距離を取る」と称し「自分の意に染む位置まで、相手に一方的に距離を取らせている」、要するにカタにハメたがっているわけですが、「距離を取る」なら双方が「相互に距離を取る」べきだと思いますね。
無題
>moithさん
>心酔している いやいや、私は、てんちょうさんに心酔なんてしてませんよ。 熱烈な信仰心と、借金は踏み倒せ! みたいな倫理観のなさをどうやって頭のなかで両立させているのか不思議ですし、韓国のハラル偽造については、明らかに筋の通らないことを言ってると思いますよ。 しかし、moithさんの反論にも賛同できません。部分的にはてんちょうさんを擁護します。 まず、てんちょうさんは「脅迫」してるのか。 私の目には、てんちょうさんは、ネットで許される範囲内で言論の自由を行使しているようにしか見えません。「脅している」などということはないし、「ぶん殴る」「反撃す」は比喩的な意味、言論の上のことでしかないので、別段悪いことではないと思います。 moithさんの目には、てんちょうさんが正真正銘のテロリスト、脅迫者に見えるんですか? >話せば分かるなどと誘いをかけた事実もないでしょう 善意や擁護のつもりでも、相手の神経を逆なでする、侮辱になってしまう、ということはあると思いますよ。 私オタクですから萌アニメで例えます。 萌アニメが好きな人に、 「現実の女の子が相手にしてくれないから仕方なくアニメの女の子で遊んでるんだね。可哀想に、君は社会の犠牲者だ」 みたいなことをいう人がいたとしますよね? その人は善意のつもりでしょうが、言われた側としては侮辱に聞こえる。「別に現実の代わりだとは思ってないよ」「その考えは、アニメキャラは現実の代替品でしか無い、単独の価値が無いという、アニメを貶めた考えだ」と感じて、不愉快になるわけです。 てんちょうさんが「イスラムの教義を科学的に解釈するな」と怒っているのは、それと同じような感じではないでしょうか。 てんちょうさんの視点では、攻撃されたように感じる、というのは、私には共感できますよ。
無題
>いやいや、私は、てんちょうさんに心酔なんてしてませんよ。
熱烈な信仰心と、借金は踏み倒せ! みたいな倫理観のなさをどうやって頭のなかで両立させているのか不思議ですし、韓国のハラル偽造については、明らかに筋の通らないことを言ってると思いますよ。 ああ、はい。ここまで話題にしてこなかったハラル問題の記事などについては批判的なのですね、それは分かりました。でも、今回取り上げている二つの記事に関しては、十分、心酔しているように見えますよ。「名言」「胸に刺さった」「イジメもなくなる」「宗教観を粉砕された」などの表現が繰り返されているのでね。 > しかし、moithさんの反論にも賛同できません。部分的にはてんちょうさんを擁護します。 そうですか。でも部分的に擁護ということは、部分的には私に賛同するのでしょうか? 肝心な内容については全く触れられてないのでさっぱり分かりませんが。 > まず、てんちょうさんは「脅迫」してるのか。 私の目には、てんちょうさんは、ネットで許される範囲内で言論の自由を行使しているようにしか見えません。「脅している」などということはないし、 > moithさんの目には、てんちょうさんが正真正銘のテロリスト、脅迫者に見えるんですか? よほどのバカでない限り、言質を取られて即問題になるような直接的な書き方をするはずがありません。よって「正真正銘のテロリスト」などという直接的な批判もするはずありません。改めて言うまでもないのですけどね。 (「原理主義」と「原理主義過激派」の違いも一回目の投稿にすでに書いています) なので、「脅迫」という強い表現は使わないようにしていたんですが、まあいいです。 脅しをかけていると思います。なぜそう思うかという理由も一回目に書いています。 「信仰者を敵に回す」「イスラムを敵に回す」などと書いているからです。 もちろん「敵に回って殺しにいく」とか書いてあるわけではないので即問題とはなりません。あくまで「敵に回すぞ」(「そうしたら何が起こるだろうね」「最近テロが多いのは知ってるよね」「さて、どうなるかなあ」)ということです。 悪知恵の働く者は言質を取られないようにした上で、こうやって匂わせ、ほのめかすんです。 ハラル問題の記事を読んだますださんはすでに知っているでしょうが、あの記事では「イスラム教徒は怒らせたら何だか怖いことになる、というのはイスラムに対する日本人の差別意識だ」と批判してます。そのくせ、こちらの記事ではその差別意識・怖いというイメージを利用して脅しをかけている「バカな日本人」の一人に成り下がっています。 差別意識を利用しようとしていないなら「敵に回す」などと言うはずありません。なぜなら殆どのイスラム教徒は穏健で「ロングセラーの学術本を面白いよとネットで紹介」したくらいでイスラムの敵だ、などと言うわけがないからです。 とはいえ、匂わせているだけですからスルーした方が本来はかしこいかもしれません。 「脅してなどいない、いいがかりだ、謝罪しろ」というように脅してないと言い張り、逆に相手の言質をとって攻撃することもできるからです。ですが、私はこのような匂わせ手法が大嫌いで看過したくなかったので、あえて触れた次第です。 結論としては、「正真正銘の脅迫者」とは言わないが、「匂わせの脅迫者」であると思ってます。 >「ぶん殴る」「反撃す」は比喩的な意味、言論の上のことでしかないので、別段悪いことではないと思います。 当然、私も比喩として使ってるのですが? 擁護というなら、その比喩を用いて書いた内容に対して反論してもらわないと、これじゃ擁護にはなってませんよ。 > 善意や擁護のつもりでも、相手の神経を逆なでする、侮辱になってしまう、ということはあると思いますよ。 あるでしょうね。一般論として。 > 私オタクですから萌アニメで例えます。 >(略) > てんちょうさんが「イスラムの教義を科学的に解釈するな」と怒っているのは、それと同じような感じではないでしょうか。 この例えは的外れです。 この例に当てはめるなら、まず、面と向かって直接干渉された事実がなければならない。 しかしそんな事実はない。 「我々の仮説を教義より上に置きなさい」と強制した事実も、「話し合いをすれば我々の仮説が受け入れられる筈です」と誘いをかけた事実もない。ということを二回目にすでに書いています。 第二に、分析好きのオタクが「分析結果を押しつけるな」とは言っても「分析自体を禁じる」とは言わないでしょう。 同じように「科学的な解釈を押しつけるな」ならば理解できるが、「科学的な解釈自体をするな、研究自体するな、それが距離を取るということだ」というのは受け入れられない、ということを二回目にすでに書いています。 > てんちょうさんの視点では、攻撃されたように感じる、というのは、私には共感できますよ。 私は「共感」という言葉は使いませんが、原理主義の立場の人が腹を立てるというのは理解できますし、腹が立ったら悪口を言って怒ってもいいと思います。しかし、それ以上は我慢するしかない、というのを一回目で書いています。「研究自体するな」「本の紹介もするな」「記事取り消せ」などというのはダメで相互に距離を取るべきと二回目で書きました。 要するに、ますださんは、「共感できる」と言いますが、 それで? 共感して、その結果どんな判断をするの? という話なんです。 「研究自体するな」「本の紹介するな」「記事取り消せ」を認めるんですか? その延長線上で原理主義者に遠慮して、進化論も何もかも引っ込めるんですか? 原理主義者狂信者側にすべて合わせなくては、イジメや戦争もなくせませんが? ご自分の判断を示して反論してくれないと、擁護にはなりません。
無題
>moithさん
>ご自分の判断を示して反論してくれないと、擁護にはなりません。 >でも部分的に擁護ということは、部分的には私に賛同するのでしょうか? じゃあ、まず、私が、てんちょうさんの意見のどの部分に賛成して、どの部分に反対するのか、お答えしますね。 「イスラム教徒が豚肉を食べない理由について勝手な解釈をされて、てんちょうさんが怒った。これは正当な怒りである。怒りを表明する当然の権利を行使しただけである」 「moithさんは絡んだ、脅したという言葉を使っているが、それには該当しない」 「イスラム教徒を敵に回す、を脅迫と解釈するのは偏見の産物である」 しかし、 「記事を取り消せ」まで要求するのは無理があり、そこまで言ってしまうと正当ではない。 正確には、言う権利はあるが、そんなこと言われても従う義務はない。 その点に関しては、てんちょうさんの勇み足。moithさんが正しい。 イスラム教について間違ったことを言われて怒ったならば、「黙れ」というのではなく、逐一反論して、信徒として正しい見解を示し、異教徒たちが間違ったイスラム理解をしないように務めるのがよい、と、ますだは考えます。 反論の自由はあるが、「黙れ」は反論ではないので、そこまで言ってしまうと越権行為、ということです。 >てんちょうさんは「匂わせの脅迫者」なのか 「イスラム教を敵に回す」だけで「敵に回したら何が起こるかな? 最近テロが多いよね?」などという意図を感じ取ってしまうのは、なぜですか? イスラム教徒は怖い、という先入観があるからでは? たとえば、安倍晋三とか麻生太郎の悪口を言えば、「自民党を敵に回す」には違いないでしょう。しかし、「自民党を敵に回す」って言われて「殺される」って感じる人は、よほど後ろ暗いのか、国家権力に敵意を持っているのか、どちらかでしょう。 「自民党を敵に回す」はOKで、「イスラム教を敵に回す」は脅迫だと感じる、それはなぜか。 もともとイスラム教に対してニュートラルじゃないから、「脅迫の臭い」を感じるのでは。 >この例えは的外れです。 この例に当てはめるなら、まず、面と向かって直接干渉された事実がなければならない。 面と向かって干渉された場合、には限らないでしょう。 自分の家とか、飲み屋とかで、身内だけの場所で、適当なことを吹いてるんなら、まあいいですけど、インターネット上です。 インターネットは基本的には、誰でも入れる、誰でも見られる公の空間ですよね。 公の場所で、中途半端な知識しかない者が、好き勝手にいじりまわしたんですよ。 デマをばらまいたわけですよね。 そりゃ、本当に詳しい人としては、反論したくなるでしょう。 オタク関連でも、「ウルトラマンがゴジラと戦った」とか書いた人が叩かれていましたよね。 つい先日だと、「ドリームキャストはDVDを採用しなかったバカハード」という発言が叩かれていましたよね。 これらと同じです。 面と向かって干渉しなくても、間違ったことを言えば突っ込まれる。 どうしても批判されるのが嫌なら、世界に対し公開しなければ良いのです。 今回は「雑語り」の対象がイスラム教だっただけです。 >その延長線上で原理主義者に遠慮して、進化論も何もかも引っ込めるんですか? >原理主義者狂信者側にすべて合わせなくては、イジメや戦争もなくせませんが? なに言ってるんですか。てんちょうさん進化論の話なんてしてます? 「私達は」「信仰と科学が矛盾したら信仰をとる」。それしか言ってない。 てんちょうさん自身は進化論否定してるんだと思いますが、だからといって異教徒にまで否定しろなんて、彼一言も言ってないですよ。 だいたい、「相手の言い分を全部聞いて、顔色をうかがって、怒らせないようにしないととイジメが回避できない」というのは、すでにその状況自体が、イジメ真っ最中の状態でしょう? てんちょうさんの言う「共生に必要なのは理解じゃなくて距離です」とは、完全に正反対の状態じゃないですか。 イスラム教のことは知らないからわからない。 萌アニメのことは知らないからわからない。 だったら関われなければ平和なのに、自分の持っている知識だけで、「イスラム教とは」「萌アニメとは」などを首を突っ込んできたから争いになる。 知らないなら素直に知らないといいましょう。知ったかぶりはやめましょう。 これがてんちょうさんの一番言いたいことですよ。 知りたいなら入信しましょう。が続くわけですが。
無題
前回のますださんのレスには、主に3つの問題点があると思いますが、長くなってしまうので、とりあえず今回は1点のみ返答します。
あとの2つも書くかは流れで考えます。 【脅してるのか問題】 > 「自民党を敵に回す」はOKで、「イスラム教を敵に回す」は脅迫だと感じる、それは>なぜか。 > もともとイスラム教に対してニュートラルじゃないから、「脅迫の臭い」を感じるのでは。 第一に「誰が発言したのか?」を考える必要があります。 たとえば「自民党を敵に回すぞ」と言ったのがネトウヨだったとしたら恐怖を感じないでしょう。100%ハッタリだと見透かされ相手にされないからです。 しかし、党幹部だとか安倍首相が言ったとなると話は別です。自民党相手に殺されるという発想はないにしても、権力を敵に回せば、さまざまな許認可の関係だとか税金だとかで嫌がらせを受ける可能性はあるでしょう。ことさらに後ろ暗いことがなくとも、あるいは頭では「まさか実際に何かしてはこないだろう」と思っていたとしても、これに対して怖さや不気味さを感じたとしてもおかしくないと思います。 同じように、原理主義と狂信を標榜する人物から強烈な表現で罵倒された上、「記事を即刻取り消せ」さもなければ「イスラムを敵に回すぞ」と言い放たれたら、仮に頭では「まさか実際に何かしてはこないだろう」と思っていたとしても、これに対して怖さや不気味さを感じておかしくないと思います。 まして、小説『悪魔の詩』をめぐり著者が処刑宣言を受けたり、肖像画問題で新聞社襲撃が起こったり、イスラム教のタブー(正確にはタブーとされるもの)に触れた場合、最悪だと死が待っているというのは広く知られています。こういった条件下で、原理主義・狂信を強調する人物から「イスラムを敵に回す」と言われたら、「自分は本当にタブーに触れたのだろうか?」とギョッとすると思います。 これを「偏見がある」「ニュートラルではない」と非難されるべきものとは思いません。 ニュートラルというのをどういう状態であると定義しているのかは知りませんが、そもそも完全に中立などということはあり得ません。今回の場合、「お前に偏見があるからだ」と責められるようなケースではないと思います。 何だか「イジメられる側にも責任がある」と同じ構造で、あまり筋の良い擁護とは言えないと思います。 第二に、「イスラムを敵に回す」はそもそも事実ではない。 もう何度も書いているので少しは注意を払って欲しいのですが、ハリスの本は昨日今日出版されたものではない。その長い期間の中でイスラム教徒から抗議を受けたという話も聞かない。ハリスがイスラムから敵視されていたという話も聞かない。今回の原理主義者さんを別として殆どのイスラム教徒は問題にしていない。 そもそも原理主義というのはイスラムの中の一部です。その原理主義の中のさらに一部に今回の原理主義者さんは属している。同じイスラム教徒であっても、物事に対するスタンスは一様ではないのです。「内部」にいる原理主義者さんのほうがこのことはよく知ってるはずでしょう。にも関わらず、「イスラムを敵に回す」「信仰者を敵に回す」などとイスラム教徒全体を代表するかのような言い方をしている。要するに「オレのバックには○○がついている」というのと同じで、ハッタリです。どうしてこんなハッタリを言うのかといえば、「気に入らない本を紹介している気に入らない奴を威嚇して言うことをきかせよう」であり、要するに脅している、と見ます。 第三に、かの原理主義者さんの心を透視でもできない以上、最終的には水掛け論になりますが、少なくともこれまでのところ、ますださんの擁護には説得力を感じていません。 「脅すつもりが全くない」という仮定で考えてみても、最初に書いたように、相手に恐怖を与える可能性が高い以上、事実に反してまで使うべき表現ではない、という結論です。 「自民党を敵に回すはOKなのに」と言いますが、これだって場合によってはアウトですよ。発言者がネトウヨ程度なら相手にされないでしょうが、たとえば政治家が発言したら問題になって大きなペナルティーを受ける可能性は十分にあるでしょう。 ますださんの自民党の例えにより、ますださんの意図とは逆に、安易に使うべき表現ではない、ということがより明白になったと思います。
無題
レスが遅れてすみません
今日か明日にはレスを付けます
無題
>moithさん
大変お待たせしました。 >イスラム教のタブー(正確にはタブーとされるもの)に触れた場合、最悪だと死が待っているというのは広く知られています。こういった条件下で、原理主義・狂信を強調する人物から「イスラムを敵に回す」と言われたら、「自分は本当にタブーに触れたのだろうか?」とギョッとすると思います。 イスラム教徒の中に、シャルリ襲撃事件のような、殺人を犯すものがいるのは事実です。 しかし、それを言うなら、「日本の右翼」なんかも朝日新聞を襲撃して人を殺しているわけです。 しかしmoithさんは「右翼を敵に回したら殺される」とは思っていない。 恐怖心があったらネトウヨという侮蔑的な言葉は使えないはず。 どちらも人を殺しているのに……? これが「moithさんはニュートラルではない。イスラム教は悪いものという偏見があるのでは」と、私が考える理由です。 >ハリスの本は昨日今日出版されたものではない。その長い期間の中でイスラム教徒から抗議を受けたという話も聞かない。ハリスがイスラムから敵視されていたという話も聞かない。今回の原理主義者さんを別として殆どのイスラム教徒は問題にしていない。 てんちょうさんの考えはイスラム教徒の多数派が共有するものではなく、例外的考えにすぎない。 だから「イスラム教徒を敵に回す」ではなくて、「俺個人の考えとしては許せない」と、あくまで自分の意見として語るべきだった、というのですね? それは一般論としては、正論だと思います。 しかし、イスラム教徒という宗教の特徴を考慮するべきでは? イスラム教というのは、聖職者を持たない宗教ですよね。 カトリックであれば、「神の代理人」ローマ教皇がいます。 聖書に書いてあるコレの意味がわかりません、コッチに書いてあることと矛盾してませんか、みたいな疑問があったとしても、それは神の代理人が「こう解釈すればいいんですよ」って正解を教えてくれますよね。 カトリックに限らず、たいがいの宗教は、「神と信徒の仲立ちをする存在」がいますよね。 しかしイスラム教には、そういうものはいない。 それぞれの信徒が、自分の理解力と判断力に基づいて、クルアーンを読んで、神の教えを理解して実践する。それが正しいかどうかは、死後に神が審判する。 そういうことになっていますよね。 つまり、聖職者が存在しないということは、逆にいえば全員が聖職者的立場、イスラム教徒を背負っている代表者であり、「俺がイスラム教だ」と言わざるをえないのでは。 仮に自分の意見が、イスラム教徒の中では少数派だったとしても、「じゃあ自分の意見はイスラム教としておかしいのだな」ってなっちゃうのは、多数決で真偽を審判しているわけで。真偽を審判できるものは神のみである、という前提に反している。 >かの原理主義者さんの心を透視でもできない以上、最終的には水掛け論になりますが、少なくともこれまでのところ、ますださんの擁護には説得力を感じていません。 moithさんの意見をききながら、てんちょうさんのブログを読み返しているうちに、てんちょうさんを胡散臭く思う気持ちが芽生えてきました。 たしかに、肩入れしすぎた傾向はあるかもしれません。 俺はこんなヤバイ奴(中核派とか)と知り合いなんだぜ、という周辺の言動まで含めて、「こういう背景の人間のいうことは脅しめいて聞こえる」というなら、私も否定はしません。 しかし決定的に違法行為や、誰かに危害を加えたわけではないので、「匂わせの脅迫」は、仮にそれが存在したとしても、言論の自由の範囲内として容認されるべき、と考えます。 てんちょうさんが、仮に「シャルリは死んで当然」みたいなことを言って殺人を正当化したら、だいぶ話がちがってきて、脅迫者と呼ばれても仕方ないですが…… そういう発言があったなら、私も擁護論を撤回します。
無題
>しかし、イスラム教徒という宗教の特徴を考慮するべきでは?
イスラム教というのは、聖職者を持たない宗教ですよね。 カトリックであれば、「神の代理人」ローマ教皇がいます。 聖書に書いてあるコレの意味がわかりません、コッチに書いてあることと矛盾してませんか、みたいな疑問があったとしても、それは神の代理人が「こう解釈すればいいんですよ」って正解を教えてくれますよね。 カトリックに限らず、たいがいの宗教は、「神と信徒の仲立ちをする存在」がいますよね。 しかしイスラム教には、そういうものはいない。 それぞれの信徒が、自分の理解力と判断力に基づいて、クルアーンを読んで、神の教えを理解して実践する。それが正しいかどうかは、死後に神が審判する。 そういうことになっていますよね。 つまり、聖職者が存在しないということは、逆にいえば全員が聖職者的立場、イスラム教徒を背負っている代表者であり、「俺がイスラム教だ」と言わざるをえないのでは。 仮に自分の意見が、イスラム教徒の中では少数派だったとしても、「じゃあ自分の意見はイスラム教としておかしいのだな」ってなっちゃうのは、多数決で真偽を審判しているわけで。真偽を審判できるものは神のみである、という前提に反している。 ↑この部分完全におかしくないですか? 一人一解釈とか、一人一宗派みたいなのは、イスラム教ではなくキリスト教プロテスタントでしょう。 信仰はバクチじゃないんですよ。 俺は俺のやり方でやる、正解かどうかは死んでから天国に行けるかで分かる、というようなイチかバチかの賭けではない。 イスラム教に仲介者はないと書いてますが、イスラム教にも宗教法学者はいますよ。 きちんと資格を持った者たちが研究した代表的な解釈を採用することは別に多数決じゃない。 ますださんの「イスラム教バクチ論」はどこから来ているのですか? なにか根拠やエビデンスがあるなら教えてください。
無題
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