忍者ブログ
ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設 ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。 こちらです https://kakuyomu.jp/users/pennamec001
[134] [135] [136] [137] [138] [139] [140] [141] [142] [143] [144]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 5月の2・3・4・5・6日はずっとお仕事で、しかも普段よりも断然ハードな勤務で、ムチャクチャ疲れた。
 みんな遊んでるのにツラい……と思ったが、俺にはゴールデンウィークよりも金銭という意味でのゴールドが必要なのだ。
 まあゴールドっていうほどの給料もらってませんが。カッパーくらいか。

 やっと今日、休みが取れたのだ。
 今日一日こそが、私のゴールデンウィークだった。
 ゴールデン・デイだった。
 カレー食ってベルトとズボン吊り買って、あとは疲労回復のためにゴロゴロしていました。
 ゴールデン・デイおしまい。
PR
 ガルパン(ガールズ&パンツァー)論の続き。

 いちいち「ガルパン」の意味を書くのは、一見さんが来ることに配慮してのことです。
 アニメとかライトノベルとか知らない人がフラッと来ることもある。
 
 「道徳全般」まで話を広げる前に、「ミリタリーマニア特有のジレンマ」について語るべきかと。

 私は、「マニア」とは名乗れませんが、架空戦記を楽しんで読んだり、軍用機の写真集を買ったりする程度には軍事好きなので、昔から「これは不道徳な趣味なのか」ということを気にしていました。
 戦争を愛好してるんですよ、ある意味で。
 架空戦記は、まったくのファンタジー世界ではなく、現実にじゃっかんのIFを持ち込んで「こんな戦争も在り得たんだ」ってやる話です。
(ポールシフトとか常温核融合とか、超弩級IFもありますが)
 素人(軍人ではないという意味では架空戦記作家も素人だろう)の思いつきで、太平洋戦争・第二次大戦を論評し、いじりまわす。
「あそこの作戦、こうすれば勝てたのに」。
「こういう兵器を作ればよかったのに」。
 などと言う。
 さらには、何十年単位で歴史を変え、第二次大戦の前提条件を変えてしまう。
「日露戦争に勝ったのがいけなかった、負けたらもっと良い国になった」
「アメリカ南北戦争で南軍が勝っていればアメリカは分裂し弱体化し、日本の勝機もあった」
「第一次大戦で積極的に欧州派兵していれば、戦訓を得ることも出来たはず。それがきっかけで日本はキプロス島を割譲され、云々」 
 実際に戦争を体験した人達にとっては、「冒涜された」ように感じるかもしれない。
 でも楽しいんだ! 読むのも書くのも論ずるのも!
「戦争を想像力で弄り回す話」は、確かに戦争体験者を踏みにじっている。
 私はそれについて後ろめたさを感じながら、でも弁明できずにいた。

「戦争を防ぐためにこそ戦争を知る必要がある」
「戦争の犠牲者たちのためにも、感情的に嘆くだけではなく、あの戦争の背景を知る必要があって、そのためには歴史にイフを投入するのも効果的だ」

 こんな弁明をよく聞く。私も何度か言った。まったくの嘘だとは思わない。「ほんとうにそんなこと考えて架空戦記読んでる?」って言われると「脳内の5パーセントくらいでは考えてる……」としか答えられない。
 残りの95パーセントは「そこだぁ! 死ねぇ!」とか「超兵器ウヒョウヒョw」とか考えてます。
 
 本当に戦争を経験した人達は、日本国内に限って言えば、高齢化し、数を減らしている。
 でも世界レベルで見れば、戦争体験者は現在進行形のできごとだ。
 安全な場所で「こうすれば勝てた! あるいは、こういう負け方が良かった!!」とか言う話をこねくり回して嬉々としているのは、戦争体験者にとって憤慨するようなことなのかも……?

 架空戦記に限った話ではなく、軍事趣味というのは、「もしかしたらこれは悪いことなのかも」という後ろめたさを抱え、あーだこーだと理屈をこねて自己弁護しながら細々と楽しんできた趣味……なのです。
 私にとってはね。
 同じような感じの人は大勢いると思います。

 そういう人にとって、「明るく楽しい戦車バトル! ほらほら、後腐れなし、すっきりさわやか撃ちまくり!」ってサラッとやっちゃったガルパンは「えっ……いいの!?」という「それが許されるなら嬉しいけど……でもそれを認めちゃうと今までの私は何だったのだろう、認めたくない」という、複雑な感情が湧いてくる作品なのではないかなぁ。
 私がまさに、そういう感情を持ってるんですよ。

「明るく楽しい戦争!」は、なにもガルパンが始めたことじゃなくて、戦艦とか戦闘機を美少女擬人化する雑誌とかそんなのが何年も前からやってるわけです。
 でもそれらの「明るく楽しい戦争!」は「開き直ってやっちゃいましたー。悪ふざけです。てへ。」って、態度で示している(ように私には思われる)。
 ガルパンはそれらよりも一歩進んで、「自然体で」、「人が死なない明るく楽しい戦車ドカンボカン」をやっている。「これはジョークですよジョーク!」じゃない。
 だから、モニョモニョするんじゃないかなーと。
 嫌いではないんですけどね、ガルパン。 
 断片的には好き。
 ゴールデンウィークで、みなさん遊びに出かけているようですね。
 東名高速はリア充どもが大渋滞で、大洗ではいま話題のガルパンイベントも開催されたそうです。
 ヘッツァーが走った? なにそれラジコン? 実写であるわけはないが……「エンジン付きで、人が乗れるほどデカイ模型戦車(3分の1スケールくらいでしたっけ?)」を作っちゃった人は実際にいる。だから大洗に出現したヘッツァーというのも、ふつうのラジコンサイズではなく、ゴリアテくらいの大きさはあるかもしれない。
(画像をみたら、ほんとうにゴリアテくらいの大きさだった)

 ところが警備員はゴールデンウィーク、忙しくて忙しくて、とても遊びになんていけないんですよ。
 みんなが遊びに行けば行くほど警備の需要が発生するんですよ。
 
 そんなわけで 8時~17時 21時~6時 8時~17時 まだ続きそう
 だいたいこんな感じで働いてます。これ、一繋がりですからね? 間に休みの日はない。
 
 忙しい! こんな時、時間がないとき、「書きたいこと」が次から次へと湧いてくる!
 いざ休みをもらうと何も書けない!
 だったら、どんなに忙しくても、断片でもいいから書き留めておくしか無いんだよ!
 ガルパンと倫理の問題。
 いろいろ書きたいが、まず最初に一言。
 うかつなことを書きすぎた。すまなかった。

 「ある人達が自覚を持っているかどうか、覚悟があるかどうかなんて、他人にはよくわからない」
 ので、(多数の発言を恣意的に取り上げることで、覚悟があるともないとも言える)
 議論の題材としては不適切だったなと。
 「ある特定の人の、特定の発言」について「覚悟がない、ある」と言うこともできるかもしれないが。

 とくに、「ガンダムだって悪趣味ではないか?」については、そもそも「ガンダムはリアルな戦争だから、反戦アニメだから、他の戦争アニメより道徳的に優れている」という人達の存在を具体的に示せないので、(言われた覚えは何度もあるんだけど、誰の発言だとは特定できない)反論として誠実ではなかった。

 前提条件が間違っている議論は、仮に、どれほど精緻な論理が展開されようとも「遊び」でしかない。
 「ガルパン(ガールズ&パンツァー)」は、「悪趣味な作品である」ということに無自覚なのが問題なのだ、という意見をいただきました。悪趣味な作品だと自覚して作れば良いのだと。
 そう言われてみれば、腑に落ちるところもある。
「覚悟(or自覚)があるのか?」はKOSさんの口癖だしな。

 KOSさんが称賛するアニメ、「ガンスリンガーガール(第一期)」「イリヤの空」なんかは、登場人物が「自分たちは女の子を洗脳して改造して戦わせて、残酷で理不尽なことをしている」と、強く自覚している。何度も繰り返し、罪悪感が描かれる。その自覚は見ている人間にも伝わり、心の痛みを覚えながら作品を鑑賞することになる。
(イリヤの場合は、肉体改造ではなく薬物投与どまりかもしれないが、大差ない)
 その痛みを持った上で作品を作れ、楽しめ、それが最低限の義務であり覚悟だ、ガルパンには微塵も「痛み」がないからダメなのだ。
 KOSさんの真意がこれなら、「なるほど」とは思う。
 8割くらいは納得する。

 思うが……
 でもねー、と思う点が2つ。
 残り2割の「納得出来ない部分」がうずく。

 1、自覚は自覚だけでは意味が無い

 「悪趣味であることを自覚しているなら悪趣味でも許される」というのは、美学としてはそのとおりだろうが、道徳・倫理の話として取り扱うなら、「自覚したうえで何をするかって話じゃないの?」
 ガンスリンガーガールで言うなら、たとえばファンの人は、現実世界の子供兵士をなくすために政治活動・慈善活動しているのか? 聞いたことがない。(やっているならゴメン)
 特に行動せず、自覚してますって言うだけなら、それは自己満足であって、尊ぶべきこととは思わない。子供のように無自覚に悪を為すほうがマシ、という考えすら一理ある。
 
 イジメっ子が面白半分で殴るのも、母親の「私は、自分が残酷なことをやっているとわかってるけど、でも、あなたのために必要なのよ、心を鬼にして仕方なく殴ってるのよ!」も、殴られる側としては同じである。
 罪悪感で泣きながら殴るのは、自分の心を納得させるためのパフォーマンスみたいなもので、その場にいて殴られる側の立場としては偽善的この上ない。
(暴力被害の話になると、私はどんどん頭に血が上ります)
 不謹慎・悪趣味なことをやっても自覚があるなら「許される」、というのは、「そうですか、じゃあ他人が干渉することでもないですね、その結果どうなっても、あなたの自己責任ですね」という「突き放し」の意味でとらえるべきで、積極的に「善い」ことでもない。

 2、ガンダムはどうなのか?

 「悪趣味の自覚」という観点からすると、たとえばガンダムシリーズはどうだろう?
 KOSさんも概ねガンダムシリーズを高く評価しているし、世間で「ガンダムは悪趣味だ、非倫理的だ」という話もきかない。
 でも私、ガンダムってすごく趣味悪い話だと思うんです。ガルパンよりも、エヴァンゲリオンよりも、ガンスリンガーガールよりも、エルフェンリートよりも……趣味悪いと認識されていないだけで。
 「いわゆる宇宙世紀のガンダム」も、SEEDや00など、他世界のガンダムも、実に血塗られている。

 ジオンの起こした戦争で何十億人もの人間が死んで、それでも人間たちは何も変わらず争いを繰り返しました、ジオンの思想を信奉する人達もなくなりませんでした、ジオンに敵対する人達も非人道的な行為を繰り返しました。宇宙に適応した新人類が登場しましたが、その人達も世の中を変えることは出来ず、戦争の道具として使い潰されるばかりでした。すべての努力は無駄だったのです。

 ターンAによれば、最終的に「宇宙戦争の時代(黒歴史)は何千年も続いた」。
 そんな陰惨なものを、娯楽として描いてるんですよ。

「ガンダムは戦争の悲惨さを描いている。
 人間の愚かさと、それでも善くあろうとする苦闘の姿を描いている。
 そのために残虐な戦闘が必要なんだ」

 そう言われることは多い。だが本気か。
 言い訳で言ってるだけじゃないのか。
 ちなみに私が「この作品には崇高なテーマ性が……」とか言うのは99パーセント言い訳です。
 世の中のガンダムファンもやっぱり言い訳では?
 ガンダムに、本当に反戦的メッセージがあり、それを視聴者・読者がモロに受信したなら、モビルスーツの活躍を楽しんでみたり、ファンネルがどうしたミノフスキークラフトがどうしたと、メカ設定を論じ合ったりできないと思う。
 反戦平和モノです、という言い訳を並べながら、じっさいには戦争を娯楽として描き続けているガンダム。
 これは「自覚のない悪趣味」の典型ではないかなぁ。
 ガルパンより道徳的に悪いんじゃないかなぁ。

 戦争反対と言いながら戦争をかっこ良く描く、ということの欺瞞性に切り込んだガンダムが、ひとつだけある。「0080 ポケットの中の戦争」だ。

 一年戦争の最中、たったひとつ平和を享受する中立コロニー・サイド6に住む少年アルは、モビルスーツが好きだった。彼にとってモビルスーツは「現実の人殺しの道具」ではなく、「別の世界の英雄的メカ、あこがれの対象」だった。
 しかしジオンの特殊部隊が送り込まれてきて、部隊の一員バーニィと出会ったことで、アルの世界が変わる。アルとバーニィは友だちになり、絆を深め合っていくが、けっきょくバーニィはガンダムと戦って戦死。
 バーニィが遺したビデオレターで「ガンダムパイロットを恨まないでくれ」と頼まれたので、アルには怒りのやり場すら無い。
 ラスト、戦争が終わり、小学校の校長先生が演説する。
 ついに、残酷で理不尽な現実に耐えられなくなったアルは泣きだしてしまう。
 その時、この作品最大の衝撃的シーンが炸裂する。
 アルのクラスメートが言うのだ。

「アル泣くなよ、戦争はまたすぐ始まるって。今度はさ、もっともっと派手で楽しくってでっかいやつだぜきっと」
「そうだよ。そしたらさ、薬莢なんかじゃなく実弾も拾えるしさ、ひょっとすると軍隊のレーション喰えるかもしれないぜ」


 なんという毒々しさ! 痛烈な悪意!
 友達は「戦争が終わって残念だから」アルが泣いていると思っている!
 無邪気にそう思っている!
 アルはバーニィを殺されて、もう二度と、戦争をカッコイイと感じることは出来ないだろう。
 だがクラスメートたちにとっては今でも、これからも、ワクワクする楽しいものでしか無い。

 あなた方ガンダムファンは、このクラスメートたちなんですよ!?
 そう糾弾された気がした。
 本当に戦争反対なら、戦争物語を楽しめるはずがない! ポーズに過ぎないでしょう! と言われた気がした。
 
「反戦」というテーマを突き詰めた結果、「0080」は「ロボット戦争アニメ」という枠組みそのものを否定してしまった。
 究極の反戦ガンダム。
 究極すぎる禁断のガンダム。 

 0080の放った問いかけ「本気で戦争反対だったら戦争を娯楽にはできないはず」は、その後のガンダムにおいて顧みられることはなかった。
 0083では戦争もテロもさんざん格好良く描き、08小隊では「ギニアスという男の個人的狂気」をラスボスにして、そいつをやっつけることで「戦争じたいの是非」を回避した。単純な勧善懲悪モノにした。
 宇宙世紀とは別の世界を舞台にした「W」「X」も、この問いかけに答えなかった。

 わたし実はSEEDと00を断片的にしか見てないので、歯切れよく断言できないんだけど、伝え聞くところによると、これらの作品でも08小隊同様、「あからさまに狂気を抱いた悪役」が出てきて、そいつをやっつけることで爽快感を得るという作劇が為された。らしい。それにより、「戦争が悪」というテーマはどっかにいった。

 私の知る限り、0080の問いかけに答えようとしたのは、「小説版08小隊」だけだ。
 ギニアスがおかしくなった背景もみっちり描かれ、連邦軍もレイプなどの蛮行を犯したと描かれ、「誰か特定の人間だけが悪いわけじゃないんだ」と訴えかけた。ラストでは、ビーム兵器を映写機に転用し、映画を見せることでジオンと連邦の人々を一時的に和解させるという、奇跡的なシーンが描かれた。「特定の人間ではなく、戦争を打倒する」に、ギリギリまで迫った瞬間だ。
 この路線を追求していけば、「戦闘をかっこ良く描くけど、戦争は否定する」ことが可能だったかもしれない。
 
 だが、この路線は追求されなかった。

 ガンダムの「戦争反対」がポーズではなく本気だというなら、誰かが「0080の問い」に答えなければいけない。
 答えられないなら、ガンダムは「悪趣味だという自覚のない悪趣味」にとどまるだろう。

 追記

 SEEDとダブルオーを見てないのに、「顧みられることはなかった」って断定するのはムチャだと思う。
 でも俺、自分がムチャだって自覚してるから大丈夫!
(ホラ説得力ないでしょ?)
 見た上でもういちどガンダムについて書きたい。


忍者ブログ [PR]
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
フリーエリア
最新コメント
[10/25 Home renovation]
[10/25 Быстрые деньги Минск]
[10/19 TopHost]
[10/19 CloudVPS]
[09/22 Harrytebra]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
ますだじゅん/ペンネームC
HP:
性別:
男性
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析