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ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設 ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。 こちらです https://kakuyomu.jp/users/pennamec001
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 私は子供のころずっとイジメられていたから、イジメられっ子の心をよく知っている。私以上に知っている人間など滅多にいるものか。
 ……と思っていたんだけど、なんか、どうも違うようだ。
 イジメが出てくる小説はたくさんある。ライトノベルにもマンガにも出てくる。
 だが、どれもこれも「イジメられっ子の心理の描かれ方」が、私の実体験と大きく異なるのだ。
 一般的なフィクションでは、「イジメられてる奴」は「スクールカースト最下層」らしい。 
 スクールカーストというのは「人気の高低による序列」だ。
 「彼女がいて、みんなの人気者」が「高い」
 「誰にも相手にされない」が「低い」。

 これが「スクールカースト判定テスト」。
 私がやると「クラスD キモオタ男子」になるw

 物語の中のイジメられっ子は、スクールカーストが低い自分を嘆いて、上にいる人たちをうらやましがって、でも自分には無理だ、なんて思ったりする。
 この時点で、もう私とはぜんぜん違うのだ。
 小学校や中学校時代の私は「彼女が欲しい」とか「友達が欲しい」とか「人気者になりたい」なんて夢にも思わなかった。当時の私にスクールカーストの話をしたら、「みんなに無視してもらえるなんて、楽チンで最高じゃないか。入れ替わりたい」と答えただろう。
 友達も彼女も要らなかった。そんなのは恐竜やアンドロメダ星雲ほどに別世界の出来事で、私はただ「殺されたくなかった」。
 欲しかったのは「安全」。
 ちゃんと座って、教科書やノートを広げて授業を受けたかった。それだけのことができなかったのだ。よってたかって私を便所に連行し、(逃げられないように)裸にして暴力を振るっては「ウンコ食え!」とか「オナニーしろ!」とか命令するからだ。
 しかも親や教師に助けを求めても指一本動かしてくれない。
 教師に至っては、「君を殴ることでクラスが一つになって成績も上がってるんだからいいじゃないか。君は自分のことしか考えられないのか」とまで言い出す始末だ。ほとんどの教師が口を揃えてだ。はっきりいって警察の出番だと思うが、警察は学校の中のことには干渉してくれなかった。子供同士の遊びだといって取り合ってくれなかった。
 そんな生活が数年も続くとどういう精神状態になるか。
 全世界が僕の敵だ、と思うようになるのだ。
 あらゆる人間が僕を攻撃して殺そうとしている。親も教師もだ。少しでも隙を見せたら殺される。電車の中でも町を歩いても、みんなのざわめきが「死ね、死ね」という声に聞こえる。一見優しくしてくれる人間も、きっと僕を陥れようとしている。きっと僕のいないところでは悪口を言っている。テレビから笑い声が聞こえただけで「僕のことを笑ってるんだ」と思う。窓やドアの隙間から笑い声が聞こえてくる。
 そして、ある時スイッチが入って、さらに被害者意識が1ランク強くなった。
 僕がこんな目にあい続けるのは、人類そのもの、世界そのものが敵であるからだ。
 人類のDNAに増田をイジメろと書いてあるんだ!
 宇宙の物理法則がそうなっているんだ!


 この精神状態は、二十代後半くらいまで続いた。
 悪意の無い人間もけっこういるのだ、ということが事実の積み重ねでなんとなく分かってきて、長い時間をかけて穏健なものに変わっていった。
 私は、イジメられっ子というのはみんなこういう精神状態なのだと思っていたが……違う。これは普通じゃない。小説にも体験談にもこんな気持ちは書いてない。
 自分の怨念を小説にしていることで有名な作家といえば、たとえば本田透がいるが、あの人の怨念も私とはずいぶん違うものだろう。
 あの人の小説には「自分は物語の主人公になれない、必要とされていない」という絶望がよく出てくる。
 やっぱり私とは違う。正直ピンとこない。
 当時の私はまさしく、「全人類が悪に汚染されて僕を攻撃している!」という、「妄想幻魔大戦」の主人公だった。
 脇役になれるものならなりたかったよ。

 私の知っている苦しみは、世界のごく一部、きわめて例外的なものなのだ。
 だったら、「これがイジメの当たり前」という風に小説に書いても共感されないのは仕方ない。
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 松屋の「豚テキ定食」が販売中止になってしまった。
 くうっ。生きる喜びが一つ減った。
 鳥インフルのときも狂牛病のときも思ったが、リスクの高い低いというものがまるっきり正当に評価されてない気がする。
 豚インフルエンザは豚肉を食べて感染する病気ではないのに。

 某「お前メチャクチャ太ってるけど感染してんじゃね?」(実際に言われた台詞)

 豚になる病気でもない!
 
 例によって反応が遅いですが、SMAPの草なぎ剛メンバーが逮捕された事件で……
 え? 「草なぎ容疑者」? 「メンバー」じゃないの?
 いぜんの稲垣吾郎のときは「メンバー」という珍妙な肩書きがついたのに。
 マスコミ的には今回の事件のほうが罪が重いということなのか。
 それとも基準が変わったのか。
 それにしても思わずにいられないのが、「これ、そんなに大事か?」ということ。
 酔っ払ってフルチンになったら逮捕で、薬物反応も無いのに家宅捜索されるって、なんか異常な厳しさだ。アメリカだったら警察が告訴されるレベルじゃないのか。
 ついこのあいだ皇居で暴れた全裸男は、警官に石まで投げたのに「逮捕」じゃなくて「保護」で、しかも何の処罰も受けなかったのに……なんだこの差。
(あれ? 逮捕と書いてある報道もあるな?)
 不公正を感じるよ。
 大臣にまで罵詈雑言を浴びせられてるし。
 「最低の人間だ、絶対に許せない」って、人でも殺したんかいと。
 あんたの友人の友人であるアルカイダのほうが最低と違うかと。
 
 ネットのあるところにこう書いてあったんですよ。

 「みなさん軍オタは、『戦闘機や戦車は好きだけど戦前の日本は野蛮な国だと思うから仲良くしてね』という子供時代の予防線を引きずってる人が多いのですね」

 いや違う!
 軍オタ(軍事オタク)が戦前の日本に対して厳しい目を向けるのは当然。
 予防線なんかじゃない、本音。
 少なくとも私は100パーセント本音。
 私だけではありません。
 2chの軍事板なんかでも、右よりの人が「ここは英霊を侮辱するサヨクばかりですね!」とか怒ってるのをよく見かけるけど、それも当然の話で。
 軍事を「趣味にする」なんて、大日本帝国が続いていたらできない。
 たとえば戦闘機パイロットとか戦艦を美少女に変換して楽しむとか、
 日本の戦車の弱さを愛でるとか、
 敵国、たとえばソ連の戦車や軍艦をカッコイイと言うとか、
 そんなこと戦前や戦時中の日本で、できてたまるか。
 ひたすら北朝鮮のテレビのごとき賛美しかできない、そんなものは趣味じゃない。
 よくもわるくも、「オタク」は「日本が戦争に負けたから」「戦前の日本を否定することによって」成立しているんです。
 そう、内心の自由や表現の自由があってこその趣味です。
 「戦前を全否定するのか?」まで言っちゃうと話が違ってくるんですが……
 何の気なしに、2ちゃんねるの「鉄道路線・車両」板を見ていたら、「○○がない駅は田舎駅!」というスレッドを見かけたんですよ。
 ピピッと気になって読みました。私は「東京の中ではかなり田舎」に住んでいるので、「どこまでが田舎なのか」「町田と多摩センターはどっちが田舎か?」「八王子と比較してどうだ?」などという話題には敏感です。
 読んでみると、これがまた面白い。

 「駅前にコンビニのある駅は都会、ない駅は田舎」
 「じゃあ新宿駅は田舎ですね?」

 「バスが頻繁にくる駅は都会、あまり来ない駅は田舎」
 「じゃあ神田神保町は地下鉄が4本も通ってるけどバスがあまり来ないから田舎ですね?」
 「っていうかバスが来ないから田舎って、銀座1丁目は日曜になったら急に田舎になるとでも言うのかよ」

 「駅周辺の住居表示が何丁目何番地だったら都会、何百番地だったら田舎、何千番地だったら限界集落
 「こないだ改築されたばかりの、あのでっかい登戸駅は多摩区登戸2417番地だから限界集落ですか、そうですか」

 「駅に駅前がないのは田舎駅」
 「銀座を田舎呼ばわりするとはいい度胸だ。駅前ねえぞ」

 「駅前にホームレスがいると都会、いないと田舎」
 「またも二重橋前駅が田舎認定されました。皇居のそばだからホームレスには厳しい」

 「わかった! これで間違いないでしょ。かしわナントカとかさくらナントカとか、植物の名前が入ってるのは田舎駅!」
 「浜松町が涙目」「御茶ノ水が号泣」「桜田門が激怒
 
 田舎とは何か、一言で定義するのは難しいということですよね……
 たとえば千代田区の一番町とかあのへん、たしかに都心も都心なのですが、地価や賃料なんかも高いでしょうが、配達の仕事で訪れてみると「車も人も少なく、商店も少なくて、妙に閑散としている。とくに夜中は怖いくらい」。「ある意味では田舎」なのかなーと。
 
 個人的に一番ピンときたのは、この定義です。
 「駅前に喫茶店があれば都会、ないと田舎」。
 喫茶店は回転率があんまりよくないし、よほど人がいないと成立しない業種かなーと。食い物屋と異なり、生活に必要不可欠なものではありません。しかし、それでもあえて腰を据えて紅茶を飲みたい、という贅沢が、すなわち文化であり、なんとなく都会なのです。
 で、わたしの住んでるところだと、喫茶店は何年も前に潰れて復活の兆しがありません。田舎です。


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