ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設
ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。
こちらです
https://kakuyomu.jp/users/pennamec001
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
古い話なんだけど。
2月20日発売の週刊少年マガジンに「聲の形(こえのかたち)」というマンガが載ったんですよ。 このマンガ、ネットで話題になりました。 主に批判的な意味でいろいろ言われていた。 その批判を一通り呼んで、私自身が「聲の形」読んで感じたことと練り合わせた。 すると何かが浮かび上がってきた。 なんで私が「琴浦さん」の4話~の展開に不快感と拒絶を覚えているのか。 わかった。 「友だちになろう」がイヤなんだ。納得出来ないんだ。あり得ない反応だと考えている。 「聲の形」は簡単に言うと、イジメの話です。 聴覚障がい者の女の子がクラスに転校してきて、主人公の少年はじめ、クラスメートみんなでその娘をイジメる。楽しそうに。 ところがある時、イジメの矛先が主人公に向いてしまう。 自分がいかに残酷なことをやってきたか気づいた主人公は、女の子に謝罪しようとするが、もう彼女は学校を去っていて、謝りようがない。 数年後、大人になった主人公は女の子に再会して、習っていた手話で謝罪を伝える。女の子も受け入れてくれる。これから二人は仲が良くなるだろう、と予感させて終わり。 このマンガが技術的に駄作だとは決して言わない。 むしろ上手いと思う。 でも技術の上手い下手とは違う部分で、私はこのマンガを拒絶する。 ネット(Twitterとか、2ちゃんねるとか)では、『イジメっ子が十分に報いを受けていないのでカタルシスがない』『主人公は反省したようだが他の連中がどうしたのか描かれていない』という不満があるようです。 同感なんだけど、私はそれ以前に、ある強烈な思想を感じ取って、この作品をまるごと嫌悪する。 『友達になろう思想』です。 『イジメっ子とイジメられっ子は友達になれる。友達になるべきだ』 『イジメられっ子もそれを望んでいる』 という思想。 バカな。と思わずにいられない。 イジメという言葉で隠蔽されているが、主人公は犯罪者なんですよ。集団で女の子に暴言を吐き、侮辱し、補聴器を奪って壊し、危害を加えたんです。それも一度や二度じゃなくて、何ヵ月も連続して。 強姦の犯人が被害者のもとに現れ『友達になろう』とか言ってるのと同じですよ。『また強姦するつもりか?』としか私には思えません。 主人公よ。『謝罪したい』、それはわかった。だがなんでそのあとに『友達になろう』が出てくるのか。 自分のやったことの罪深さを少しでも自覚していれば、口が避けても言えないはずだ。 あなたは宮崎勤と友達になれますか。宅間守と友達になれますか。 百歩譲って、あなたにはできるかもしれない、だが被害者遺族の前で言えますか。こいつと仲良くしろと。 犯罪者の分際で被害者と友達になりたがる! 酷い話だが、それだけならまだよい。この主人公が厚顔無恥なヤツというだけだ。 だがこの漫画はさらに理不尽!イジメられっ子の娘が『友達になろう』を受け入れてしまうこと。それどころか『昔から、手話で、友達になろうと言い続けてきた』のだ! バカなー! 幼女レイプ犯が数年後に被害者に再会して、 レイプ犯『友達になろう』 被害者の幼女『嬉しい! 私もあなたと友達になりたかったの(ポッ)』 いや、ないって! こんなのあり得ないって! 犯罪被害者の胸に、来る日も来る日も吹き上がってくる想いは怨恨です。 加害者に罰を与えてやりたい、自分の苦しみを少しでも思い知らせてあげたいという。ヤツが膝まずいて命乞いする姿を、願わない日はない。 もし恨みが晴らせないならば、次に来るのは恐怖です。もう私に関わらないで欲しい、もう私の前に姿を現さないで欲しい、一生ずっと遠くに行って欲しい。怖いから、またやられるんじゃないかと、何年たっても怖いからだ。永遠に隔離してほしい。 主要な感情はこの二つ、『謝って欲しい』でも『償って欲しい』でもない。友達なんてとんでもない。 なのになぜ、この娘は憎しみと恐怖を抱かない。そんな聖人が存在するはすがない。 「もう恨んでないよ、もういいよ」とは言うかもしれない。 でもそれは「恨んでも何も解決しないし、自分も楽になれないから、疲れ果てて諦めた」のです。 「諦める」と「許す」の間には無限の開きがある。 まして、許す(マイナスをゼロに)ではなく、友達になろう(マイナスをプラスに)だなんて、そんなの考えるわけがない。 このマンガ、『加害者の願望』で描かれているのでは? 『強姦したけど相手は感じてるから無罪』っていうマンガと同じですよ。 自分の罪悪感を軽くするための願望です。 イジメられっ子は友達になりたがっているのだと、その声に耳を傾けさえすれば良いのだと、あり得ない解決策をはかる。だから謝りさえすれば簡単に関係が修復できるのだと、大したことではないのだと。 相手も関係修復をのぞんでいるのだと! このマンガの作者は「警鐘」や「問題提起」のつもりで描いているのかもしれない。 でも私の目には「イジメっ子の自己正当化マンガ」に見える。 もういちど言う。 集団で危害を加えてきて、それにたいして十分な償いも反省もしていない人間と「友達になる」!? それは悪に屈服し媚を売る行為であり反社会的だ。 そうとしか思えない。そんなのをハッピーエンドとして描くのは不自然であり得ない、共感できない。 「琴浦さん」も同じで、「イジメっ子と友達になる」という発想自体にどうしても嫌悪をおぼえる。 教師は「仲直り」という言葉が大好きで、イジメというものを単なる一時的なケンカだと言いはり、「仲直りしろ」って執拗に言いいつのりますが、しかし「直るべき仲」なんて存在しない。血の通った人間関係なんて一片もない。 イジメっ子にとってイジメられっ子というのは人間じゃないんですよ。 突っついたらピクピク動く面白いオモチャなんです。 人間のカタチをしているけど絶対に人間ではない、殴っても脱がせてもいい泥人形として何年も何ヶ月も扱われるんですよ。 それなのになんでこっちは相手のことを人間扱いしてあげなくちゃいけないのか。 さらにはっきり言っちゃうと、「友だちになろう。みんな仲良く」という考えこそがイジメを産んで、そこまでは言わないにしても「イジメを激化させて」いるんじゃないのか? 仲良くなれない人はいる。 「仲良くなってはいけない人」すらいる。 「いけない」というのは、道徳的な話というより、お互いにとって危険だからやめましょう的な意味。 仲良くなれないのに、「いっしょに、なかよく、ともだち」と言って同じ場所に閉じ込めて、会話しろ、いっしょに遊べと強要し、一人でいることを決して認めない。「友だちにならない自由」を教師は絶対認めない。ひとりになりたがったら「秩序の破壊者」として「おまえのせいでみんなが迷惑してるんだぞ」「なんでみんなとおなじにできないんだ」と叱られる。「こいつはクラスの空気に逆らった、ヒトではないもの」としてレッテルが貼られる。その瞬間から、「みんなでこいつをいたぶろう、人間ではないこいつをいたぶって、自分たちが人間であることを確認しよう」という生贄の儀式が進行する。そんな加害者たちの集団と、なんで「仲良く」を強制され、「目を背けるな、握手しろ」と言われ続けられなくてはいけないのか。なんで「仲良くできないお前が悪い」「学校に行け」なのか。どうしても嫌だ。納得できない。 熱くなりすぎました。自分の体験とマンガをごっちゃにしすぎだ。 言いたいことを要約すると、 「イジメっ子とイジメられっ子が仲良くなる、という展開を容認できない」 「それも、イジメられっ子のほうが、仲良くなることを望む、というのは、どうやっても納得できない」 そして、 「イジメってこういうものなんだ、イジメられっ子の心ってこうなんだ(仲良くなりたがっている)、という、デマが世の中に広がることを、私は恐れる」 このマンガを真に受けた人達が、「友だちになろう」と言ってイジメられっ子をますます苦しめないか。懸念しています。 追記 このマンガ、連載になるそうですね。 読み切りと同じ話を丁寧にやるのか、違う展開になるのかは知りませんが、気になります。 今度は、「友だちになろう」の欺瞞性を描いてくれるのか。 じっくり読んで結論を出そうと思います。 2019年9月 追記 この記事にたくさんのコメントをいただいております。 ありがたいことですが、どうもコメント欄が長くなりすぎたのか、みなさんのコメントがうまく表示されません。 すみませんが、今後、この記事について何かおっしゃいたい方は、他の記事(最新の日記など)のコメント欄に書いていただけませんか? PR
無題
私は身体障害者で、普通の学校に通っていました。やっぱりそのせいでイジメられましたが、先生のお叱りの言葉もあってか、いじめっ子は「ごめんね」と謝ってくれて、その後はクラスメイトとしてそれなりに仲良くしました。いじめられるのは自分に非があると思ってましたから、そこまでいじめっ子に対する怒りなどはありませんでした。悲しかったけど、でもいじめられて当然なんだと思ってました。だから、いじめっ子から友達になろうと言われて、私は素直にうれしかったです。他の人からすれば、偽善だとか、何を今更と思うのかもしれません。でも、誰だって一人はいやです。誰かとの繋がりが欲しいんです。障害者だからこそ、誰かに認められたいと思うんです。たとえそれがいじめっ子による自己満足にすぎなかったとしても、仲良くしてもらえるだけ『ありがたい』。自分はそのように考えていました。
無題
>kitaさん
コメントありがとうございます。 「イジメられっ子がイジメっ子と友だちになりたがることはあり得ない」と断定したのは撤回します。 が、そもそも、 「kitaさんの体験したイジメ」 「ますだの体験したイジメ」 「聲の形の主人公がやったイジメ」 これは同じものではない、同じ言葉でくくるのは間違いではないか、と思います。 kitaさんは「教師がイジメっ子を叱ってくれた」「イジメっ子がごめんねと謝ってくれた」と言いますが、わたしはどちらも経験していません。 教師がイジメを叱るなんて想像もできない。 そもそも教師はイジメが起こっていることを認めない。 一言の謝罪もなく、イジメの加害者が処罰を受けることもなく、ますだのほうが悪いと言われ続けてきました。 あれから20年以上たって、ようやく最近になって、謝罪の言葉を引き出すことが出来ました。 「たとえわずかでも、この人は償ってくれた」と思えれば、友達になろうと思えたかもしれません。 しかし、私の学生生活には一度もなかった。 「誰だって一人は嫌です、繋がりが欲しいんです」というのは、命の保証があっての話だと思います。 私の学生生活に命の保証は無かった。 聲の形の主人公とそのクラスメートたちは、殺人行為こそ行っていませんが、でも償いもぜんぜんやってない。 あれで加害者を許してしまえる、いじめられっ子の描写に、どうしても感情移入できません。 kitaさんのような人間がいるのはわかりましたが、「たまたま相手が反省してくれたという稀有な例」に思えてなりません。
批判的な意見ね
その割りに人気投票一位で連載され、一巻は緊急重版らしいですが。歪んだフィルターで偏重した嘘を広めても共感されません。
無題
>アラタさん
書き込み有り難うございます。 「偏重した嘘」というのは何のことでしょう。 私がこう感じた、ということに嘘も何もありません。 このマンガが多数の支持を得たことはもちろん知っています。 だからこそ絶望と怒りで、このエントリを書きました。 世界は私の敵であると。 私の意見に共感する人が少ないのは理解しています。 大半の読者は「聲の形」で感動できたのでしょう。 イジメられっ子なんて少数派ですし。 イジメられっ子であっても、kitaさんのように、加害者を憎まなかった例もある。 ネットや書籍で、元イジメられっ子の体験談を読んでいても、全くピンとこないことが多い。 千差万別です、イジメられっ子といっても。 イジメられっ子とはこういうものだと、代表者のような態度で書いたのは間違いでした。 しかし、たとえ世界に一人でも、「この物語によって傷つけられた人間がいた」と書いて、世界に爪痕を残したいのです。「みんなに拍手喝采された」ということを「史実」にはしたくないのです。「みんな」じゃない! 賛同者がこの世にひとりもいなかったとしても、言わずにはいられません。 私にとって「聲の形」は「人生と魂のすべてを辱められる」ほど苦痛なものです。「イジメ正当化マンガ」としか思えない、このマンガを一生憎む、というほどのものなのです。 なお、連載版は、主人公がイジメの罪に向き合っていく過程がある程度描かれているので、読切版とは違う評価になります。 相変わらず好きにはなれないし、どうしても主人公視点で読むことに苦痛を感じるけれど。
無題
"強姦の犯人が被害者のもとに現れ『友達になろう』とか言ってるのと同じですよ。『また強姦するつもりか?』としか私には思えません。"
というところなんですが、イジメと性犯罪は全くと言っていいほど別物だと思いますが?ますださんは執拗に犯罪者と仰っていますが、聲の形はそんな次元の話ではないと思います。確かに聲の形のイジメはそれこそ裁判でもすれば立派に罪名のつくものでしょうが、流石に性犯罪と同一のものではないと思います。 それと、ますださんはご自分の体験と聲の形を重ねすぎているのではないでしょうか。多少の憤りはあったとしても、聲の形のいじめられっ子はもともとそんなに周りの人に怒っている雰囲気はなかっと思います。もし本当にイジメっこをものすごく憎んでいたらいじめられっ子になってしまった主人公石田に手は貸さなかったはずですよ。それと、主人公石田は自分の軽はずみな衝動でイジメを行ってきたからこそ反省・後悔し、だからこそ友達になりたいと思ったのではないかと。 長文失礼ました。
無題
>ぬーさん
書き込みありがとうございます。 しかし、大きな誤解があるようです。 >多少の憤りはあったとしても、聲の形のいじめられっ子はもともとそんなに周りの人に怒っている雰囲気はなかっと思います。もし本当にイジメっこをものすごく憎んでいたらいじめられっ子になってしまった主人公石田に手は貸さなかったはずですよ。 あの娘がそんなに怒っていなかったことはわかります。 私はまさに、怒っていなかったことを問題にしています。 「そんなバカな。あれだけの目に遭わされて、イジメっ子を憎まないなんて、人間としてあり得ない」 「理解不能の聖人君子だ」 「物凄いご都合主義を感じる」 「イジメを矮小化したいという作者の願望を感じる」 「どうしても、それが許せない」 というのが、私の一番いいたいことなのです。 主人公がイジメをやったことではなく、イジメられっ子がそれを許してしまったことが、私を傷つけたのです。「お前もさっさと許して先に進めよ。なんで何十年も恨み続けてるんだよ。イジメっ子を許すことができないお前のほうが狂っている」っていう声が聞こえてきて苦しかったのです。世界が私に対してそう責めているのです。
無題
西宮ちゃんがものすごく不細工だったとしたらどうなんだろうとか考えちゃう
結局見た目が美形だから絵になるし、友達になろうとか思えるんじゃないの笑
無題
>あ さん
書き込みありがとうございます。 外見の問題は俺もわりと同感なのです。 が、醜い顔立ちの主人公やヒロインは商業的にあまりに危険な賭けだと言わざるを得ません。 イジメの是非の話というより、外見のハンデを負ったものがいかに生きるかという違うテーマの話になりそうですし……外見が醜いというのは漫画世界ではインパクトが非常に大きくて、作品全体をひきずってしまう。もともと持っていたハンデ(聴覚障害)が吹き飛んでしまう。 イブニングの漫画「累-かさね-」が「醜い顔立ちのヒロイン」の生き方を扱っていて、恐ろしいところに踏み込んできたなと思いつつも、期待しています。
無題
不愉快な気持ちになるなら読まないほうがいいと思いますよ。漫画は娯楽なんだし、楽しむものだから
無題
私もあなたと基本的に同じ考えですね、まったく正しい感想だと思います。
そもそもあの行為をいじめという言葉で表現することが許せないし、被害者が加害者に何かをされる、それが友達になることを提案したりされたりなどありえません。加害することで被害者は人格も人生も破壊されます。 問題提起がこのマンガであっても、考察はその人の人生経験からされるものなので、「たかがマンガで(娯楽物で、創作物で)」とは言えません。彼らは許される存在ではないです、彼らの同類がいくべき場所での仕事をしていますが、彼らの状況を長い時間見てきてやはり強くそう思います。
無題
>か さん
私の精神衛生を考えるなら、もう読まないで忘れるのが一番良いのですが、それではやはり、私の気持ちがおさまらないのです。 バッサリと斬りつけられましたから。 お前はくだらないことに拘泥する病気だ、友達になれない不寛容な人間だ、お前のほうが悪いんだと、このマンガに言われちゃいましたから。 言ってない? 百も承知ですが、私の耳には聞こえました。 バッサリと斬られて、なかったことにして忘れることは出来ない。 追いかけて、そいつがどうなったのか知りたい。 連載版が存在しないなら、犬に噛まれたとかんがえることも出来ましたが、連載版は違う話になっているので、「今回はどんな答えを出してくれるんだ」と気になります。 例え話になりますが、自分をバッサリと斬りつけた犯罪者に対しては「もう一生関わりたくない、怖い、忘れたい」という気持ちがある一方で「なんでそんなことをしたのか知りたい、反省してるのか知りたい」という気持ちもある。だから聲の形のことが「憎い、憎い」と言いながらも気になります。 >AR MAN さん はじめまして。 行くべき場所? 刑務所や少年院などで働いている職員の方、ということでしょうか。 悪いことをした人間を主人公に、贖罪を描く、という主題自体は問題無いと思います。 たとえ人を殺した人間であっても、許される方法がないわけではない。 が、「十分に悪いこと」として描かれてない。 連載版をかんがみても、やはりそう言わざるを得ません。
無題
はじめまして。
同感です。そりゃそうだと思います。 もし連載版も読まれていたらその感想も是非知りたいです。 印象や考えが何か変わったか、何も変わらなかったか、などなど。
無題
>>NO NAMEさん
コメントありがとうございます。 連載版はだいぶ印象が違います。 少なくとも主人公が「友だちになりたがる」気持ちは、読切版よりは理解できる。 主人公の後悔が念入りに描かれているので、やり直しという気持ちも、まあ、分からないこともない。 (それにしたって厚かましい話だとは思いますが) それを相手が受け入れてしまう理由はやっぱりわからない。が、「たんに聖人のようだった」読切版と異なり、複雑な内面を感じさせる。 今度、くわしく連載版の感想を書きます。
無題
この記事を読んで、自分がこの作品に感じていたモヤモヤが分かりました。
いじめられっ子といじめっ子の関係は、被害者と加害者と同じ重いものというスタンスにも同意です。 この漫画の本質は、耳が聞こえないという問題ではなく、前述の被害者と加害者の関係だと思います。 被害者である女の子の主人公に対する態度は現実のそれに比べ、聖人のようなものです。 トラウマを背負った者の気持ちが軽んじられ、いじめっ子である加害者の都合の良い贖罪のシナリオを見せられていると感じます。 多分この記事を読んで、被害者意識の抜けない奴め、と思う方はいらっしゃるかもしれません。 でも、多感な時期に傷ついた心は、大人になってからの傷とは比べ物にならないくらい奥深くでいつまでも残っている事を理解して頂きたいです。
無題
表現がちょっとオーバーな気はしますが私も増田さんの意見に概ね同意です。
同じような印象を受けます。 ただ、イジメっ子が被害者の子に謝罪してその後恋愛に発展していくような展開は、エロ漫画と一緒で所詮漫画でありフィクションなのでそんなに深く考える?読み物でもないかなぁーと思って私は読んでます。 増田さんの激情は漫画じゃなく実際のいじめ問題やもっと真面目な問題の記事に絡めて書けばよかったかもとも思いました。
無題
>くーさん
コメントありがとうございます。 「加害者に都合のいい贖罪」ってのは感じますよね。 被害者の心がないがしろにされ過ぎている。 主人公はたしかに因果応報的に苦しんでいますけど、「自分の意志で償った」わけではない。あれでなんで贖罪完了ってことになっちゃうんだろう。 このブログのコメント欄で「私もイジメっ子と友達になりたかったですよ?」という人がいたので、自分の経験が絶対だとは申しませんけど、聲の形のヒロインみたいなのは、やっぱり「何を考えているのか分からない……」 >通りすがりさん コメントありがとうございます。 エロ漫画の「レイプしたら、たまたま相手が自分のことを好きでした」と同じで、単なる願望充足・娯楽だと言うんなら、あんまり私も傷つかないんです。それをわかったうえで楽しんでいるんなら。 この作品(読切版)に「感動した!!!」「みごとな問題提起だ!」「いじめ問題に鋭く切り込んだ」「傑作だ!」みたいな声が集まってしまったことに、私が傷ついたんです。 お前ら、この作品のご都合主義がわからんのか、と。
無題
じゃあそもそも登場人物たちの顔が可愛いかったりカッコよかったりする時点で欺瞞なんじゃないですかね
もっと写実的に!もっとブサイクにせよ!とか
無題
>名無しさん
いやあ、「顔が美しいこと」と「聖人であること」は欺瞞のレベルが違いますよ。 顔が美しい女の子なんて、クラスで一人二人はいますけど、聖人はいませんもの。 目もくらむような美男美女だったら限度を超えてる(そっちが漫画の主軸になってしまう)けど、聲の形の硝子たちがそこまで美しく描かれているわけではない。 「いかに人間が暴走してイジメを行うか、加害者と被害者双方の心にどんな傷が残るか」、という話をやりたいなら、外見は「ちょっと好感を与える程度の、平均よりも少し上くらい」に設定するのがいいのではないかな、と思います。 読んでもらうため、興味を持ってもらうための必要な配慮です。登場人物の外見を不細工にしても、私は喜ばないですね……それで私の何かが救われるわけではない。
読み切りだけではわからないこと
迂闊なことを言わないためにも1,2巻を読んでからコメントします。
聲の形の主人公と西宮さんはただのいじめっ子いじめられっこの関係ではなかったと思います。 西宮さんによって壊された日常を"仕方ない"で済ませる先生や周りにずっと疑問を抱いていた主人公は本心を出さない西宮さんがどうなるか、ということを考え始めてクラスを巻き込んで率先いじめをしていました。 そして西宮さんは全てをいじめだと感じ取っていたわけではないと思います。不穏な空気や佐原さんが登校拒否になったこと、先生に呼び出された主人公を待って謝ったことから自分が耳が聞こえないから周りに迷惑がかかっている、申し訳ない、とおもっていたと思います。だからこそ西宮さんは自分を見ようとしている(やり方は悪いですが)主人公ともっとどうにかして話したいと思って手話で友達になろう、と伝えたのではないでしょうか。(もちろんそれは当時の主人公には伝わらず後々主人公が手話を覚えてわかることですが) 補聴器の一件から主人公がいじめられ始めたのは西宮さんもわかっていたと思います。そして西宮さん自身はそれについても自分に責任があるとおもっていたと思います(主人公の机の落書きをけしていることからもわかります)。 西宮さんは自分を責め続け主人公と対話をしたかった、謝りたかった。主人公はどれほど自分がいじめても(主人公が思うような)本心を言わない西宮さんの気持ちを聞きたかった。 転校直前の喧嘩はお互いの本心を始めてむき出しにしたシーンだと思います。 主人公はその後手話を覚え、西宮さんのあの時の気持ちを僅かながらに理解し、後悔していた。もっとお互いに話せたらと言っています。 西宮さんは自分を責め続けていたから主人公は自分のことを嫌いだと思っていたから 手話を覚えて自分に会いに来てくれた主人公に驚きながらも喜んで受け入れたのだと思います。 加えて主人公は友達になりにいったのではなく謝ってから死のうとおもっていたのですが西宮さんと対面して昔西宮さんから友達にならないかと手話で言われたことを思い出して思わず伝えてしまったのだと思います。 その後のエピソードでも二人はお互いに会いたかった、話したかったとおもっていたことがわかります。 読み切りではいじめの問題提起のような話ですが、単行本を読んでいる限りではいじめのある環境で育った子供達が大きくなってその問題にあらためて向き合う成長の物語であると思いました。 西宮さんは再会してからの主人公の振る舞いで彼を好きになったのですよ。 読み切りだけでは書ききれかったであろう作者の意図が読み取れるので単行本をぜひ読んで欲しいです。 ちなみに私の名前の"主人公の女版"についてですが私も小学生時代人をいじめてそれにより卒業直前に因果応報を受けたものです。私は今だに謝れずに過去にいじめた子から話しかけられて何もなかったかのように話してしまっています。主人公はとても勇気がいることをしたと思います。
無題
>主人公女版さん
書き込みありがとうございます。 単行本の1巻と2巻を読んだので、「主人公がイジメを償おうとしている」ことは理解出来ました。全く償いが足りないと思いますが、それでも真のクズではないとわかり、主人公に対する怒り・憎しみは、かなり緩和されました。 問題は西宮さんです。 主人公女版さんがおっしゃっているように、西宮さんは「自分が単に被害者だとは思ってない」「自分がイジメられたのは、自分がクラスに迷惑をかけたからだ、自分に責任があると思っている」「主人公にイジメの矛先が向いたのも自分のせいだと思っている」。 それは私にも分かっているんです。 だから嫌なんです。 徹底的に自罰的で他人を憎まない、イジメる側にとって都合のいいキャラクターとして設定されていることが許せないんです。 「親に虐待され、監禁され、性的暴行を受けている」という設定に置き換えてみればわかります。 そんな目にあっても「私が殴られるのは、怒らせてしまう私が悪いんだ」などと言い出すキャラクターだったら? そして、その態度が、世間では美談として受け取られていたら? ぞっとするものを感じませんか? 私が感じているのはそれに近い感情です。 主人公がイジメをやったことよりも、西宮さんがそれを許すキャラクターとして描かれていることが、なんとも許せません。 「なぜ、なんでも自分のせいにする人格になってしまったのか」というのも、単行本を読めば想像はつくんですが、(母親のせいでしょいう)理解しても嫌なものは嫌です。
無題
このブログ主がキモい。ブサイク=容姿に障害があって、性格もひねくれてて、スクールカースト底辺だったんだろ。メンヘラ臭ぷんぷんだしな。幼女をレイプする性犯罪者のオッサンと、何の関係があるんだよ。
子供の残酷さ、障害者が普通高校に通う問題点、いじめはよくないが、自分の都合で他人に不利益を強要して当然と考えてるモンスター障害者親は問題。障害者は支援学校に行きべきなのは本当だよ。税金と他人の時間を奪って当然という傲慢さにまで切り込んでる。そういうとこを全然読み取れずに、レイプーレイプーと発狂してるだけ。 あんたの性的妄想と被害妄想がキモい。よくレイプレイプそればかり書けるね。下品すぎ。高齢処女か、夫しかしらない専業主婦でセックスレスなの? まぁコミュ障のメンヘラみたいだし、お薬飲んでお大事に~
無題
>主に呆れたさん
私は確かに最底辺でしたから、このマンガに怒っているわけですが、でも 男ですよ男! 高齢処女って言われたのは生まれて初めてですよ!w あと、「西宮さんがイジメられたのは、母親のエゴが原因という面もある」という意見でしたら、「そりゃあ、その通りだな」という感じで、概ね同意します。母親はひとりよがりな人間として描かれている。髪の毛を強引に短くしようとした一件だけで、それがわかる。 しかし、そんなことは論点から全く外れている。 私が気にしてるのは、「西宮さんはイジメたやつを憎んでいない」という「イジメた側にとって都合がいいキャラクター造形」なんですよ、この一点なんです。 イジメの原因が、西宮さんの障害にあるのか、西宮母のワガママにあるのか、主人公の人格にあるのか、というのは、このさい問題にしていない。
初めまして
初めまして。srと申します。
ブログ及びコメント拝見させていただいて 増田さんの仰ってることには自分的にも感じるものがありました。 全肯定するわけではありませんが 『過去に縛られるお前はアホ』 みたいに言われてるみたいで嫌だなという感覚はわかるつもりです。 連載を追ってるのでしたら 登場人物の真柴くんに関して 増田さんの意見を聞いてみたいです。
無題
>srさん
書き込みありがとうございます。 全面的に賛同というのは、まあ私も望んでいません。イジメられっ子同士ですら意見は一致しません。わりと世界認識が違う。 でも、「過去に囚われるアホ、と言われるのが辛い」。 いちばんわかって欲しかったところを共感してもらえました。ありがとうございます。 連載は追ってないので真柴くんのことにはコメントできません。単行本を最新刊(5巻?)まで読めばわかりますかね。
無題
>全面的に賛同というのは、まあ私も望んでいません。イジメられっ子同士ですら意見は一致しません。わりと世界認識が違う。
受けたイジメの程度もありますしね。 人によって防御力も違いますし。 >でも、「過去に囚われるアホ、と言われるのが辛い」。 >いちばんわかって欲しかったところを共感してもらえました。ありがとうございます。 せめてね、相手を憎む権利くらい認めろよって思うんですよ。 >連載は追ってないので真柴くんのことにはコメントできません。単行本を最新刊(5巻?)まで読めばわかりますかね。 わたしが見てほしいのは6巻までの真柴君です。 もし増田さんがネタバレOKで もう少し私に付き合ってくれるなら私が感想を求めた経緯を説明させていただきますがどうでしょう? めんどうでしたらいいです
無題
>srさん
>相手を憎む権利くらい認めろよ イジメっ子側の人間に「さっさと前に進め」って言われるとホントかちんと来ますよね。 同情しろとか、復讐させろと言ってるわけでは無いのです。心の中くらいは自由にさせて欲しいですよね。 >説明させていただきますが お願いします。 ネットで検索したら、「真柴は、教師になってイジメの復讐をしたい」とか出てきますけど、それは聞きかじりの知識ですから、ちゃんと教えてもらったほうが良いです。 お願いします。
無題
記事を読みとても共感しておりました。共感したからこそ余計なお世話ですが、コメントさせて頂きます。
自分も過去にイジメをうけました。こういった表現は語弊があるかもしれませんが、イジメの原因やきっかけの大半はいじめられる側にあると考えています。またきっかけがいじめる側の感情などから始まるケースに関しても、数ある人の中から弱かったりする人間である為に「はけ口として選ばれる」わけです。ここが「親に虐待され、監禁され、性的暴行を受けている」という支配的であるため子供側よりむしろ大人に理由があるケースや偶発的に事件に巻き込まれたケースと決定的に違うのかと考えております。表現が難しいですが、コミュニケーションの末発生した問題ではないはずです。 悪いのは間違いなくいじめた側です。しかし、第三者的な目線で見るといじめられた側にも理由はあります。そこに際し、原因を考える事。そしてその原因に向き合う事で、憎しみよりも自分の未来の身の振り方や考え方行動に昇華する事は「気持ちの悪い事」ではないと考えます。 自分の場合は内気な事と外見などが原因でした。イジメに対しての行動は割愛しますが、自分が受けたイジメは自分が変わる事で収束しました(これはやはりイジメの程度が低かった為です)。結果、自分にあった原因(内気で目を見て話さなかったなど)の認識と「人の痛みを知り優しくなれた」と経験を消化する事で、イジメの行為者に対しての憎しみは残りませんでした(恐怖心や人に嫌われる事に対する多少の強迫観念は暫く残りました)。おそらく他の学校にいても同様の状況になった確立は高かったと思います。仮にいじめた側が「原因は向こうにある」と言い出すのであれば許される事では無いですが、これはいじめた側ではなく自分自身の問題です。それはいじめた側にへりくだり都合が良い状態になっているのではなく、自分の為に考えた結果です。自分は「自分の非」を自分の為に受け入れました。 本作品では同様に硝子が憎しみの意思表示をしなかった理由が描写されている場面があります。現実でもそういった考え方をするケースはあると思います。それが違和感を払拭するかは分かりませんが、私は本作品に共感する部分が多々あったので2巻以降も是非読んで頂けたらなと思いました。 おっしゃっている通り、自殺に至ったり比較にならない過酷なイジメに関しては自分とは状況が全く異なるため一括りに出来ません。被害者の心中として憎しみや復讐心が残るのは当然であり決して間違ってはいません。ただ、自分の為の考えは相手の利とイコールではありません。自分にも原因があったと自覚したうえでも、相手の行動を糾弾する事はいくらでも出来ます。自分の行いを省みる事をもっと気楽に捉えても良いのではないでしょうか。 長文失礼致しました。
無題
>あ さん
頭を落ち着けたいので、少しコメントに時間をください。 いまちょっと頭に血が上っているので冷静な文章が書けません。
無題
>あ さん
レス遅れました。書き込みありがとうございます。 「イジメた相手を恨み続けるだけでなくて、自分にも原因があったと考えて行動を改善したほうが、自分自身のためにもなる。相手を利することが目的じゃなくて、自分のためになるから、そのほうがいい」 ということですね。 一理あると思いますよ。 私こないだスクーターを盗まれたわけですが、「頭の中は犯人への憎しみでいっぱいか?」というと、決してそれだけじゃなくて、「もっと防犯対策をやっていればよかった。油断があった」という反省もあり、ある意味では「学習できてよかった」とも言える。そういうことを考えずに「俺に非があったというのか! 悪いのは百パーセント犯人だ。防犯の不備を指摘するものは俺の敵だ」という態度が、良い態度だとは思えない。 でも、ものには限度がある。「バイクを盗まれた」ではなく「家族を皆殺しにされた」ならば、「自分にも非がある、学習できてよかった」なんて考えになるのはあり得ない。 イジメといっても「バイク泥棒」「家族を皆殺しにされた」どっちに近いのかは、場合による。 私の目には、主人公たちがやったイジメというのは「家族皆殺しに近い」と見える。 とてもポジティブシンキングで乗りきれるものじゃないし、もし乗り切ってしまったら悲劇だと思います。 まあ、2巻以降をちゃんと読んでみます。 なぜ硝子が、相手を憎む方向に行かなかったのか、書いてあることを期待します。
私は言いたいこと
今日学校の図書館で6巻まで読んで、速攻帰りに本屋で全巻買って帰ろうと思い、2、3巻が売り切れだったためにやむなく断念したような高校生の意見です。このブログを見たのも、本屋の見出しに「賛否両論の衝撃作!」とあり「え?否定論なんかあるの?逆に気になるんだけど」と思ったから、そんな立場からのコメントだとご理解ください。
ブログ主さんの言いたいことはなんとなくわかります。ただ、当たり前ですが完全には理解できません。私はあなたではありませんから。同時に、あなたはヒロインの、というより作者の描く世界を完全に、どころか全く理解できないはずです。それは、あなたと作者のいじめられる側に対するイメージ及び実感が対極に位置するからです。(このブログを見る限り)この意見の相違はどうやったって解消できるものではないということは、あなた自身がいくつものコメントに対する返信で示しています。「私はそれでは納得できない」と。それを非難するつもりは全くありません。だってあなたの目的は「こえのかたち」を肯定する人を攻撃することではないからです。あなたは大変分別のある方だ、このブログの、あなたのできる最大限のことが「反対意見というものがこの世にあるのだ!」と爪痕を残すことだと頭ではっきりわかっている。(文面は若干感情に流されているように見えますが)ならその先もわかっているはずです。この漫画はというより、創作物というものは、作者の考えうる可能性、を世界に魅せるものだというのだということを。 えっと、グダグダですが、なんでこんなことを書いたかというと、あなたの目的はしっかり達成されていますよ!ということを伝えたかったのと、でも私はやっぱり共感できないな、ということをあなたに伝えたかったからです。以上です。(この漫画が図書館にあるなんて!許せないっていう返しはやめて下さいね、不毛なのでw)
無題
>私「が」言いたいこと
まとまりもオチもなくてごめんなさい! それと、「こえのかたち」を読んで、世の中のいじめられっ子ってこうなんだ!って思ってしまうような、愚かっぽい人は、これまた、ヒロイン並みにさほどいないと思いますよ。ネットのコメント(数)は現実の写し鏡ではないですし。ただ、お話はお話しとして楽しめる、そんな人は減ってきてるかもしれませんね...攻撃的な人が増えた気が。まあブログ主さんはそうでないようなので安心して読めましたが。
無題
>じんさん
コメントありがとうございます。 >それは、あなたと作者のいじめられる側に対するイメージ及び実感が対極に位置するからです。 ようするにそういうことなのだと思いますね。 この相違が「イメージ」なのか「実体験として、私の知っているイジメと作中のイジメは違うものだ」なのかは分からないし、「どちらが正しくてどちらが嘘吐きなのか」もわからない。 「人それぞれ」だけでは思考停止なので、一歩進みたいところです。 >この意見の相違はどうやったって解消できるものではない うーん…… いや、相違を解消する糸口はあると思うんですよ。 「なんでこの作品が許せないのか」って理由を考えると、ひとつは「イジメっ子が十分に罪を償ってない」だけれど、これは連載版で多少は解消された。もうひとつは「イジメられた側が、相手を何年も恨んだりせず、許してしまう、その人間性が許せない」。反発を承知で書くと私は後者の方に強い怒りを感じている。 「自分と同じ被害者」を憎むなんて完全に倒錯してると思うのですが…… なんでこんなに硝子が(硝子の聖人ぶりが)許せないのかと考えると、理由は「世の中に間違ったイジメのイメージを広めるから」「イジメが許される世の中になってしまうから」というのも強くあるんですが、他には「イジメのことを許して幸せになれる人間が、妬ましくて仕方ないから」というのもあると思いますよ。自分に全くできないことをできてしまう人間に対しては、妬み、恐れ、戸惑いなどがどうしても発生します。 だから、「硝子はなぜイジメのことを許せるようになったのか」「生まれついての性格なのか、昔は憎んでいたけど何らかの理由で変わったのか」を知りたいのです。 もともと私と違う種類の人間だというなら仕方ない。しかし何らかのキッカケがあって変わったなら知って理解したい。私が硝子のようになれるとは言わないが、頭だけでも理解して、溝を埋めることはできる。 >それと、「こえのかたち」を読んで、世の中のいじめられっ子ってこうなんだ!って思ってしまうような、愚かっぽい人は、これまた、ヒロイン並みにさほどいないと思いますよ 「イジメられっ子って硝子みたいなんだ」とは思わないでも、「硝子みたいになるべきだ」(相手を許して新しい関係を築くべきだ、できないお前が悪い)」と思ってる人は、残念ながらたくさんいるんですよ……数えきれないほど会ってきました。 まあ、そんな感じで、意見が合わないのに読んでいただいて、じんさんには感謝しています。
無題
>もともと私と違う種類の人間だというなら仕方ない。しかし何らかのキッカケがあって変わったなら知って理解したい。私が硝子のようになれるとは言わないが、頭だけでも理解して、溝を埋めることはできる。
そうですか。すみません勝手に決め付けてしまって...なんだか、(こう書くと怒られるかもしれませんが)コメントされるたびにあなたの漫画に対する評価がはからずも上がっているようにみえますね(笑) 先月7巻で完結したようなので、連載版の感想も是非読ませていただきたいです。
無題
>じんさん
>コメントされるたびに評価が上がっている 「評価」というより「期待」ですかねえ…… 私には見えないだけで連載版は「硝子はなぜああなったのか」ちゃんと描いているのかもしれない、という。 連載終盤をちらっと読むと「イジメの話ではない、という結論なのかな」という感じなのですが。 (何度もいってますが)7巻まで通して読んでみますよ。
無題
かなりの遅レスですが、過酷な経験からの熱のこもったこの記事、好きですね。
いじめが立派な犯罪である事には至極同感です(そもそもいじめという名前が云々……)。 いじめっ子が自己満足の為にいじめられっ子と仲直りするのはただひたすらに嫌悪感を覚えます。大袈裟に言えば、コンクリ事件の犯人が今のうのうと幸せな家庭を築いているのと同じような胸糞悪さです。 しかし、ヒロインがただの都合の良い存在(肉人形)になってしまうのは商業の摂理です。 それが嫌な人には、個人的に新都社含むweb漫画がオススメですね。それでも、暗く辛い体験をした人達からすればまだ序の口レベルのアングラ感しか無いかも知れませんが。 私のオススメはシーチキンです。面白いので、リンク貼っときます。 ttp://inutoride3103.blog118.fc2.com/blog-entry-1.html ただ俗世間的に人気なものは世間的マイノリティからしてみれば薄っぺらく感じるのは当然なんですよ。 管理人さんは何処か憤り、疑問を感じつつも、能動的に多種多様な作品を理解しようとしているのでしょうが、それはある意味尊敬しますし、ある種迎合出来ない行動です。 自分は合わない作品、虫唾が走る作品はすぐ切り捨てるタイプなので……一応食ってから嫌いになる癖はつけてますが。 特に鈍色の青春を送った身としては、学園モノが見れなくなりました。如何にもこうにも、御都合主義アレルギーのようです。管理人さんは、多少合わない作品も幅広く見ておられるよう(この記事を見る限り)で、ここが人と人との違いと思うと面白く感じました。 出来る限りのネット断ちをして精神を療養する日々ですが、昨日は安堂なつみの命日だったので、久々になつみを見て心が潤いました。 そして、久しぶりに昔のブックマークを辿ったりしていたら、消えて無くなってしまってるサイトがとても多くて哀愁を感じ、廃墟巡りの良さが身に沁みました。 そのブックマーク巡りで管理人さんのブログを見ていたら、いじめ関連の記事にとても共感し、コメントした次第です。 コメントで伝えたいのは、このような記事で気持ちが少し楽になった私がいるという事です。お身体気をつけてくださいね。
無題
>貧困の民さん
書き込みありがとうございます。 >個人的に新都社含むweb漫画がオススメですね。 新都社ですか。「オナニーマスター黒沢」が連載していたところですよね。あれもイジメを扱った話で、イジメられっ子と和解する展開もあるのですが、「聲の形」と違って反発は覚えませんでした。なんでですかね? >特に鈍色の青春を送った身としては、学園モノが見れなくなりました。 そういう人はよく見かけますよね。 私もひどい学生時代でしたが、私の場合、学園モノは自分と切り離して(非現実的な設定であるほど)読むので、苦痛ということはありません。 むしろ「平凡なサラリーマンが妻子を守るために奮闘する」みたいな物語を楽しめなくなりました。 自分のリアル生活と較べてしまって「こんな幸せな奴には感情移入できない」みたいな。 はるか遠くに失われたものは絵空事として楽しめるけど、近くにあるけど手が届かないものは楽しめない、みたいな。 >お身体気をつけてくださいね。 ありがとうございます。
無題
[貧困の民]さんが仰ってる通り、西宮硝子は主人公にとって都合のよい肉人形でしたね
あれを理想的かのように描かれている現実の障害者・いじめ被害者・自殺願望者はたまったもんじゃないと思います 主人公にとって都合の良い理想論だけを語った漫画でありました
無題
>ときどさん
返信が遅くなり、申し訳ありません。 >現実のいじめ被害者はたまったもんじゃない そうですよね。 もっとも、イジメ被害者と言っても色々らしく、他人とはなかなか意見が合いませんが…… 前言を翻して悪いのですが、やはり私としては、「最後まで読んでも、作品とヒロインを好きになれなかった」「イジメ正当化という最初の印象が消えない」という結論です。 だからといって、「聲の形」が好きだという人に対し、こっちから噛み付くつもりはありませんが。 しかし、このマンガって、イジメ問題だけでなくて、ものすごい差別的な思想が出てくるんですよね。 「硝子が障害者になったのは前世で悪いことをしたから」って…… そりゃ、このセリフが肯定的に描かれているわけではありませんが、ふつう悪役のセリフとしてすら書けないのでは。 編集部が守ってるんだなあ、と。 このマンガが大人気を泊する一方で、私の目には問題がないと思える作品が差別だ不謹慎だと叩かれる、理解できない世の中です。
少し言いたいこと
2年近くの遅レスですが、すごく感情のこもった記事ですね。
先日漫画喫茶で一巻を読み、すぐに全巻そろえ読み終え、この作品に対する感想を漁っていてこのブログを見つけました。私の感想としては、登場人物の心理描写が丁寧で良くまとまっているなと感じました。私は凄くいい作品だなと思ったので、ブログ主さんの否定的な主張について思ったことを少しコメントします。 ブログ主さんがこの作品について否定的な意見を持っている理由として、いじめは犯罪でレイプうんぬんの話が出ていますが、これは少し無理があるのではないかと感じました。この例えは極論すぎると思います。逆の例を挙げると、筆箱に入っていた鉛筆を全部折られた、といういじめがあったとすると、あなたの論理からするとこれも立派な犯罪になりますね。この場合、あなたはどう感じるでしょうか。レイプうんぬんの場合と同じでしょうか。 この作品で扱っているいじめというのは世の中に多々ある中の単なる一例にすぎないのです。ですから、極論を持ち出して批判するのは少し無理があると思います。 また、あなたは友達になろう思想がうんぬんとも書かかれていますが、どの描写からそのように感じたのでしょうか。この作品にそのようなメッセージ性があったとしたら、すごく残念に思います。 私は作品に対して極論や一般論をあてて議論や批判をすることにあまり意味があると思いません。それは作中の登場人物たちには全く関係のない話なのだから。彼らにとってはあの作品の中がまさにリアルなのです。私は聲の形は心理描写が丁寧で非常にリアリティのある良い作品だと思っています。『こんな話があっても良いじゃないか』。そう考えて作品と接すると、別の見方も出てくるのではないかと思います。 ここまで書いたことはあくまで作品の読み方の違いについてです。私も島田君や川井さんについては多少嫌悪感を覚えますしね。
無題
>一気読みさん
すいません返信が遅れました。 忙しくてネットを見ていなかったので。 >この場合、あなたはどう思うのでしょうか レイプと同じだと思いますよ。 法律ではもちろん違う犯罪ですけど、やられた人間の心としては同じです。 >どの描写からそのように感じたのでしょうか 読み切り版だと、主人公が硝子ともう一度友達になりたいと願い、それを硝子が受け入れてしまう、という、話の流れ自体です。 連載版だと、主人公は「償いをしたい」という動機を持って硝子に近づいているので、私は主人公に対しては、読み切り版ほど反発していません。 >彼らにとってはあの作品の中がまさにリアルなのです。 その通りですが、彼らをああいう人間として創りだした作者というものがあり、それを支持する読者というものがあります。 イジメを許容して友だちになるという、どうしても許容できない設定や物語を創りだしてしまった作者が許せない、それを支持する読者の絶望する、というのも私の自由です。 一気読みさんの言ってることは、たとえて言えばこういうことです。 「人種差別が当たり前」の世界を舞台にする漫画があったとして、主人公が「あいつらは劣った人種だ」といって人を殺しまくる。その差別に対して他の登場人物が異を唱えない。唱えても論破する。それどころか登場人物たちは殺されるのが幸せという態度をとる。物語全体も「劣等人種を殺してハッピー」というストーリーになってしまう。 とまあ、そういう漫画があったとして。 あなたは、こう弁護しているわけです。 「このマンガに対して一般論で差別だということに意味はありません。作中の彼らにとっては差別するのがまさにリアルで、現実世界の倫理観など関係ないのですから」。 その通りで筋は通っていますが、でも「差別が当たり前の世界を作った」作者、支持する読者に反発し、非難するのも自由ですよね? 架空世界の中のことですから、「禁止しろ」とは言いません。でも「俺は許せなかった」というのは自由です。 いっそ「人種差別が当たり前で、殺してもOKの世界」であれば、フィクションだとわかるからマシかもしれません。 しかし「聲の形」は、ファンタジーやSFではない、異世界ではないという振りをして、「イジメても友だちになれる世界」を作者が作っている。 これは作り話なんですよ、というサインが示されていない。だからもっとヤバイんじゃないか、と思います
無題
私はブログ主さんに無茶苦茶同感ですよ…‥犯罪なのにね本当…こんな漫画が映画化までされちゃったよ…
無題
ブログ主さんの映画の感想が聞きたいですね。
無題
>NONAMEさん、ファブリーズさん
劇場版・聲の形について、私と同じような意見の人が、けっこう出てきているみたいですね。 私がいちばん最初に「聲の形」を批判したのは3年前ですから、そのあいだにいろいろと自分の意見が整理されました。 3年前と全く同じ意見ではない。 だからいろいろ書きたいんです。 でも地獄のように仕事が忙しくて…… 必ず書く! 必ず書く!
無題
色々と書いてるようだけど、要するにますださんは「自分はいじめた奴らを許せないのに、西宮が許せるのが認められない」ってだけですよね?
はっきり言って、最初のkitaさんとの会話で結論出てますよ。 貴女とkitaさんや西宮の体験したいじめは同じものではないし、いじめに対する考え方も違うし、悩み方も違うし、解決の仕方も違う。 それなのに、自分と同じでいじめっ子を恨み続けてくれないと嫌だ!と自分の願望を押し付けてるだけです。
無題
>侍従長さん
「私は許せないのに、西宮が許したのが嫌だ」というのは私の本音なんですが、「嫌だ」だけで終わったら意味が無いので、もう少し「なんで嫌なのか、どう描けばOKなのか」を書いてみますよ。 「押し付けてるだけだ」とおっしゃいますが、逆に私こそ「許せ」という考えを何十年も押し付けられてきた人間ですし、この世の中全体に「イジメを許せ」という考えが満ち溢れているもので…… 私が壊されるのを防ぐために、少しくらいは反撃させてください。
無題
反撃ってなんですか? 「聲の形はいじめられた人間の辛さも知らずにいじめを許せなんて主張して私を傷つけた、だから反撃するんだ」とでも言いたいんですか?
聲の形は「いじめを許せ」なんて主張はしていませんよ? 完全にあなたの勘違いです。関係のない漫画やアニメに八つ当たりはやめましょう。 西宮は石田を許したから友達になろうとしたんじゃないんです。 あなたの問題点は自分、つまり「いじめられた健常者」の視点でしか考えず、kitaさんや西宮の様な「いじめられた身障者」の心理を理解どころか想像しようとすらしていない点です。 kitaさんの発言に対して「誰も助けてくれなかった」「謝って貰えなかった」「命の保証はなかった」なんていう不幸自慢をしてないで、もう一度しっかり読み返して、彼らが何に苦しんでいるのか考えてみましょう。 そうすれば、西宮が強さや優しさではなく、もの凄くネガティブな精神と思考から石田と友達になろうとしたことが理解できます。
無題
追記
誤解しないで頂きたいのですが、私は別にますださんの「いじめた奴らを許せない」という感情を否定しませんし、むしろ正当なものだと思っています。 もし貴方に対して、いじめられた人間の辛さを知りもしないで「いじめっ子を許して友達になれ」なんていう奴がいたら、ぶん殴ってやるべきです。貴方が抱く怒りは正当なものです。 ただ、貴方は聲の形という作品の内容やキャラクターの心理を正確に理解できず、「いじめを許せ」なんてふざけた主張をしていると誤解している。 私はその誤解を解きたいと思っているのです。
無題
私が怒っている
少なくとも読みきり版の話では、なぜ西宮が許したのか全然分かりませんよ。 いじめを無条件で許せと言ってるようにしか読めませんね。 連載版では許した理由、 正確には、「最初から憎んでいない理由」が描いてありますね。 私が怒っているのは主に読み切りについてです。
無題
連載版の話では
さらに言えば、反撃というのは作品に対してではなく こえのかたちでは許してるから、だからおまえもいじめを許せと強要してくる人々ですね。
無題
西宮がいじめを憎まなかった理由というのは、
自分の障害のせいで母親が苦しんできたから、 自分さえいなければ、という、生まれて来たことに罪悪感を持っているせいでしょう。 自尊心が弱すぎる。 それは連載を読めばわかる。
無題
なんだ、ちゃんと西宮の心情を理解できてるじゃないですか!
あれ? でも「西宮は許していない」ことを理解してるのに、どうして「私は許せないのに、西宮が許したのが嫌だ」というのが貴方の本音になるんですか? 読み切り版を読んだ時「いじめを無条件で許せと言ってる」と自分が誤読したからですか? その後に、描写が詳細になった連載版で西宮の心情と作者の意図を理解できたのに、読解力のなさから作者に見当はずれな敵意を抱いた自分を反省もせず、なんで未だに読み切り版に敵意を抱き続けるんですか? 「作者の描写不足のせいだ! 誤読されて当然だ!」と「他人のせい」にしてるんですか? 私は読み切り版でも西宮の心情は十分に理解できましたけど? それに、反撃したい相手が「聲の形を出汁にしていじめを許せと強要してくる人々」だというのなら、聲の形には恨みを抱く必要はありませんよね? ただ利用されてるだけなんですから。 その読解力のないお馬鹿さんたちに「聲の形はいじめを許せなんて主張してない」と言い返せば済むことですよね? なのに何故「聲の形はイジメっ子の自己正当化マンガ」なんて、自分でも明らかに間違ってると分かってる中傷をしてるんですか? 貴方いったい、誰と戦ってるんですか?
無題
ブログに対する批判が悪いこととは思いません。それでも批判の前には、文章の書き手が何を主張しているのか、逆に何については主張していないのかを落ち着いて理解する努力はするべきと思います。
無題
>侍従長さん
あなたは 「作品には作者のこめた意図があり、 その意図は唯一無二の正解である。 その意図と違う読み方をして不愉快になった場合、 それは誤読であって、責任は誤読した側にあり、作品を攻めるのは筋違い」 という考えのようですが、私は「それは無理があるだろ」と考えます。 公に発表された段階で作品は「読者みんなのもの」であって、解釈は自由。 作者が込めてない意図を発見する人がいるのは仕方ないことで、それを「読解力がない」の一言で切り捨てるべきでない。 作者に悪意がなく、善意であっても結果として差別になってしまう作品はあるでしょう? それに対して悪意はなかったと言っても通らないですよ。 つまり、「聲の形」を読んで「イジメの正当化漫画」と感じた人が大勢いた以上、作者がそれを意図していなかったとしても、「イジメの正当化漫画という一面を持ってしまった」のだと思います。
無題
それから、私は、作品を責めているだけであって、作者を「悪意ある人物」として責めているわけではありません。
一番最初に、読み切り版を読んで怒った時点で、私はこう書いています。 このマンガの作者は「警鐘」や「問題提起」のつもりで描いているのかもしれない。 でも私の目には「イジメっ子の自己正当化マンガ」に見える。 「作者に、イジメ正当化の意図がなかったとしても、結果としてそうなっている」という怒り方です。 それに対して「作者はそんなこと意図してませんよ」って言っても「だから何よ」ってなもんです。 私が批判しているのは、結果として書かれた作品自体であって、作者の意図なんてものではありません。
無題
更に言うと、読み切り版には西宮の心情なんて全く書いていなかったと思うのですが。
あれを読んで「西宮は自尊感情が壊れていて、常に自罰的であり、他人を憎めない人である」という解釈が、なぜ出来るのか知りたいです。そんなこと、どこに書いてあるのかと。 読み切り版だと、「なぜか許してしまう、イジメた側に都合のいい人間」として描写されているにすぎないでしょう?
無題
ある作品に関して、「自分の読み方だけが正しく、自分と違う読み方をしたものは、読解力がなかっただけである」と言い切るのは、攻撃的な態度です。
自分と異なる意見のもの全員を馬鹿扱いしているわけですから。 いっぽう私は最初から「私には、思える」という保留付きの書き方をしている。 自分のブログで書いているだけで、他人の庭では一言も言ってません。 異なる意見を封殺するような態度をとらないよう自重しているのですが。
無題
あなたは、「意見の相違ではなく、客観的事実として、聲の形はイジメ正当化漫画ではない」「読み切りの時点でそうであった」と主張しています。
ならば、「読み切りの時点で、西宮がイジメを憎まなかった理由が十分に描写されている」ということを、ますだに納得させないといけません。 「ますだの誤解」とやらを解くためには、それが最低限必要です。
無題
私の方でも、「本当に激怒しているのは読み切りに対してで、連載版を読んで意見が変わった」という表明が足りなかった。
言葉足らずで、今でも作品を憎んでいる、という印象を与えてしまった。 だからいちど、今の時点での私の意見をまとめて書きますよ。
無題
ますださん、「物語の内容を理解する」ことと「物語を批評する」ことは同じではありませんよ?
物語の内容に干渉できるのは作者のみで、読者が内容を変質させることはできません。 「公に発表された段階で作品は読者みんなのもの」。その通りです。でも貴方は意味をはき違えています。 「読者みんなのもの」というのは「みんなが好き勝手内容をいじくっていい」ということではありません。「みんなに共有される」という意味です。 謂わば美術館に飾られた絵画です。みんなが自由に作品を鑑賞することができますが、誰に鑑賞されようと絵の内容が変質するわけではありません。 読者は作品を鑑賞することはできても、その内容に干渉することはできないのです。 その作品の中で作者が描いていないことを「自分はそう思ったから」描かれていると言い張り、あまつさえそれを論拠として作品自体を糾弾するなどと言うのは作品に対する完全な過干渉です。 貴方がやったことは、美術館に飾られ、みんなで眺めて楽しむべき絵に勝手に落書きをして、無惨な有様になった絵を指差し「この絵は落書きだ!」と侮辱するようなものです。 他人の作品を汚さないでください。 更に「人それぞれの解釈」というのは、読解力の無い人がそれを指摘された時によく免罪符に使う言葉ですが、これも意味をはき違えています。 「人それぞれの解釈」が問われるのは、「物語の内容を理解する」段階ではなく、その後の「物語を批評する」段階に入ってからです。 ますださんが主張されるように「物語の内容を理解する」段階で「人それぞれの解釈」がまかり通るなら、どんな不当な批判や中傷行為も容認され「内容を正確に読み解く能力」である読解力というものの存在意義が否定されてしまいます。 「物語を批評する」には、まず大前提として「物語の内容を理解する」ことが必要です。理解できていないものを論評することなど出来るわけがないからです。 そして物語の内容を理解し、各々が作品の評価を下す段階、つまり「自分の意見を論ずる」段階になって初めて「人それぞれの解釈」が行われるのです。 念のため補足しておきますが「理解する」ことと「同意する」ことは同義ではありません。物語の内容=作者の主張を理解するのは批評する上での最低限のことではありますが、必ずしも作者の主張に同意しなければいけないわけではありません。 長々と書きましたが、要約すると「相手が何を主張しているかも理解できていないのに、批判や反論はできない。最低限、相手を理解できるだけの読解力を身につけましょう」ということです。 読み切りを読んだ直後のますださんは、物語の内容を理解できていなかった。作品を論評できる段階に達していなかったのです。
無題
最後に、ますださんが一番気にしている「どうして私が読み切り版の段階で西宮の心情を理解できたのか」を書いて、私の書き込みを終えたいと思います。
まず私は「どうして作者は西宮を聴覚障害にしたのか」と疑問に思いました。 いじめの理不尽さなどを描くなら、むしろ西宮は健常者である方がよかったはずなのに、何故わざわざ身障者にしたのか、そこには必ず作者の意図があると考えました。 そして次に「西宮の立場になって考えて」みました。西宮というキャラクターを理解することが、作者の思考を理解することにつながると考えたからです。 相手の声は聞こえず、自分の声も相手に伝わらない。物心ついた時からそのような境遇で生きてきたら、どう思うだろう。 もの凄い孤独を感じる。どうして自分は普通に生まれてこれなかったのか、と思う。普通に生きられない自分が嫌になる。 自分が嫌いになる。 以上のような思索を辿って、私は西宮が強い自己嫌悪を抱いて生きている、ということに理解が及びました。 これさえ分かれば、連鎖的に後半の西宮の心情も行動の理由も理解できます。 いじめの標的になった石田を、自分をいじめていた相手にもかかわらず、なぜ介抱しようとしたのか。 彼女は「全て自分が悪い」と思っている。自分がやって来たことで、皆に迷惑をかけ、仲の良かったクラスの和を乱し「いじめ」を引き起こしてしまった。 「自分はいじめられても仕方ないけど、石田がいじめられるのは間違っている」という思考に陥っている。 念のため言っておきますが、もちろん作者は、そんな西宮の状態を肯定的には描いていませんからね? この西宮の自罰主義を打破する役目を担うのが石田です。 他者を理解する上で、相手の身になって考えるのは基本中の基本です。ますださんには、「分からない」なら「批評」をする前に理解できるまで考えてほしかったなと思います。 これを機に、ますださんが色々と「考え直して」くれると嬉しいです。
無題
>ますださん
お疲れ様です。 脳が小さく声が大きい人間はゴマンと居ます。 ますださんは辛抱強く分かりやすく全レスされていますが、理解力に乏しい人間に対してはあまり意味が無いかもしれません。
無題
>侍従長さん
仕事が忙しいので、レスは2、3日待ってください。
無題
お忙しいならレスは結構ですよ?
私はもう言いたいこと全部言えましたし、そもそも貴方に「自分が心を込めて書いたものを理解してくれない相手にボロカスに貶される気分」を味わって欲しかっただけですから。
驚きました
はじめまして。
私もこの作品は非現実的だなあと思いました。 こんなに酷いいじめを受けた訳ではありませんが、まずこの展開はありえません。 この手の作品は様々な意見や批判が出るのが当然だと思います。 でも、批判している人も多いのに、なぜか一部のファン?が強烈な作品ってありますよね。 女性向けサイトですが、概ねブログ主さんと同じ傾向です。 http://girlschannel.net/topics/887243/
無題
>侍従長さん
ますだを説得して意見を変えさせるのが目的、では無かったんですか? 最初から「不快な思いをさせるのが目的で、その後の対話はしない」という考えだったら、ただの通り魔じゃないですか。 「聲の形」に関しては、私の方から噛み付いているので、「言いっ放しは良くない、反論や抗議があったら対応するのが義務」と思っているのですが。 そういう動機なら私も対応しません。
無題
>かのんさん
コメントありがとうございます。 そっちのサイトを少し読みました。 「イジメた側に都合が良すぎる話」というのは、やっぱり思いますよね。 西宮がイジメを許した(正確には、許す以前に怒ってない)理由はありますが、それでも感情的に納得は行かない。
無題
スレッドと申しますか、記事のコメント欄が長くなりすぎたので、新しい記事を立てますね。
ちょうど「劇場版 聲の形」観てきたし、一区切りとして。
映画しかみてませんが
映画を20分ぐらいで見てやめました。
いじめのシーンがひどくて。 あんなに健気で可愛い子を集団で いじめるのは見ててつらいですね。 絵柄は可愛いのに。 「イジメという言葉で隠蔽されているが、主人公は犯罪者なんですよ。集団で女の子に暴言を吐き、侮辱し、補聴器を奪って壊し、危害を加えたんです。それも一度や二度じゃなくて、何ヵ月も連続して。」 集団で連続的にやるのはもうおかしいですね。主人公に優しさを感じないというか もやもやしました。人を傷つけておいて、 謝罪はわかりますが、昔のいじめのノートを女の子に渡した時点で見るのを辞めました。 理解できないというか。 あとますださんの言ってることは なんかよくわかるし、現実的ですよね。
無題
>まるおさん
ですよね。 石田が反省して、どうしても自分の罪を償いたいと思っているのはわかるんですが、そんな自己満足に突き合わせないでくれよ。私がイジメられっ子の立場だったら思います。 聲の形という作品は、イジメられっ子もイジメっ子も、どっちも過去にとらわれている存在で、片方だけが悪いという問題ではなく、たがいに囚われている、そこから頑張って脱出せよ、という作品ですよね。 だから、あくまで被害者と加害者は明確だ、という考えの人間(ますだ)としては、受け入れたくないですよね。
無題
>まるおさん
ますだの、「劇場版 聲の形」の感想は、こちらです。 http://masudapenc.blog.shinobi.jp/Date/201610/3/
無題
すごい感情的なひとですね笑私はこの聲の形を楽しんで読みました。今まで読んできて一番好きな漫画です。西宮が恨まないのが不思議と書かれてますが、西宮は嫌な記憶を抑圧するという防衛きせいをするんです。作者のいじめっこといじめられっこは仲良くなれるという思想を押し付けられている。とかかれてますが、物語の終盤で植野が西宮のことを好きになれないと書かれてますし、作者は別に押しつけてませんよ あと西宮がそうしたいからそうしたのであって押し付けられていると思うのは自意識過剰な気が笑
主人公は犯罪者といいますが、確かに第三者から見ればそうでしょう。しかし石田は社会のエラーな存在である西宮を正しく矯正すると書かれてますし、物語序盤の主人公が川に飛び込もうとするときにやってみなきゃわからないといいます。ここに主人公の馬鹿さと無謀さが集約されています。主人公はあのいじめ、恐らくいじめとも思っていないでしょう。あの第三者から見た悪事を悪いと思っていないんです。校長先生から補聴器が壊されたので、保護者の方に連絡をしなければ、の下りで主人公は事の重大さを知ります。無知故に犯した罪なんです。主さんもごんぎつねを勉強すれば聲の形の主人公のことも理解できるでしょう。あとコメントの返信にわからないこともすり合わせができると書かれてますが、多分無理でしょう。本文で西宮と主人公が友達なったのがわからないと書かれてますし、これがわからないなら無理でしょう。無理にすり合わせしようとしなくていいですよ あとコメントを書くときに広告が邪魔でした。
無題
>あおいさん
コメントありがとうございます。 まず一言、断っておきたいことは、この感想は5年前に書いたもので、あくまでも読み切りの感想だということです。当時はまだ連載も映画版も無かったんです。 >物語の終盤で植野が西宮のことを好きになれないと書かれてますし、 連載版の話だと思いますが、「それはわかりましたが、いまは読み切り版の話をしているので関係ありません」。 >あと西宮がそうしたいからそうしたのであって押し付けられていると思うのは自意識過剰な気が笑 西宮は実在する人物でなくて作者が作ったキャラです。「西宮の行動を通じて作者は何を伝えたかったか」という話をしています。 読み切り版の時点では、「いじめは大したことじゃないよ。仲直りできる程度のものだよ」といういじめ矮小化のメッセージにしか見えませんでした。 >本文で西宮と主人公が友達なったのがわからないと書かれてますし、これがわからないなら無理でしょう。 連載版を読めば、なぜ西宮が石田を恨まないのか、友だちになりたがるか、ということは分かるんですよ。 自分の障害が母親に大変な苦しみを与えてきたから、自分が大嫌い、自尊感情が弱い、ということですよね。 だからひどい目に合わされても自分のせいだと思ってしまう。 一言でいえば「母親が悪い」んですが、その母親も「前世で悪いことをしたから障害児を産んだ」などと中傷されて苦しんできた人間である。加害者であると同時に被害者でもある。 それらのことは連載版を読んでこそ分かることです。 連載版では、真柴くんもいますから、「イジメを憎み続ける生き方」も間違いではないと描かれて、思想の押し付けという色は薄れている。 しかし読み切り版では、これらのフォローはぜんぜんされていない、としか言いようがありません。 まあ、「イジメを受けていたけど、この作品は納得できる」という人もいます。 自分の経験に反するから、「ありえない」と決めつけたのは傲慢でした。 私にも非はあると思います。
無題
ああ、それから、広告については私も邪魔だと思っています。
パソコンならともかく、スマートフォンで書き込むときは本当に不愉快ですよね。 近いうちに広告消します。
無題
読み切りのほうでも西宮が主人公に友達になろうとするも主人公がそれを断る、そしてそしてそれを後悔した主人公が西宮と友達になるっれいう流れはありましたよね?このことから西宮が主人公を許す、っていう話ではなく、過去に出来なかったこと失敗したことをやり直せるかという話になります。過去に西宮は主人公と友達になるのを失敗し、主人公は西宮が何を言っているのかわからなかった。そして二人は高校生になってやり直すことが出来たのです。この物語は許す許さないの話ではなく過去の失敗をやり直せるかという話なんです。
無題
>NONAMEさん
コメントありがとうございます。 長くなるので、明日返信します。
無題
主人公は自分が西宮にした仕打ちは間違いだったという考えに変わった。そして間違ったままでいたくないと思った。そこで具体的な行動として、手話を学び、池から拾ったノートを持って数年後、西宮に会いに行った。西宮は拒絶しなかった。さあ、ここからどうなるのでしょうね? というのが読み切り版のお話です。
この西宮が拒絶しなかったことをもって、「加害者の願望」とか「イジメを軽く見てる」とか批判されてますが、あのシーンでは主人公を許すとか許さないという表現は一切使われていません。それは当然で、あれは主人公の視点ですから、西宮の心の動き、何をどう思ったのか、ということは分からない。分かるのは拒絶されなかったということ、だから断絶ではなく物語が始まるということだけです。 そもそもこの漫画のテーマはイジメではなく、「人と人のコミュニケーション」ですから、各シーンはあくまでも視点キャラから見た世界である、ということは徹底されていると思います。 ここが理解できていないと、「西宮は何でイジメた奴と友だちになりたがる? すぐ許す? 理解できない! 作者がイジメを正当化しようとしているからだ、お友だち信仰を広めようとしているからだ、けしからん!」となってしまう。 分からないのは当然で、描かれてませんから。主人公がテレパスでもない限り、他人の内心は分からないということです。
無題
>NONAMEさん
なんで西宮が友だちになろうとしたのか描かれていなかったので、「血の通った、自分の頭で考えてる人間」には見えなかった、ということなんですよ。 作者の思想を宣伝するための操り人形、スピーカーだと。 >ouさん コメントありがとうございます。 拒絶されないのがおかしい、と私言ってるんですけど、伝わらないですか? 私だったら拒絶しますから。 私の知っているイジメられっ子ならば、恐怖と憎しみだけしか、相手に対して感じないはずで、その苦しみを描いてくれなかったので、「私の心は踏みにじられた」わけです。 あなたと違う種類のイジメられっ子だっているんですよ、という主旨のことを、みなさんえんえんと私に諭していますよね。 まあ、それは、頭では理解できたけれど、「連載版を読んだら理解できたけど、読み切り版を読んだ時の私には理解できなかった」。 登場人物の行動が理解できないなら、理解できないままにしろ。悪意があるみたいな想像はやめろ。 ということを言いたいのですか? でもそれは嫌ですね。
無題
なんでそういう行動を取っているのか理解できない登場人物に、感情移入できないというか、「人間だと認識できない」。
それは仕方ないことです。 たいていの人は、(理解できないことが魅力になっているキャラもたまにいることは認めますが)、そういう読み方をしているはずです。だから動機や心情表現が重要だと言われるのです。 そこを我慢しろというのは、作品に対して好意的すぎる。アバタもエクボという奴では? 私は、わたしの苦しみを汲みとってくれなかったという時点で、聲の形に敵意を抱いている。悪い方に悪い方にしか解釈できない。
無題
>なんでそういう行動を取っているのか理解できない登場人物に、感情移入できないというか、「人間だと認識できない」。
それは仕方ないことです。 たいていの人は、(理解できないことが魅力になっているキャラもたまにいることは認めますが)、そういう読み方をしているはずです。だから動機や心情表現が重要だと言われるのです。 私は「聲の形」の心情表現は一定以上のレベルに達していると思います。 あなたが、この作品は心情表現が不足しているというのは、事実として不足しているのではなく、「いじめられっ子だった自分が納得できる心情表現がされていない」という意味であり、要するに「いじめられっ子を慰めてくれないこの作品が憎い」というのを言い換えてるだけではないですか? おっしゃるように「聲の形」はいじめられっ子慰撫漫画ではありません。 イジメを題材として作品内に取り入れたからには、いじめられっ子の気持ちを忖度して、彼らが慰められる、溜飲を下げられる描き方をしなければならない、という法はないので。 たとえば、もっといろいろな立場のキャラを出して、分量をとって掘り下げることで、より多様な読者のニーズに対応するという方法や可能性は否定しませんが、だからといって「聲の形」の描き方が否定されるとは思わない。ショーヤとショーコをメインとして単行本7冊という長さで終わる良作という評価は変わりません。 >登場人物の行動が理解できないなら、理解できないままにしろ。悪意があるみたいな想像はやめろ。 ということを言いたいのですか? でもそれは嫌ですね。 >そこを我慢しろというのは、作品に対して好意的すぎる。アバタもエクボという奴では? 私は、わたしの苦しみを汲みとってくれなかったという時点で、聲の形に敵意を抱いている。悪い方に悪い方にしか解釈できない。 これも悪い方に悪い方に解釈してますね(笑)。誰もそんなことは言っていませんよ。 コミュニケーションの困難さを描いた作品で、主人公の視点から描かれているゆえにヒロイン側の正確な心情は分からない、確定するだけの情報は与えられていない、というのが読み切り版で、偏見がなければ、これは許す許さないの単純な解釈ではないな、投げ掛けエンドだな、と理解するのはそんなに難しいことじゃないと思います。 投げ掛けられているのだから我慢する必要はなく、想像や解釈を自由にすればいいわけですが、上記のことを理解していれば「まあ、あくまで自分の解釈だけどね」という客観性は担保できると思います。こういう読み方もアバタもエクボといわれてしまいますかね?あなたこそ坊主憎けりゃ袈裟まで憎しなのでは? それに悪意の解釈の中身が、物語内での解釈をすっ飛ばして、あるいは放棄して、イジメを正当化してるとしか読めないという決めつけや、お友達信仰を広めるために描いている、宗教の布教パンフレットだ、みたいなのはいくらなんでも。連載版の中で、植野がショーコのことを「障害を利用して計算で同情を集めるハラグロ女」と悪意の解釈、妄想をして暴走するシーンを連想します。 読み切り版のラストシーンは、どう解釈するかでその人の内面が暴き出されてしまう、と言う効果があるんじゃないでしょうか。コミュニケーションの困難をテーマにした作品でこれができているんだから凄いな、と思いますね。
無題
>ouさん
>「いじめられっ子を慰めてくれないこの作品が憎い」というのを言い換えてるだけではないですか? それで間違いないと思いますよ。 そして、憎むのは仕方ないことだと思っています。 作品を潰す権利があるとは言わない。 でも、憎む権利はあるし、ないと言われても、心の底から憎しみが沸き起こってくるのを止める手段はない。せめてネットに書かせてくれ。 >おっしゃるように「聲の形」はいじめられっ子慰撫漫画ではありません。 イジメを題材として作品内に取り入れたからには、いじめられっ子の気持ちを忖度して、彼らが慰められる、溜飲を下げられる描き方をしなければならない、という法はないので。 法はないですよね。 でも、戦争の犠牲者がたくさんいる状況で、戦争を楽しくかっこ良く描いた作品を書けば、我々の苦しみを踏みにじるのか、という怨嗟の声がぶつけられるじゃないですか。 それを覚悟した上で、それでも描きたいものがあるなら書くっているんなら、もちろん認められるべきですけど、でも怨嗟の声をぶつけられるのは当然覚悟するべきことですよね? 同様に、イジメの被害者の心を逆なでするようなものを描けば、怨嗟の声が飛んで来る事自体は、当然のことだと思いませんか。 まあじっさいには、イジメられっ子でもこの作品を評価している人はたくさんいるので、「私の心」って言ったほうがいいかもしれませんけど。 逆に訊きたいですけど、この作品が「イジメられっ子の心を慰撫するために描かれたものではない」、では「誰の心を」「どうするために」描かれたものだと思いますか?
無題
具体的にいじめ被害者を逆撫でした描写ってどこですか?
無題
なんで西宮が友だちになろうとしたのか描かれていなかったので、「血の通った、自分の頭で考えてる人間」には見えなかった、ということなんですよ。
作者の思想を宣伝するための操り人形、スピーカーだと 読み切りでも西宮は自分から石田や他の人とコミュニケーションをとろうとしていましたよ
無題
>それで間違いないと思いますよ。
>そして、憎むのは仕方ないことだと思っています。 >作品を潰す権利があるとは言わない。 >でも、憎む権利はあるし、ないと言われても、心の底から憎しみが沸き起こってくるのを止める手段はない。 「聲の形は心情表現が不足している」とあたかも客観的事実かのように書いていたので、指摘したまでです。 それと、私はあなたが憎しみの感情を持つこと自体をどうこうできるとは思ってません。ただ、作品に対する批判として、ショーコの気持が全然わからないからダメだとかいろいろ書いているので、それは全然ダメじゃないんだということを具体的に指摘したまでです。 >せめてネットに書かせてくれ。 げんに書いてるじゃないですか。 自分は批判するけど、それに対して反論するなってことですか? >それを覚悟した上で、それでも描きたいものがあるなら書くっているんなら、もちろん認められるべきですけど、でも怨嗟の声をぶつけられるのは当然覚悟するべきことですよね? そうですね。「聲の形」に限らずすべての作品に対して言えることです。ますださんにも言えることです。 特定の作品に憎しみを燃え上がらせていたら、その作品を好きな人、あるいは冷静に読んだ人から反論されたり批判されたり一言もの申される覚悟は必要じゃないんですか。せめてネットで、と言ったって、ネットは全世界に公開されてますからね。 >逆に訊きたいですけど、この作品が「イジメられっ子の心を慰撫するために描かれたものではない」、では「誰の心を」「どうするために」描かれたものだと思いますか? いじめられっ子慰撫漫画ではないという意味は、作者はそのように意図して描いていないという意味です。意図しているなら、もっと分かりやすく勧善懲悪にするとか出来るはずですがしていませんから。ただ、イジメ被害をうけたかたでも、この作品に好意的な人はいますから、そういう人は慰撫されたのかもしれません。 要するに、感じ方は人それぞれということです。 同じものを見ても、憎しみを持つ人もいれば、感動する人もいれば、淡々と読む人もいる、というごく当たり前のことです。 「誰の心を」「どうするために」描かれたなんていうのは、ますださんがこの作品は作者が自分のけしからん思想で読者を洗脳するために描いたのだ、という偏見にとらわれているから浮かぶんでしょう。 誰の心がどうなるかはその人次第です。
無題
忙しいので、レスは2,3日待ってください。
無題
>NONAMEさん
「西宮が、イジメられて相手を憎まなかったこと」「イジメの加害者と友だちになろうとしたこと」が、イジメられっ子の神経を逆なでする描写なんですよ。 最初からそう書いています。どうしても理解できないですか? >読み切りでも西宮は自分から石田や他の人とコミュニケーションをとろうとしていましたよ コミュニケーションをとろうとすることがあり得ないんだ、そんなあり得ない人間を描いてしまう作者の目的は何か、って、私は言ってるんですよ。
無題
>ouさん
まず、はっきりしてください。 自分は正しい、ますだは間違っている、客観的事実として証明できる、という意志をもって、書き込んでいますか? ますだの言っていることは偏見だ、具体的に指摘した、っておっしゃってるからには、私はこう思った、だけでなく、私の読解こそ正しいという根拠があるんですよね? 根拠を挙げてください。あなたは、イジメが主題じゃないとか、投げかけエンドだからこれで良いとか言ってますが、根拠を示していない。 >感じ方は人それぞれ なんてことは言わないでください。 感じ方は人それぞれ、というのは、議論を挑む人間が言ってはいけないセリフだと思いますよ。 人それぞれ≒どれが正しいとも言えない、ですから、聲の形を読んで憎しみを抱くのも、別に間違いじゃない、ということになる。 人それぞれだと思うなら、放っておけば良いので、話はそれで終わりです。 >一言もの申される覚悟は必要じゃないんですか。 私は、みなさんの批判的コメントを全部削除できます。ブログごと閉鎖することもできます。 でもやりません。 おっしゃるとおり、表現には責任を負うべきなので、逃げ隠れするのはよくないと思うからです。 しかし、私がもつべき覚悟は「批判されても仕方がない」どまりであり、「批判に従う義務」はありません。 聲の形の作者だって、私の言うとおり作品を書き直す義務はないでしょう? 反論するなとは言わないが、反論に従う気はないので、私が間違っていることを明確に示さないと、言うことを聞きませんよ、ということです。
無題
西宮はノートを使って友達になりたいと言ってたじゃないですか。そして石田だけがノートを通じて会話をした。そこから西宮は友達になろうと決めたんです。西宮はなるべく笑って過ごそうとして嫌な記憶は抑圧をしてたんです。ちゃんと読んでました?理解できますか?笑西宮は石田と友達になること石田はコミュニケーションを取ることに失敗をして両者が失敗したことをやり直したいと思っています。これ前も書きましたよね?あなたは漫画もコメントもしっかり読まないようですね。たしかに聲の形は国語的な読み方が要求されるため頭が悪いと読めないでしょう。物語を読むときは自分の感情や常識を介してはいけません。ouさんの感じかたはそれぞれというフォローにも反感を持つのは面倒くさいですね笑自分が納得できないなら今までの感想でいいんじゃないんですか?自己顕示欲求が高いですね笑私の感想が正しい、感想を認めろというように聞こえます。
ここまでのコメントは理解できますか?笑 あと広告が邪魔です
無題
①>まず、はっきりしてください。
>自分は正しい、ますだは間違っている、客観的事実として証明できる、という意志をもって、書き込んでいますか? あなたが「客観的事実として証明」ということをどう捉えているのか謎ですが、たとえば計算式で「1+1=2」と「1+1=3」というのがあったら、万人が前者が正しく後者が間違いと判断できるでしょう。 しかし今回は物語の解釈のことなので、ここまで一刀両断に白黒を明白にすることはできません。 ですが、たとえば歴史学の解釈でも、事実を確定させるだけの材料が足りず、何通りかの解釈がでてくることがありますが、どれも間違ってないではなく、もっとも可能性が高い解釈、もっとも低い解釈というように、順位はつけられることになります。 このような意味において、私は自分の解釈がますださんのものより筋が通っていると考えています。 ②>ますだの言っていることは偏見だ、具体的に指摘した、っておっしゃってるからには、私はこう思った、だけでなく、私の読解こそ正しいという根拠があるんですよね? ますださんの偏見については、ますださん自身の言葉で判断しました。 「悪い方に悪い方にしか解釈できない」と書いてますね。ショーコの描写がダメなので人間と認識できないと書いた際も、私がそれは事実ではなく憎いの言い換えでは?と確認したら「それで間違いない」と客観ではなく主観だと認めている。憎しみが制御できないということも繰り返し述べていて、自覚はあるのにコントロールできないと。その原因は詰まるところ過去のいじめトラウマである、ということでしょう。 ③>根拠を挙げてください。あなたは、イジメが主題じゃないとか、投げかけエンドだからこれで良いとか言ってますが、根拠を示していない。 イジメが主題じゃないと考える根拠も、投げ掛けエンドだと考える根拠も、私は書いています。あなたが「根拠がない」と主張しているのは、「根拠とは、自分がこう思った以上のものでなければならない」という条件を勝手に付けて言っているだけでしょう。勝手なことを言わないで下さい。 ますださんが客観的事実とやらを証明できているのに、こちらがこう思ったしか言えていないというのならば話になりませんが、ますださんもこう思ったしか言えていないので、どちらのこう思ったがより筋が通っているか、という比較で基本的には問題ないのです。 「投げ掛けエンド」というのは私の独自の解釈です。 これで良い、って書き方はしてないと思いますが。 じっさいにショーコの内面を確定できる情報は描かれていないこと、それにより様々な解釈が可能となり意見が割れていること、いろんな解釈はできるが結局断定はできないこと、もしそれをしたら「これはイジメッ子の正当化じゃないか?」と怒っていたはずなのに、イジメや争いの原因となる決めつけを行ってしまうことになるという皮肉、作品のテーマであるコミュニケーションの困難さ、などの材料をすっきり説明するにはどう解釈すべきか、と考えて達成できたと思ってます。 イジメではなくコミュニケーションが主題については、コミュニケーションの困難さが主題だからこそ投げ掛けエンドを選んだのだ、という考えなので根拠は一緒です。 いじめっ子が報いを受ける勧善懲悪とか、加害者と被害者の心理を交互に描くとか、分かりやすさを含め描きようはいくらでもあるのに、ショーヤ視点のみで、ショーコの心情は謎、拒絶しないのも本当のところは分からないという一番わかりづらい方法を選んでいる。ショーコの内心はショーヤの視点を通して、先生の言葉で傷ついていたとかほんのわずか知れるのみ。そうすることでショーコは他者の心のわからなさを象徴しているとも思う。 今となっては連載版があるので答え合わせができる。 たとえば実はショーコは怒ってすらおらず、むしろ自分のせいでクラスの絆を破壊したと考えて罪悪感を持っている、自分が加害者だと思っている。ここでイジメの加害者と被害者という構図が崩されてしまっているので、作者はイジメ問題をメインで描く気はないと分かる。などなど。 あと、客観的な根拠ということで今回、いくつかある作者のインタビューに一通り目を通してみた。これによりさらなる答え合わせができた。 <(略)「いじめ」や「聴覚障害」を主題にしたつもりはなくて、「人と人が互いに気持を伝えることの難しさ」を描こうとした作品です。だから『聲の形』というタイトルにしても、「コミュニケーションそのものを描いた話」なんだよ、という想いを込めています。(略) この作品でのいじめはコミュニケーションが引き起こした結果のひとつなんです。>とのこと。他にもショーコの加害者意識などについても言及されてます。構想の時期も、読み切り入選前から連載分の構想も練っていたというから後付けというわけでもないようだ。 ④>感じ方は人それぞれ、というのは、議論を挑む人間が言ってはいけないセリフだと思いますよ。 理由は書きましたよね。 同じ元いじめられっ子でも感想は分かれます、ますださんがいくら憎しみを力説しても、私は別にこの作品を憎んでない。まさに人それぞれじゃないですか。 議論に挑もうが挑むまいが、事実は事実です。 ⑤>人それぞれ≒どれが正しいとも言えない、ですから、聲の形を読んで憎しみを抱くのも、別に間違いじゃない、ということになる。 >人それぞれだと思うなら、放っておけば良いので、話はそれで終わりです。 そんなことはない。 それぞれがそう感じた理由・根拠を分析して、もっとも説得的なものはどれだろうと議論することだってできる。価値相対的な横並びしか許さないということはない。放っておくという選択肢以外許さないということではないので、話は終わりません。 ⑥>反論するなとは言わないが、反論に従う気はないので、私が間違っていることを明確に示さないと、言うことを聞きませんよ、ということです。 あなたは自分の側からしか見ていませんが、私の側からもあなたの解釈には説得されてませんよ、従う気はありませんよ、言うこと聞きませんよ、と言っているんです。あなたがこちらの反論・解釈を受け入れるか否かは二の次であって、違う解釈もあると表明する権利があるし、そのことのほうが重要なんです。 なぜならば、判断を下すのはあなた一人ではないからです。 第三者が複数の異なる解釈を見て判断を下す、どの解釈が一番説得的と判断されるか、ということがあるのです。だから論者個人がどう判断するかは要素のひとつでしかないんです。 勉強したり、考えを深める良い機会でもあります。
無題
>NONAMEさん、ouさん
対話する意志はありますが、返信は2,3日待ってください。 明日か、明後日には、考えをまとめて返信します。 仕事が忙しいし、嫌いな作品のことを考えると、精神状態がすごく悪くなるので…… とりあえずブログの広告は消しました。 私も前から、ウザイなーとは思っていました。
無題
>NONAMEさん ouさん
どうも大きな誤解があるので、まず言っておきます。 「聲の形は、イジメを正当化するためのマンガだ、けしからん」というのは、2013年に読み切りを読んだ時の第一印象なんですよ。 その後、5年たって、連載版とか映画版とかいろいろ見ましたので、現在は、そこまで極端なことは思っていないです。 いろいろな人の意見を聞いて、少しずつ意見が軟化していきました。 で、現在はどう思っているのかというと、 「イジメは特定の誰かが悪いのではなく、みんなが悪い、という、喧嘩両成敗マンガだ」というものです。 イジメをやった石田は悪い。でも、イジメの原因になったのは西宮硝子の卑屈な性格である。 西宮がそういう性格になったのは母親が罪悪感を植えつけたからである。 でも母親も、障害児が生まれたのは前世の行いが原因などと、誹謗中傷されて苦しんできた人間である。 全員が被害者でも加害者でもあるので、誰が悪いとも言えないのである。 連載版を読んで、そういう話、社会全体のやりきりない悲しさの話だと思ったのです。 そして、それを踏まえたうえで言いますと、 「以上の、誰が悪いとも言えない構造は、読み切りには書いてないので、読み切りの時点で私が読み取れなかったのは仕方ない」 「誰が悪いとも言えない、みんなが悪い、という思想は、私にとって非常に不快な思想である。だからいまでも聲の形は嫌いである」
無題
>NONAMEさん
>西宮はなるべく笑って過ごそうとして嫌な記憶は抑圧をしてたんです。ちゃんと読んでました? 西宮が嫌な記憶を抑圧していたとか、読み切りには書いていないですよね? 西宮の心の動きは、「仮にこうだとすればつじつまが合う」という、あなたが脳内補完したものですよね。 読み切り中には書いてない。 それはあなたの想像ですよね。としか言いようがありません。 作品に対して好意的だから、追加の設定を頭のなかでつくって、つじつまを合わせてしまうだけです。 好意を抱いてない人間は、「ありえない。おわり」です。 >物語を読むときは自分の感情や常識を介してはいけません。 いやいや、それは無理ですよ。 戦争で家族を皆殺しにされた人間が、戦争物を楽しめないのは仕方ないじゃないですか。 レイプされて苦しんでいる人間が、「レイプされたけど気持ちいいから幸せ!」というマンガを読んだら、深く傷つくと思いません? もちろん、作品を娯楽として楽しむのであれば、常識や感情を切り離したほうがいいですよ。 たとえばルパン三世をみて、いちいち「泥棒は悪だ、人殺しは悪だ、だから楽しめない」というのは馬鹿げています。 しかし、聲の形はルパン三世とは事情が違う。 聲の形は、非現実的な娯楽物語とは違う。他人事として読むことを許さない、すごく現実的な話だから、自分の常識や感情を介さないと読めないですよ。 魔法や異次元が出てくる話とは違うんです。
無題
>ouさん
>あなたが「根拠がない」と主張しているのは、「根拠とは、自分がこう思った以上のものでなければならない」という条件を勝手に付けて言っているだけでしょう。勝手なことを言わないで下さい。 ここは私のブログで、あなたは私相手に喋っているのですから、私が理解・納得できる根拠でなければ意味が無い。 世の中には、どんな証拠を突きつけられても「嘘だ、捏造だ」みたいにゴネる人、確かにいますけど、仮に私がそのたぐいだと、あなたが判断するのであれば、信頼されない状態で議論してもしょうがないので、話を終わりにしましょう。 会話を続ける気があるなら、分かるように喋ってください。 >じっさいにショーコの内面を確定できる情報は描かれていないこと、それにより様々な解釈が可能となり意見が割れていること、いろんな解釈はできるが結局断定はできないこと、もしそれをしたら「これはイジメッ子の正当化じゃないか?」と怒っていたはずなのに、イジメや争いの原因となる決めつけを行ってしまうことになるという皮肉、作品のテーマであるコミュニケーションの困難さ、などの材料をすっきり説明するにはどう解釈すべきか、と考えて達成できたと思ってます。 西宮硝子がなんでイジメられて反撃したり、恨んだりせず、友達になろうとしているのか、描写されていない。その描写の無さは「欠陥ではなく、議論を呼ぶために、読者に自分で考えてもらうために、あえて描かなかったのだ」という意味ですか? それは根拠じゃないですよね。私にとっては欠陥であるものが、あなたの目には長所に見えるという、価値観の相違の話にすぎなくて、どちらが正しいといえるものではないですよね。 >あなたがこちらの反論・解釈を受け入れるか否かは二の次であって、違う解釈もあると表明する権利があるし、そのことのほうが重要なんです。 なぜならば、判断を下すのはあなた一人ではないからです。 私を説得するのが目的じゃないんですね? 聴衆というか、不特定多数の第三者に対して、「ますだっていうバカがいますよ、こんな変なこと言ってますよ」という、晒しあげがしたいわけですか? それは私のブログを使ってやることではないですよ。 自分のブログか、あるいは5ちゃんねるのヲチスレでやってください。 私のブログでは私に対して喋ってください。
無題
聲の形を擁護する声がブログ主の批判ばかり…
つまりはこの意見が正しいがゆえに言い返せないから悪意のある言葉を並べるだけなのですね… あなた方が好きな聲の形はその程度の作品だったと自ら言っているようなもので悲しいですね
無題
>NONAMEさん
コメントありがとうございます。 聲の形に関しては、もう論争に疲れてしまいました。 「批判しても作品が消えてくれるわけではないし、見えているものが違いすぎて、ファンの心には届かない。 ouさんなんかは話がわかるほうで、もっと話が通じない人もいる。私が何に怒っているのが前提を理解できない人が多い。 これ以上の論争は無意味じゃないか。 嫌いな作品について語るより、好きな作品について語ったほうが有意義なんじゃないか」 というのがいまの心境です。 まあ、「聲の形のこの部分が良い、感動した」という形で反論されたほうが、有意義ですよね。 そのてんouさんは建設的なほうだったといえます。
無題
人に嫌なことをした過去と嫌なことをされた過去を思い出して聲の形を久々に検索してみたらこちらの記事にたどり着きました。強気な記事で、ん?と思うところがあったり、でもいじめを絶対に許さないところに自分の甘さを正したりしました(自分で律するのと第三者の意見を聞いて律するのとでは違いがありますから)。
この記事に批判しに来たのではありません。5年間こうして論争をしてきた主さんがすごいなと思ってコメントをしました。長い間お疲れ様でした。主さんにとっては過去に描いた記事でも初見の人にとっては新しい意見として受け入れられて、主さんの事情は二の次になります。けど、連載版や映画を見たり、こまめにコメントを見返していたのだなと思うと、聲の形の自分の意見に対して思いと責任があるのだなと感銘を受けました。 私は主さんの意見を分かっているつもり、想像できているつもりの、主さんからしたら「理解していない側、話の通じない側」の人間です。お疲れ様と言いたくてコメントしました。それだけです。 文章が苦手なので読みにくかったらすみません。
無題
>あーさん
はじめまして。コメントありがとうございます。 おっしゃるとおり、5年前6年前に書いたことだから今とは意見が違っているのですが、読む側にとって書き手の事情は関係ないですし、対応する責任はあると思います。 ouさんという方も言ってますが、支持者の大勢いる作品を腐した時点で、反発があることじたいは仕方ないです。 これからも、よほどのことがない限り、コメントには対応します。
無題
長い間コメントへの返信お疲れさまです。 私もおもに同意見です。 「自分が被害者の立場だったら」「関わらないでくれ」としか思いません。その部分にリアリティを感じられません。まして恋愛感情を抱くことは有り得ません。 よく絶賛される最後の(顔から×が取れる)演出は好みの問題ですが、私には幼稚な演出にしか見えません。 何がウケているのか理解できませんが、それ以上に「理解できない」という意見を見るだけで攻撃的になる人が多い事が理解が出来ません。 誰も何も責めていないのに。
無題
>HSさん
コメントありがとうございます。 ヒロインがなぜ主人公を憎まないのか、それどころか恋愛感情を抱いたのはなぜか、 ということは、連載をみれば理解することはできますが、でも、いまだに共感することはできません。 自分の経験だけで「いじめられっ子はこういうものだ」って決めつけたのは傲慢でしたが、でもいまも、私個人の感覚としては、やはり納得のいかない作品ですね。 いじめられっ子でも、この作品を支持する人はいるので、そこは私も配慮しないとだめなのですが。
無題
聲の形信者に頭のおかしいやつがいるということはコメント欄を拝見してわかりました。
私も聲の形を視聴した第一印象はおおよそ主さんと同じでブログに共感しました。この作品は単なるアニメ作品として見れば何も思いませんし、作画、絵、演出など綺麗だし好きですが。いじめ、障害者、を取り扱った作品の名作、最高傑作と語られるとすごく違和感を覚え不快になります。話の内容は単なるご都合主義のリアリティーのない作り物です。いじめ描写は確かに一部リアルですが、それだけです。目を引く華やかな絵と障害者という看板をとったら残りカスしか残りません。現実、いじめられっ子の何人くらいが友達になろうなんて言って自分を苦しめたいじめっ子をを許しますかね?自殺に追い込まれてるくらいの人に聞いてみたいですね。貴方を苦しめた相手が謝ってきたとして、友達になりたいですか?許せますか?と。笑 とまあ現実と比べるから良くないんだと思います。 あくまで創作、ご都合主義で当たり前、そういう範囲で二次元として楽しむなら私は普通の作品だと思います。メディアや信者が不用意に持ち上げすぎたのも良くないです。現実と比較しない限りこの作品に不快感はありません
無題
>NONAMEさん
コメントありがとうございます。 私が激しく非難したのは、あくまで読み切り版で、連載版に関しては意見が少し違います。 私の書き方も頭に血が上りすぎていたと思います。 が、この作品を擁護する側の意見も、あまりに攻撃的ですよね。
無題
理解できていないひとが多くて国語教育の敗北って感じがしますが知能が低いなら仕方ないなっ思います
無題
いじめたやつと仲直りしてるショーコが意味わからないとかショーコの心情がわからないとか漫画読んでなさすぎ
無題
この記事に新しくコメントつけている方がいらっしゃるようですが、なぜか表示されません。
コメントが長く続きすぎてバグでも出ているのでしょうか?
無題
ますだじゅんさんに同感です。
あ、映画の話なんですけどいいですかね。 しばしばネットで君の名はより聲の形のほうが優れているという意見を見るのですが、どうしても同意できない。 「話が深い」だとか「人間の醜さが前面に出ていて素晴らしい」だとか言いますが、どうしても物語の起の部分で引っかかってしまうんです。 「散々いじめといて、久しぶりに再会したら、けろっとして、手話で『友達』??はぁ?なめてんのかこいつ」 って。そこから一切話が入ってこなくなっちゃいました。。 あとどーでもいいですけど中学時代の友達にどうせいどうめいがいました。 Re:無題
>ますだじゅんさんに同感です。
>あ、映画の話なんですけどいいですかね。 >しばしばネットで君の名はより聲の形のほうが優れているという意見を見るのですが、どうしても同意できない。 >「話が深い」だとか「人間の醜さが前面に出ていて素晴らしい」だとか言いますが、どうしても物語の起の部分で引っかかってしまうんです。 > >「散々いじめといて、久しぶりに再会したら、けろっとして、手話で『友達』??はぁ?なめてんのかこいつ」 > >って。そこから一切話が入ってこなくなっちゃいました。。 > >あとどーでもいいですけど中学時代の友達にどうせいどうめいがいました。 NONAMEさん コメントありがとうございます。 賛同していただけでうれしいです。 この記事を書いたのは2013年で、その後6年間で意見の変化もあったのですが、最初に「聲の形」を読んだ時の、全人生を踏みにじられたような怒りと憎しみは、きのうのことのように思い出すことができます。 ただ、ちょっとこの記事はコメント欄が長くなりすぎて、コメントが表示できなくなっているようです。 申し訳ありませんが、今後はほかの記事(最新の日記のコメント欄など)に書いていただけませんか?
無題
NONAMEさん
コメントありがとうございます。 賛同していただけでうれしいです。 この記事を書いたのは2013年で、その後6年間で意見の変化もあったのですが、最初に「聲の形」を読んだ時の、全人生を踏みにじられたような怒りと憎しみは、きのうのことのように思い出すことができます。 ただ、申し訳ないのですが、この記事はコメント欄が長くなりすぎたのか、みなさんのコメントがうまく表示できません。 今後は、他の記事(最新の日記のコメント欄など)に書いていただけませんか? |
カレンダー
フリーエリア
最新コメント
[10/25 Home renovation]
[10/25 Быстрые деньги Минск]
[10/19 TopHost]
[10/19 CloudVPS]
[09/22 Harrytebra]
最新記事
(05/17)
(04/06)
(03/22)
(06/16)
(05/29)
最新トラックバック
ブログ内検索
最古記事
(09/05)
(09/06)
(09/07)
(09/10)
(09/12)
カウンター
アクセス解析
|