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ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設 ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。 こちらです https://kakuyomu.jp/users/pennamec001
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 アニメ「エロマンガ先生」最終話。
 いま観た。
 エロマンガフェスティバル。
 何だこのタイトル。

 いまどきの女の子がティムポをみたこと無いって、ありえないよね。
 インターネットでいくらでも見ることができるじゃないか。
 なんのためのパソコンか。
 あと、今回あらためて思ったけど、「エロマンガ先生が女の子だということは秘密」「オッサンだと思われる」「だからマサムネがホモだと思われる」というのは、無理があるよ。
 あのネット動画配信をみれば、「小柄な女性」であることは一発でわかるじゃないか。
 お面かぶっても無駄。
 体格と、手を見ればわかる。

 まあ細かいことは気になったけど。

 感動的な話のあとに「アホか!!!!!!」という話で〆るのが、じつにアッパレ。

 俺の好きな本屋ちゃんが、久々に出てきた。
 唐突に出てきて、唐突に嫁宣言した。
 なんだこれ???

 ふ、踏み込んでこないでくれ……
 君が振られて泣くところは見たくない……

 「エロマンガ先生はタイトルで釣ってる作品で、タイトルほどエロくない」と、私は書いた。
 でも結論から言うと、ダイミダラーと同程度にはエロかった。
 

 
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 最近のアニメの感想。
 うちにはテレビが無いので、ニコ動とバンダイチャンネルでアニメを見ている。

 エロマンガ先生。
 11話まで観た。
 全くキャラに現実味ない。
 特にムラマサ先生は中学生が1400万部とか異常すぎるし、ほんと何考えるのかわからない。「自分専属の小説家になってほしい」とか、原作でも何言ってるのかわからなかったけど、アニメみてもやっぱりわかんない。「締め切りを破るたびに爪を剥がしている」というマジキチエピソードがアニメ版では削られてるけど、それでもわけわかんない。
 これらすべてのわかんなさは、「天才である」という描写なのだろう。読者受けを微塵も考えてないのに1400万部だもんなあ。
 まあ面白いから良いか。
 これ原作の3巻までをアニメ化して、8話や11話などのエピソードを追加しただけなので、まだまだ話のストックはある。単純計算であと20話くらい作れる。
 話のストックはあるんだけど、でも11話は「終わった!」という感じになっているので、ここで終わらせておくのが良い気もする。
 11話は感動的だった。
 子供同士がインターネットで顔も知らずに交流して、それがお互いの生きる力になって夢になって、今に至る、という過程が、本当に良かった。
 はっきりいって10話までだと、どう考えても一番魅力的なのはエルフ先生で、なんでマサムネが引きこもりで変態のめんどくさい妹が好きなのかぜんぜん理解できなかった。家族として愛してるのは分かったけど異性として愛してる理由が分からん。
 でも11話で魅力がわかった。
 こりゃ仕方ないという感じ。
 エルフ先生は「一見ワガママに見えるけど、実は善人で、面倒見の良い姉御」。
 だからこそ「いい人」どまりで、振られちゃうんだろうなあ。

 アニメ版では「マサムネはものすごく筆が速い」ということが、あまり描写されなかったけど、今回はじめて描写されたよね。
 原作のマサムネは「1日に200枚くらい書けるのは当たり前だろ?」って言ってます……
 栗本薫より速いじゃないですか。あなたバケモノですよ……自覚してください……
 
 アニメの不満点。
 俺の好きな本屋ちゃんが後半ろくに出てこねえ。原作でも冷遇されとる。悲しい。
 噂によると、12話(最終話)は本屋ちゃん出るらしい。期待している。

 フレームアームズガール。
 全話観た。
 とても良かった。
 小さいロボット少女がいっぱいやってきて、きゃいきゃい騒ぎながら戦ったり、遊んだりする話。
 戦うと言っても死ぬことはない。じゃれあう感じ。
 本気のシリアスな戦いは終盤だけかな。
 戦いよりも日常重視。
 お鍋つついたり。
 お人形ハウス作ったり。
 風邪の看病したり。
 「動物がじゃれあうのを、ニヤニヤしながら見る」感じのアニメだった。
 穏やかな気分になれる癒やしアニメだった。
 主人公が女の子、やってくるロボットも全部女の子、なのがよかった。
 これで主人公が男だと、ハーレム的な感じになって「動物」ではなくなってしまう。「異性」になってしまう。
 日笠陽子はああいう少女もできるんだなあと感銘を受けたし。
 どうしても「お姉さん」のイメージだったけど、ああいう明るく健気で若干アホな女の子もできる。
 かわいいじゃないか。
 でも声優が……日笠陽子以外、「誰それ?」という声優ばかり出てくる……あとは山崎エリイを知っているくらいか……大部分、全く知らない声優……
 俺はもう完全に、オタク失格だな……時代の流れについていけない……

 サクラクエスト。11話まで観た。
 つまんなくはないんだけど、やっぱり地味というか、欠点がないだけど美点もない感じ。
 もっと弾けてほしいなあ。
 「ミニ独立国」「国王」という要素を活かせてないのでは?
 あれは、単なる過疎の町じゃない。
 チュパカブラ王国という国なんだよ。
 たとえ、ごっこ遊びであっても、国なんだよ。
私が2013年に、「聲の形」を批判して書いた記事に、またコメントが付きました。
 読んでいただけて、ありがたいです。
 
 「聲の形は、イジメっ子の自己正当化マンガに思える」

 これの中で、私は「聲の形」を激しく批判しました。読み切り版についての批判です。
 イジメられる側の気持ちが全く分かっていない、イジメを正当化するストーリーだから許せない、と思いました。
 イジメた側の石田がぜんぜん反省してないように見えるのが許せなかった。
 イジメられた西宮硝子が聖人のように相手を許してしまっているのが許せなかった。
 イジメなんて大したことじゃないぜゲラゲラウヒョウヒョという声が聞こえてきて、魂を踏みにじられた。
 この怒りと苦しみは一生忘れることはないと思う。
 だから激しく批判したわけです。
 
 その後、連載版を読んで、私の意見は変わりました。
 
 石田が反省して、罪を償おうとしていることは、連載を読めばわかりました。
 西宮が石田と友達になりたがったのは、「イジメを許した」わけではない。もともと自己嫌悪が強く、自分は他人に迷惑を賭けている罪深い存在である、いじめられても仕方ない存在だと思っているから、というちゃんとした理由がある、とわかりました。

 そのあと映画も観に行ったので、映画の感想はこれです。

 「劇場版 聲の形」観てきたので
  
 私は「聲の形」について言いたいことは全部言ったし、勘違いや思い違いだったことは、自分の間違いだと認めた。
 侍従長という人にさんざん批判されて、私の側にも問題があることは分かった。
 
 今の考えは昨年10月に映画を観た時と同じですね。
 再掲載します。

 不満の理由は3つあって、

 1つ、「西宮とは違うタイプのイジメられっ子もいることが十分に描写されていない」
 西宮みたいなイジメられっ子もいるのは分かった。
 しかし、他のタイプの、イジメられて普通に怒る人々もいるはずで。
 でも描いてくれないんですよね。
 映画版では真柴くんの過去が描かれていないので、西宮が唯一の正解になってるんですよ。

 2つめの不満。
「この物語は私の物語ではない、この物語は私を救ってくれない」
 という点ですね。
 イジメの話だというなら、そこには私が描かれている、私の心を代弁して肯定してくれる。
 そう期待して読んだのに、西宮というイジメられっ子は、全く私と違うメンタリティで。
 こんなの私が知ってるイジメと違う!
 ここで、「嘘だ!」「こんな奴はいない!」「イジメを正当化するために嘘を書いている!」と怒ってしまったのが、私のダメなところで。
 私が知らないだけで、こういうタイプのイジメられっ子もいるし、これを読んで「私のことを書いてもらえた」「わかってもらえた」という人間もいるのだろう。
 という想像力をもつべきだった。
 そこは自己批判します。侍従長さんのいうことが正しい。
 要するにイジメられっ子には自己評価が低いタイプと高いタイプがいて、西宮は極端に低い方で、私は高い方だってことですよ。だから同じようにイジメられても全く違う世界が見えている。強烈な違和感がある。
 自己評価が高いイジメられっ子って何かって?
 一言で言えば、邪気眼キャラ、中二病キャラですよ。
 「ボクは本当は凄いんだぞ、天才なんだぞ、大魔王なんだぞ、神様なんだぞ、まだ覚醒してないだけなんだぞ、それなのに、愚かなる地球人類どもめ……」
 みたいな妄想をどんどん膨らませるタイプですよ。
 こういう妄想で自我を守って、その妄想のせいでますますイジメられる人間です。
 正確には、妄想が妄想に過ぎないことはわかっているので、妄想を貫けなくなって自己評価が激落ちする瞬間はある。すぐに妄想を被り直すだけで。「ものすごく高い自己評価」と「ものすごく低い自己評価」が両方ある。
 そういうタイプの人が世間と折り合いをつける話を描いてくれないと、私は救われないんですよね。
 まあ、「聲の形」が私向けじゃなかったことについては、怒っても仕方ない。
 的はずれな怒りです。
 世の中にはたくさんの作品があるので、私向けの作品を探そう。
 たとえばガガガ文庫の「AURA 魔竜院光牙最後の闘い」(田中ロミオ)とか、「ほうかごのロケッティア」(大樹連司)なんかは、私のような人間のための作品であると言えます。
 現実がつらくて妄想に逃げ込んでしまった人間が、妄想の力を借りつつ現実に立ち向かって幸せをつかむ話ですよ。
 妄想に溺れるのもダメだが、妄想を否定すればいいってものでもない、ほどほどに共存しよう、という感じで。
 とくに「ほうかごのロケッティア」は、イジメに関する小説の中で一番感動しました。
 あれは私のために書かれた。と勝手に思っている。
 
 不満3つめ。 
 これは「劇場版 聲の形」を観てきて再確認したんですが。
 この話は、「イジメを許せ」とは言ってない。
 でも「イジメっ子もイジメられっ子も、同じ人間」「話しあえば分かり合える、仲良くなれる」とは間違いなく言ってる。
 「無条件でイジメを許せ」とは言ってないけど、「十分に反省してるんだからイジメを許せ」とは言っている。
 だから私が一番最初の批判記事に書いた通り、「友達になれる思想」「友達になるべき思想」というのは、やっぱりこの作品にある。
 そして私は「人と人は仲良くなれる、なるべき」という思想、大前提そのものに疑問を抱く。
 そんなこと言ってるからイジメがなくならないんじゃないのか。
 
 一番言いたいのは2番の「私を救ってくれなかった」ですね。
 でも、言ったって仕方ないことですよね。
 「聲の形」を批判しても、私が望むように変わってくれるわけではない。
 私を救ってくれる作品は自力で探すべき、ないなら自分で書くしかない。
 いまはそう思っています。
 これをもって「聲の形否定論」の総括としたいです。

 「カクヨム」に「ブラッドファイト 『蒼血殲滅機関』戦闘録」をアップしました。

 新作ではありません。
 2008年~2010年ごろ、LOOP王国で連載していたので、知っている方もいるかも。
 気合入れて書いた小説だったのですが、新人賞では一次選考も通らず。
 要するに、それがショックで、小説書けなくなったんでしょうね。

 いま自分の目、他人の目で見直すことで、当時はわからなかったことが、わかるかなあ、と。

 乗り越えろ。

 コメント欄で議論が盛り上がっていますけれど、いま仕事が忙しいので、2,3日ほどネットに対応できなくなります。返事は少しお待ち下さい。


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