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ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設 ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。 こちらです https://kakuyomu.jp/users/pennamec001
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 小説の感想。

 坂本康宏「稲妻6」徳間書店

 変身ヒーロー小説。
 借金漬けになった主人公は自殺を試みるが、死ねなかった。それどころか超人・稲妻6(シックス)に変身してしまった。鬼のような異形。そして稲妻を操る力。
 彼は警察に雇われ、他の超人たちとの戦いに身を投じてゆく……彼を支えていたものは妻と子への想い。激化する戦いの中で、彼は「超人たちはなぜ誕生したのか」「この戦いの背後で糸を引いているものとは?」を知っていく……

 面白いんだけど、なぜかのめりこめなかった。
 「作者は昭和時代の仮面ライダーが好きで、私はあんまり好きじゃない」という趣味の違いだろうか?
 いいや……変身ヒーロー小説というジャンルは好きなんだ。麻生俊平の「ミュートスノート戦記」は大好きで、今でもよく読み返す。
 作者の坂本康宏さんとは昔知り合いだったから?
 いや関係ない。知り合いが書いたものだろうと、のめりこめるものはのめりこめる。
 じゃあなんで?
 この作者が一つ前に書いた「逆境戦隊×(バツ)」(ハヤカワSF文庫)を読んで、その理由が分かった。
 主人公の動機や人間性が、とことん私と合わない。
 私は、この動機「家族のため」に共感できない。
 この作者は、こういう主人公を描くことが多い。
「自分はうだつの上がらない中年親父だ。オタクだったり貧乏だったり醜男だったりして、いろいろ劣等感を抱えている。誰も自分を褒めてくれることはない。でも戦う。逃げるわけにはいかない。大切な家族(妻と子供。どちらかといえば子供)がいるから!」
 これが作者の書きたい、一番かっこいい男なんだと思う。
 作者は日記にこう書いた。
「紅の豚のポルコ・ロッソは格好がハードボイルドなだけで全然ハードボイルドじゃない」
「ポルコは逃げているからだ。愛した女からも逃げている。人間であることからも逃げている」
「美女をはべらせてバーボンを煽っている男より、工事現場で汗まみれになって働き、娘が握ってくれたお握りを食べている男のほうがハードボイルドだ」
「だから自分なりのカッコよさをこめて稲妻6を書いた」
 感動的な日記だ。
 でも実際に小説を読んでいると……なんだかピンとこない。
 主人公が家族を大切に思っている、という気持ちが伝わってこない。ただ文章で書いてあるだけで、それがどんな気持ちなのか迫真性がない。「どうして家族が大切なのか」も伝わってこない。
 なんでなんだろう……
 同様の感想を他に見かけたことはないので、私の感覚のほうが変なんだと思う。
 私に向けて書かれた本ではないんだろう。
 なんでなんだろう……
 家族というのは、無償の愛を注いで当然、なのか?
 妻ならまだわかる。私には縁の無い話だけど、憶測はできる。
 今は自分を蔑んでいたとしても、かつて愛し合った女性ではあるんだから。
 でも子供のために、命がけで戦おうというエネルギーが、なんで湧いてくるのか。
 沸いてきて当然、という倫理観はなんなのか。
 理解したくて、今日一日、作者のブログをずっと読み返していた。
 やっぱりわからない。
 わからないということがわかった、のは大きな成果だと思う。
 この作者は私と同じオタクで、私と同様に子供時代はひどくイジメられていた。歳だって7歳しか違わない。
 にもかかわらず、理解を絶するほどに相容れない価値観や感性を持っている。
 イジメられっ子、というカテゴリーで人間をまとめるのは無謀だ、ということかも。
 逆に言えば、私が小説の中で書いた気持ちも他人に伝わってないのだろう。
 
 なんで、イジメられっ子は「イジメっ子だけでなく、世界が憎い」のか。
 なんで、相手の指を食いちぎるのか。
 それが作中で倫理的にまったく問題視されないのはなぜか。
 「イジメが憎い」と「小泉元総理が憎い」が私の頭の中でシームレスにつながっているのはなぜか。
 好きな(片思い)女の子のためなら人でも殺せるのは、なぜか。

 どれも説明する必要なんかないだろう? 「1+1=2レベルの当たり前」じゃないか、なんでお前ら、こんな当然のことが理解できないんだ、と思う。
 しかしどれも私以外にとっては当たり前じゃないのだ。
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 小説の感想。

 山本弘「ダイノコンチネント 滅亡の星、来たる」徳間デュアル文庫

 旅客機が恐竜時代にタイムスリップした。それから500年後、乗客たちの子孫は、科学文明の大半を失ったかわりに超能力を手に入れて、原始的ながらも健気に生きていた。恐竜を狩ったり、イモを栽培したり、恐竜を家畜化して労働力にしたり……人間並みの知性を持つ恐竜人類と、テレパシーで交流したり。
 ある村に住む少年は、父の印刷業を継ぐのは嫌だ、この村でずっと過ごすのは嫌だ、冒険の旅に出たいと思いながらも言い出せずにいた。
 そんなある日、科学を伝承してきた老人が村を訪れ、恐るべき事を告げる。
 いま地球を周回している小惑星ワームウッドは、遠くない将来、分裂して地球に落ちてくる。
 あれこそが恐竜を滅ぼした天変地異なのだ。いまが、6500万年前の恐竜滅亡の時代だったのだ。
 しかし村の人々の大半は「そんなこと言われてもなあ、どうすることもできない」といって普段どおりの生活を続ける。危機感がまるでない。せいぜい宗教家の布教が活発になったくらい。
 なんでだろう? と主人公の少年はいぶかしむ。こいつらおかしいんじゃないのか?
 そんなとき、少年の妹が堕落罪で告発されて裁判にかけられることに!

 この物語は、もちろん恐竜世界でのサバイバルを扱ってる物語だ。
 きっと2巻以降は「小惑星による世界滅亡をどうやって食い止めるか?」という話になるんだと思う。
 でも、それ以前に、「世界に抗議する物語」だ。
 「大人は腐ってる」「僕はそんなふうにならないぞ」みたいなことを、熱く、青臭く、切実に訴えた物語だ。
 格闘アクションやサバイバル技術の描写よりも、私の心にはその「大人は腐ってる」が強く残った。
 
 世界滅亡を知っても「そんなの俺には関係ない、俺が死んだ後かも知れないし」という態度を取る人々。
 我々がこの時代に来たのは「神による試練」で、善行を積めば元の時代に戻れるんだ、などという宗教。
 そして妹を裁判にかけた連中。こいつらは、ただ妹が不健全なことを考えたというだけで罪に問う。
 
 主人公はこれらバカどもに、理不尽なことばかりやっている奴らに憤り、ついに爆発する。妹や友人を助け出す。
 こんなところ飛び出して冒険者になろう。
 だが彼の前には父が強大な壁となって立ちふさがった。父はかつて冒険者であり、壮絶な苦しみを味わい、挫折していまの職についた男だったのだ。
 「くだらない夢を見るな」という大人の理屈と、「父さんたちこそ現実を見てない!」という主人公の絶叫がぶつかり合う。

 なんて王道なんだろう、と思った。
 少年物の王道、ビルディングス・ロマンの王道、成長物語の王道。
 さまざまな理由で付属品がくっつく前の、きっと原初の形だ。
 
 この物語を象徴する文を318ページから引用する。

 それこそ、自分の戦う相手だ。
 今、シロウはそれを自覚した。悔しさが闘志となって燃え上がった。敵は父ではない。小惑星でもない。現実だ。自分の周囲の全世界だ。「そんなことできるわけがない」「夢物語だ」「大人になれ」とささやく声の大合唱だ。それこそ打倒すべき究極の敵だ。


 す、凄い。どんだけ心は15歳なのか。
 これが50歳を過ぎた作家の書く文章だろうか!
「世界が敵」というのは私が遠い昔から言い続けてきたことで、これは無差別テロをやりたいという意味ではなく、まさに「声」に負けたくないということだ。私は「声」を「空気」と呼んでいる。世界に満ち、人々を操る、戒律のような敵。
 だから同じ考えを私も持っているんだけど……
 声・空気と戦うための具体的な行動を、私はすっかり怠けてしまっている。
「今月の家賃どうしよう」とか、「来週も仕事がなかったらどうしよう」とか、「金が無いのにジャンボプリン食べちゃったどうしよう」とか、そういう目先のことばかり考えているのだ。
 明らかに主人公側ではなく、主人公に唾を吐きかけられる側の人間だ。
 どれだけ「世界が間違っている、僕は空気と戦いたい」と言おうともだ。
 よくわかって、悔しかったよ。
 私は甘いものが大好きです。
 酒をあまり飲まない代わりに、駅でプリンとかチーズケーキとか売っているとついつい買ってしまう。飯を抜いてもお菓子を買ってしまう。マクドナルドで一番好きなメニューはアップルパイです。100円という値段の割にはうまい。これとチーズバーガーがあれば栄養学的にも肉と果物と乳製品でバランスが取れるので(取れてたまるか)、いざとなったらチーズバーガーとアップルパイだけで生活してやろうかと思います。
 飲み物だって、いま一番気に入ってるのは「とろとろ桃のフルーニュ」です。
 激甘で知られる「MAXコーヒー」が近くの自販機に入ったときは嬉しかったです。
 だって甘いものが口の中に広がっていくと、頭が澄み渡って、体の芯にも力が入るじゃありませんか。
 そんな生活をしているので太るわけですが、金銭も大量に使います。
 なんと甘いもののために1年間で20万円くらい使っているのです。
 これはいかん。
 どうりで金がないと思った。
 甘いものを自分で作ろう。ケーキを焼くのは無理にしても、せめて飲み物くらいは。
 そう決めたので、氷砂糖を一キロ買ってきました。
 お湯の入ったペットボトルに氷砂糖を放り込んだ。
 ちょっとくらいならつまみ食いしてもいいよな、という気持ちを耐えるの大変でした。「ちょっとくらい」で1キロ食べてしまうのが私という人間なので、耐えるしかありません。
 そして、氷砂糖がすっかり溶けたお湯を飲んで……
 あれえ?
 ぜんぜん甘みがないぞ?
 いま入れたのは、小指の第一関節くらいの氷砂糖が一つ。
 うーん、一つでは足りなかったのか。では二つ、三つ……
 これでも甘くない!
 その後いろいろやってみた結果、「甘い、うまい」と認識するためには、500ミリリットルのお湯に氷砂糖を6つくらい溶かさないとダメだ、と分かりました。10個溶かすと、「これだよ! これが飲みたかったんだ! あとは酸味があれば言うことないね!」という味になる。さっそくレモンを買ってお湯に混ぜ、冷凍庫で一気に冷やしました。ぐびぐび。極楽極楽。
 ……い、いや、しかし……
 逆に言えば、私が好きな飲み物ってのはこのくらいジャンジャン砂糖が入っているものなんだな……

 さすがに糖尿病がこわくなってきたので、砂糖水を作るのはやめて、普通の水を飲むことにしました。
 
 残った氷砂糖をどうしましょう。
 紅茶にだったら入れてもいいよね?
 ブラッドファイトを更新しました。
 今回は原稿用紙で60枚も軍法会議をやっていました。
 すると合計400枚に達し、まったく終わる気配が無い……
 どうなってしまうんだろう……

 ブラッドファイト分割版4 
 こないだ「ツンデレは基本的にロリが入っているべきで」と書いたことに対して多くの批判がありました。
 
 某「お前が知ってるツンデレはルイズとヒナギクの二人だけじゃないか?」
 ますだ「その二人が念頭にあったのは確かですけど……」
 某「『らき☆すた』のかがみんは胸小さくないぞ!」
 ますだ「かがみんの胸が大きく見えるのはこなたと比べるからで、小さいか大きいかと問われれば間違いなく小さい」
 某「『現代魔法』の弓子は巨乳だぞ!」
 ますだ「それはおそらくストーリー上の要請です。こよみが自分の幼児体型にコンプレックスを持っているから、そのコンプレックスを際立たせるため、憧れの存在である弓子はメリハリの利いた体型である必要があった。もし弓子がナイチチだと焦点がブレる。そういう理由ですよね?」
 某「誰に確認してんだ!」
 ますだ「ああ……ええと……とにかく」
 某「じゃあツンデレ100人言ってみろ! 何の参考資料も見ずに言ってみろ! 言えないのに『かくあるべし』って語るな!」
 ますだ「あうっ……」

 知ったかぶりしてすみませんでした。

 「オタクは」とか「ツンデレは」「萌えは」とか大きなことを代表面して語るのはやめて、「私は」の話をしましょう。
 すべての虚飾をとりさって、「マリじゃおにんにんおっきしないお!」と。

 某「虚飾を取りすぎです。言葉を選んでください」

 すいません。

 私がハアハアする二次元おにゃのこって、基本的に三種類だと思うんですよ。

 1、「決してぼくを傷つけない、イジメないという安心感がある」
 弱々しい女の子、という意味もあるし、慈愛あふれる女の子という意味もあります。
 前者はロリコンで後者はマザコンだから正反対、などといわれますが、でも表裏一体なんですよ。
 エヴァでいうと、綾波に感じる魅力はこれ。
 
 2、「この人にだったらイジメられてもいい! いやむしろ犬とお呼び下さい!」
 私が熱心にアニメを観るようになったのは、たぶん1990年の「ナディア」からだと思います。
 当時の私には眼鏡っ子趣味がほとんどなくて、いちばん好きなヒロインはナディアでした。あのアニメ史上空前(絶後ではない)のワガママ娘です。
 ナディアが主人公のジャンをさんざん冷たく罵ったり、肉は死体だから食べない! とか凄いワガママ言ったり、たまにしおらしくなるけどやっぱり怒ったり、空き缶を踏んづけたりするシーンで、なんとも言えないドキドキを覚えていました。空き缶を踏んづけるシーンですごく興奮して、「こんな気持ちを親に知られたら生きていけない」などと悩んだことを昨日のように思い出します。
 マゾヒスティックだなあ……
 いまは、ナディアは「ワガママにしても覚悟や根性がない、甘えてるワガママキャラだから、あんまり好きじゃない」んですけど、当時はそんなこと考えませんでした。
 エヴァでいうとアスカに感じるのがこれ。
 旧劇場版でシンジがアスカに「いつもみたいに僕をバカにしてよ!!」と口走ったとき、「アンノ監督はなんでいつもぼくのことを完璧に把握しているんだろう」と思ったものです。
 
 3、「ペットのように、動き回るのを上から見おろしているのが楽しい」
 1と2は、自分を主人公と重ね合わせてヒロインと接しているんですが、3はもっと距離があります。
 この場合、「身近にいたらウザいだろうな」というキャラクターでも好きになれます。
 さいきんアニメをみてもマンガを読んでも1と2の楽しみ方ができなくなって、みんな3になりつつあります。困ったもんです。また、アニメキャラが夢に出てくるくらいのめりこんでみたいです。

 で、マリはどうなのかっていうと……どれでもないんだよ!
 1と2はまったく該当しない。
 じゃあ3しかないんだけど、3はキャラクターの内面にあんまり踏み込まない、「外見から入る」愛で方だから、外見が趣味に合うかどうかがすごく重要になる。乳がデカイ時点でありえない!
 
 マリに萌えられる人ってどういう理由で萌えているんだろう。
 あんな「おいでなすった」「しゃあない」「スッゲー痛ぇ」とかいう喋り方で、無邪気な戦闘好き……まったくの野蛮人キャラならまだわかるけど、英語ペラペラの才女でもあるし……
 ネットでマリ好きの感想を読んだんですが、やっぱりよくわからない。
 「やっぱり眼鏡でおさげですよ。微妙に似合わない、えんじ色の眼鏡をかけているのがまたいい」って言われてもなあ……まったくピンと来ない。
 眼鏡っ娘が「スッゲー」などという言葉を使ってはいかんですよ。
 このさいだから全力でぶっちゃけるけど、「スッゲー痛いけど……楽しいからイイ!」みたいな喋り方をする女の子でいいならアニメ観なくてもいいじゃないですか、そういう娘、現実にいるじゃないですか。現実にはありえない女の子が観たいんじゃないのか……?

 でも、これはもしかすると、私が知らなかった、いや今まで存在しなかった萌えキャラのジャンルが作られた瞬間なのかもしれません。私の目が古いんだ、そう信じる!


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