ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設
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先日、休みが取れたので、「まどか☆マギカ 叛逆の物語」もう一度観てきました。
ほむらはその時、なにを考えていたのか、心の動きに注目して。 すると、「他ならぬまどか自身」との触れ合いを喜んでいる、ということがストレートに伝わってきた。 だから、ほむらの行動がブレてしまったのは仕方ないのかもしれない。 心の中に「まどかとの約束」を刻み、「この誓いのためにすべてを懸けて永遠に戦う」と決めていても。 その誓いが、悪く言えば呪いのようになっていても。 目の前にまどか本人がやってきて、「ひとりぼっちはだめだよ」「遠くに行っちゃうなんて、わたし耐えられるわけ無いよ」って言ったら…… それはまあ、揺らぐだろう。 人間として自然なことかもしれない。 私が「叛逆の物語」見てショックを受けた理由は、簡単に言えば2つです。 1、「今はもういない、愛する人との約束のために永遠に戦う」ほむらの姿が一番美しい愛だと思って感動していたのに、ほむらが自身が、それを否定して違う行動を取ってしまったから。 2、「命を捨てて神様的存在になることで多くの人を救う」というまどかの行動が崇高なことだと思って感動していたのに、ほむらがそれを否定して人間の世界に引きずり下ろしたから。 問題点1に関しては、ある程度納得できて、ショックが和らいだ。 今回の鑑賞で、ほむらが、まどかとの語らいをどれほど喜び、まどかの一挙手一投足に心動かされていたか知ったからだ。 大切な人が生身で、目の前に現れてくれた、というのは、衝撃的なことなのだ。 まどかが「ひとりぼっちで遠くに行くなんて、わたし耐えられないよ」って言って、「それがあなたの本心だったの」と驚いたほむら。 この瞬間、「ほむらの中にいた、これがまどかだというイメージ」は更新されている。「微笑んで神となったのは、本人の意志に見えて、実は強がりで、仕方なくだったのだ」と。 「まどかの守ったこの世界を守る、そう貫くことでまどかへの想いに殉ずる」という誓いの前提が崩れたのだ。 「命を捨てて概念となったまどかよりも、いま目の前でいやだと言っているまどかが本物だ」と。 よくほむらは百合とかサイゴレズとか言われますし、はっきり言っちゃうと、私も、ほむらがまどかに抱いている気持ちは「友情ではなく、恋」だと思っている。 が、「まどかの守った世界を守る」誓いに関しては、同性愛であると強調する必要はない。 「銀河英雄伝説」で、ラインハルトは何が何でもキルヒアイスとの約束を守り、「宇宙を手に入れようと」した。 キルヒアイスが死んだのはおれのせいだから、何が何でも墓前に全宇宙を捧げなければいけないのだと。 その熱心さを同性愛であると言う必要はない。同じ。 キルヒアイスとの約束を守ろうとしたラインハルトのことが私が好きだ。 同様に、まどかの守った世界を守ろうとした、TV版ラストのほむらも大好きだ。 が…… ラインハルトにしたところで、もしキルヒアイスが生き返ってくれるなら、それが一番だったはずなのだ。 生き返ってくれて、「宇宙をお手に入れください」と違うことを言ったなら、ラインハルトの中でも新しい言葉が優先されたはずなのだ。 キレやすいラインハルトといえど、「だって宇宙を手に入れろって言ったじゃないか!!! お前偽物だな! ジークはそんなこと言わない!!!」とはキレないはずなのだ。 ヴァッシュ・ザ・スタンピードだってレムが生き返ってくれたなら、緋村剣心だって巴が生き返ってくれたなら、償いの戦いをやめて、今のこの人と一緒の暮らしたいと願ったかもしれない。 そんなわけで、「ほむらの、神を信じるかのごとき愛」が揺らいでしまったのは、仕方ないこと。 苦々しくも、納得した。 あとの問題点は2。 続く。 PR |
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