ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設
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何度も何度もためらったけど、連載版「聲の形」を読みました。
1巻と2巻を買ってきて読んだのです。 斜め読みじゃなくてちゃんと読んだのは初めて。 だって読切版であれほど傷ついたのだ、ためらってしまうのは仕方ない。 私が読切版「聲の形」で深いダメージを受けたことは2013年3月10日の日記にさんざん書きました。 要約すると、 「主人公が、イジメ加害者の分際で被害者と『友だちになろう』って言ってことが許せない」 「それ以上に、イジメ被害者がそれを受け入れてしまったことが許せない」 「こんな聖人いるものか」 「作者の、イジメを矮小化したいという願望を感じる」 「レイプしてもイカせればOK、というエロ漫画と全く同じで、なんでこんなのが絶賛されているか不快で仕方ない」 こんなかんじです。 とにかく、主人公の反省が全く足りなすぎ。 そして、それが許されてしまう、イジメ被害者が許してしまう展開が、どうしても我慢ならない。 悪を許すのは悪に屈服し加担する行為ですよ、わかってんのか。 悪いやつを許してしまう人は優しい人ではないんですよ。悪の手先ですよ。 作者は何を考えているのか、なぜイジメを許すのか。 なんでこんな、イジメを甘く扱ってる作品が「画期的な問題提起だ」「感動した、傑作だ」みたいに言われてしまうのか、どうしても理解できない!!! いま書いてるだけで怒りが蘇ってきた。 その後、連載になって単行本も何冊か出て、「また同じ苦しみが襲ってくるかもしれないけど、でも、読まない訳にはいかないだろう」と、読んでみました。 うん…… これは…… 主人公の内面が深く掘り下げられてるね。 とにかく面白いことがやりたい、退屈と戦いたい、というだけの理由で無茶を繰り返す男子小学生。 「年上に殴られるって名誉なことだぜ!」 というセリフは狂気を感じさせる。マジ理解できない。……が、ネットの話に変換すると、「格上の存在、プロの作家とか学者とかにツイッターとかで喧嘩売るのが楽しい、何かを成し遂げたような気がする」……一気に身近になりましたね。それなら多少は共感できる気もするな。 とにかく、主人公がとにかく刹那的な快楽を求め、中毒者のようにもっと強い刺激、もっと強い刺激、って走って、その結果として「耳の聞こえない女の子をイジメる」という「刺激」に辿り着いたのだ、ということが詳細に描かれていた。 不快な人間をいくら掘り下げられても不快なだけ……ではなく、意外なことに、惹きこまれてしまった。 なるほどなあ……という感じで。 そのあと実際にイジメをやるシーン、クラスが一緒にノッてくるシーン、カネの問題になった途端みんなが醒めて、全責任を主人公に押し付けるシーンなんかは、腹が立って仕方なかったけどね。 1巻終盤で、成長した主人公が、女の子と再会する。 2巻序盤で、私がどうしても許せなかった「友だちになろう」が出てくる。 だが、まあ……「償いたい」というそれまでの気持ちの積み重ねがあった上で、「とっさに出てしまった言葉」だ。主人公も「なにを虫のいいことを言ってるんだオレ」って自覚している。 だからまあ、作者も、私のような「読切版に強い不満を持つ人々の考え」を理解して、配慮していているのだということはわかった。最初から理解していたのか、あとから理解したのかはわからない。 わかってんなら最初からちゃんと描けえ! と言いたいのをこらえて、読み続ける。 2巻最後まで読んだ。 相変わらず主人公に対しては憎しみが残る。 読切版よりも自分を責める描写が増えてるけど、でもイジメをやったということは変わらないもんね。 100の憎しみが60になった程度。 グダグダ言ってないでさっさと死ね、死ね、と言いながら読んだ。 でもお前が死んだら硝子が悲しむんだよなチキショー。 もう一つの不満点だった「なぜ硝子(イジメられていた女の子)は聖人なのか」というのは、多少和らいだ。 100の不満が40くらいになった。 相変わらず、硝子が何を考え、なぜ主人公を許したのかは分からない。 ヴェールに隠した描き方になっている。 視点が硝子にない、硝子の内面を直接描かない。まわりの人間の反応から推測するしかない。 主人公が硝子の心を知っていく、その過程を追体験させたい、という作者の意図があるのかも? もはや硝子は「理解不能の聖人」ではなく、きっと何か考えがあるんだろう、とはうかがわせる。 たぶん…… 適応なんだろう。辛い現実に適応するために「怒っても仕方ないから笑うことにした」のだ。 ストックホルム症候群かもしれない。相手に好意をもつことで、虐待を受けても、本当は辛いことじゃないんだと自己欺瞞する。 私には、それは、麻薬を打つかの如きものにしか思えないんだけど。 怒りをぶつけてもどうにもならなかった、という圧倒的な挫折体験があるのかもしれない。 母親が抑圧した結果なのかもしれない。 母親と硝子の関係って、なにかイビツなものを感じる。 娘がイジメられて心を痛めている、守ろうとしている、それだけで親として立派なんだけど、でもなんか、一人の人間として意思を尊重した上で守っている、というふうには見えないんだよね……髪型のエピソード(1巻番外編)は象徴的。 2巻の終わりの方(159ページ)で「ちょっと結絃、通訳して」って言ってるのが気にかかった。 は? お母さん自身は手話を覚えてないんですか? なぜ? 硝子を大切だ、守りたいという気持ちは間違いなく持ってるけど、なんか気持ちが歪んでませんか…… 表情もいちいち不気味だしな…… いちばん好感がもてたキャラクターは、硝子の妹・結絃(ゆづる)。 小さい頃は長い黒髪にスカートでめっちゃ可愛かったのに、姉を守るために、「男の子」のようになった。 姉と正反対の短気・直情径行型で、よく叫んで殴る蹴る。 カメラとパソコンを駆使して、主人公を陥れ、姉を守ろうとするが、その気持ちは空回りで…… 母親からは妙に冷遇されている。なんでだよ。 とにかくすごい感情移入できる。このキャラがいたから、楽しんで読めた。 そんなわけで、私が読切版に抱いていた強い反感は、連載版ではずいぶん和らぎました。8割減。 私のような人間の心情に配慮して描いているのが伝わってくる。いちばんの本丸である「硝子がなぜ聖人なのか理解できない」は相変わらずだけど、ヒントは示されているし、最後まで読めば分かるかもという期待はもてそう。 なにより結絃がどうなったのか知りたいので3巻も買います。 追記 「聲の形」って三種類あるそうですね。 2011年に別冊マガジンに載った読み切り。 2013年に週刊マガジンに載った読み切り。 2013年に週刊マガジンで始まった連載。 いちばん最初のやつは読んでいません、存在を知りませんでした。 私が憤っている「読み切り版」は「2013年に週刊マガジンに載った読み切り」です。 PR
違和感とは何か
はじめまして。
私は「日々格闘記 イカロスの翼」なる三流ブログを何とか運営している小野といいます。この作品に対する不快感や違和感というのは私なりにも分かります。 ですので批判もしてきています。今はその批判に作者もそれなりに答えようとしている模様ですが、私自身これは価値観の問題なのかなとも思っています。 本当にこの問題を問いかけるというのは難しいのですが、お互いに迷いながら考えていけると最高なのかなと思います。 たまに伺いますのでよろしくお願いいたします。
無題
>小野 哲さん
コメントありがとうございます。 盛りだくさんで興味深いサイトですね。 「聲の形」作者のコメントなども載っていて興味をひかれました。 休みの日にでも、じっくり読んでみます。
無題
連載終了しましたが、最後まで読まれましたか?
読んだとしたら、どうでしたか? 私は管理人さんとは少し違うかもしれないけど不満がすごく一杯ありました。 管理人さんの感想が聞きたいです。
無題
>NONAMEさん
コメントありがとうございます。 返信、少し待ってください |
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