ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設
ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。
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「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」を観てきた。
10年前にエヴァ映画を観たのと同じ、新宿の巨大映画館で。 この10年、アニメ技術はここまで進歩したか! と興奮した。 その一方で、わたしの中から大きなものが失われてしまったとわかった。 さびしかった。 今回の映画は、テレビ版(の序盤)と同じストーリーで、比較にならないほど映像が研ぎ澄まされている。 「エヴァの怪物性」「使徒の絶望的強さ」「迎撃要塞都市・第3新東京の描写」 これらすべてが、テレビ版の何十倍も増強されている。 だからシーンの一つ一つを、思い出と比較しながら見た。 「この台詞懐かしい!」「このシーン、めちゃカッコイイ! そうそう、テレビ版を見てるときも俺の脳内ではこうだったんだよ!」の連続! シンジとかゲンドウは10年前と声が変わってる気がするけど、ミサトさんはまったく変わらずミサトさんだ。スゲエと思った。 かつてテレビ版エヴァに一度でもハマッた人なら、ぜひお勧め。 でも…… なぜかさびしかったのだ。 わたしが10年前にエヴァを見ていたとき、「ただの物語」は見ていなかった。 魂の救済を求めていた。 かつてわたしは、「アニメ史上最弱の精神を持つ主人公」碇シンジを完全に自分と同一視していた。 シンジがことあるごとに口にする「どうしてみんなぼくをわかってくれないんだ。どうして優しくしてくれないんだ……!」は、わたしが毎日毎日感じていたことだった。 この世界には自分ではどうすることもできない巨大な力があって、「力」はまったく理不尽にぼくを攻撃して、ぼくは泣きながら戦うしかない。戦ったら褒めてくれる人もいるけど、でもみんな、ぼくの表面しか見てない。どんなに褒められてもすべて嘘かもしれない。ぼくを戦わせるための『シナリオ』かもしれない。だからぼくはいつだって一人ぼっちだ……誰か助けて……でもぼくには悲鳴を上げることもできないんだ…… これはシンジの世界観であり、当時のわたしの世界観でもある。 シンジが画面内でメソメソと泣き言を言うたびに、「ぼくは一人じゃないんだ、この世にはぼくをわかってくれる人がいるんだ」と救いを感じた。アニメでは初めての体験だった。それまでわたしが知っていたアニメの主人公は、前向きで明るい、「自分とは関係がない人たち、陽が当たる世界の住人」だったからだ。 だから、謎や物語が「ちゃんと辻褄があわなかった」ことなど、大して気にしなかった。 ただ、ただ、幸せになりたくて観たのだ。 かの悪名高い「ぼくはここにいていいんだ!」の最終回を観て、わたしはどうしたか。 放映が終わるや否や、いきつけのゲーセンにバイクですっ飛んでいった。 メッセージボードに 「ありがとうシンジ君 ぼくもがんばるよ!!!!」 と殴り書きをしたのだ。 みんな恥ずかしがって言わないだけで、同じことをやった人は日本全国にいる。 いるといったらいる。 今回もシンジ君はまったく同じようにメソメソする。 しかし……シンジは、透明なガラスの向こうに隔離されていた。 これは僕だ、という強烈な感覚が味わえなかった。 スクリーンに映っていたのは、ただの、よくできた物語だ。 わたしは途中、「それをいま言ったって仕方ないじゃないか」とシンジに言いたくなった。自分の冷淡さに恐怖すら覚えた。 なぜだ。わたしの抱える問題は何一つ解決していない。生きることは辛い。いつだって泣きたい。「世界は理不尽に僕を攻撃する」という世界認識を、わたしはいまだに持ち続けているはずなのに。 でもそれを言ったって仕方ないよなあ、と自分ツッコミを必ず入れてしまう。 成長した? そうは思えない。 巨大な穴が胸にポッカリ開いた、そんな気分だ。 あと、映画が終わったとき、お客さんのしゃべりに耳をそばだててたんだけど、 「はじめてエヴァを観た」という若い人も確かにいた。 みんなスゲースゲーいってた。 たいしたもんだ。 PR |
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