ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設
ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。
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無題
「聲の形」へのますださんの意見について共感いたしましたのでコメントさせていただきます。(新しい記事のコメント欄に書いた方が良いとのことなのでそういたしました。)
かなり昔の意見に対してで申し訳ありません。 私も、いじめ被害者が加害者を許すことを称賛するような表現に非常に不快感を覚えました。被害者は辛い目にあった上に、許さなければ心が狭いと非難されるのだから酷い話だと思います。擁護派は受け取り方次第と言いますが、実際の風潮として被害者側は許すように圧力かけられている感じがするんですよね。まだ気にしているのかとか、許さなきゃ始まらないとか。 ますださんのおっしゃるような、「みんなが仲良くしなければならない(関わらないという選択肢を考えない)」「誰も悪くない」という価値観を、私も作品及び批判者を叩く擁護派から感じ、嫌いでした。散々いじめや加害者側を露悪的に描いておいて、理想的というか美談的な感じにまとめるのかと...。生々しいいじめや加害者を描いて、リアリティーというのなら、被害者側の憎しみや話の終わり方ももっと生々しく苦しい感じに描くべきだと思います。物語だから、理想だからと言いますが、被害者側だけは物語的な美しさで描いてもいいと思っている感じが、被害者やいじめによる心の傷を軽視していると思いました。 許す大切さだの寛容になるべきだの、擁護派は言いますけど、そもそも障害を持つ人に不寛容になっていじめたのは加害者の方ですよね...。ますださんの言うように、相手を人間扱いしなかったのは加害者なのに、なぜ加害者を許さなければ悪人のように扱われるのでしょう。やったことを謝るのとそれを許すのは同レベルの行為ではないと思いました。加害者が罪悪感に苦しんだり謝ったりするのは、自分のまいた種ですし。「こっちだってお前を殴った手が痛くて辛かったんだから許せ!許さないから争いが続くんだ!」って言ってるようなレベルに思えます。 自尊心の低い被害者が加害者を恨まないのも、あると言えばあるでしょうが(DV夫と別れられないみたいな)、それが和解に繋げる要因になるのも問題だと思います。 ますださんの例えを借りれば、「レイプ被害者が自分を責めて警察に訴えなかったことで、犯人が捕まらず、被害者に後々謝罪しに来て仲良くなった」みたいな感じでしょうか。自尊心の低さから加害者を恨まない心理は、優しいとか素晴らしいというよりも悲しいことだと思います。自己犠牲精神を賛美することには問題を感じました。 時間が経って、ますださんの意見も変わったかも知れませんし、今さら迷惑でしたら申し訳ありませんが、記事に共感したためコメントいたしました。 ますださんが、「許さない被害者」の存在を肯定し、はっきりと加害者擁護を批判していた姿と、批判コメントにも誠実に対応する姿に元気がもらえたので、感謝と共感を伝えさせていただきます。
無題
飯田さんへ
コメントありがとうございます。 あれから七年たち、擁護側の意見を読んだり、連載版を読んだりして私の意見は変わりました。今はそれほど作品を否定していません。…ですが、読み切り版を読んだときに激しい怒りを感じたのは事実ですし、読み切り版の情報量では仕方なかった。共感していただけて嬉しく思っています。 |
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