ますだ/ペンネームCの日記です。06年9月開設
ウェブサイト「カクヨム」で小説書いてます。
こちらです
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このサイトに感動した。
「オタコラム」 アニメ・特撮・ゲーム・漫画について、いろいろと面白い論考がたくさん載っている。 この人の「オタクの本質はこうだ」論は私の考えとけっこう違うんだけど、違うから面白い。 眼鏡っ娘論も面白い。 恋した男が病的なメガネ者。こっちを向いてもらうには、眼鏡をかける以外にない。それで眼鏡をかける。 恋するキモチは、視力が悪い、ということに負けない、立派な眼鏡をかける理由ではないのか。 こう考えた瞬間、我々にとっては、カラウスの眼鏡はもはや伊達眼鏡ではなくなる。カラウスもまた、変則的ではあるが、眼鏡っ娘の仲間に入る可能性が出てくるわけだ。少なくとも、もはや我々は、条件反射的に伊達眼鏡を拒否する立場に安住することはできないのである。 「『屈折リーベ』唐臼にみる伊達眼鏡」より引用 そうだ! わが意を得たり! 「ちゃんとした理由」があるなら伊達眼鏡も認めるべきだ! 俺たちは今、伊達眼鏡にも萌えていい! 萌えていいんだ! コンタクトをなぜ脊髄反射的に否定すべきではないのか。 それは、コンタクトと真摯に対決することにより、眼鏡のかけはずしのダイナミズムが生まれるからだ。 かけはずしのダイナミズムにこそ、眼鏡っ娘の魅力がつまっている。そして、逆に言えば、このダイナミズムにたいする感受性さえあれば、コンタクトなぞは恐るるに足らないのである。 「眼鏡とコンタクトレンズの対立を再考する」より引用 「かけはずしのダイナミズム」だと……! 俺は、いかに一秒でも長く眼鏡をかけさせるか、ということしか考えていなかった。 現実の女性はセックスするとき眼鏡外すんですよ、といわれたとき、「俺の夢を返せ!!」と詰め寄ってしまった。あのときは失礼しました。気持ち悪いですよね。そうですよね。 だが、「かけはずしのダイナミズム」。俺の知らなかった概念。新たなる地平。 そうだ、眼鏡は、顔にはりついているものじゃない。 外せる。だからいいんだ。 そんなわけで蒼樹さんの可愛さは異常。 で、一番面白かったのは「ヒーロー論」。 「ヒーローもの」は三種類の登場人物を要求する。 「ヒーロー」、「敵役」、「被害者」である。 どれを欠いても「ヒーローもの」にはならない。というのは、「ヒーローもの」という物語は、以下のようなプロット形式をもたねばならないからだ。 「ヒーローもの」のプロット形式 (1)「敵役」が無力な「被害者」にある手段で害を与える。 (2)「ヒーロー」が「被害者」を「敵役」への抵抗行動へと導く。 (3)「敵役」が「被害者」では抵抗しえないような過激な手段に訴える。 (4)「ヒーロー」が「敵役」を打倒する。 「「ヒーローもの」の形式とその展開」より引用 サイト主は、このパターンから外れるものは「たとえ戦闘が行われても、ヒーローがいてもヒーロー物ではない」と喝破する。 つまり、 「悪役が最初から、被害者には抵抗不能の悪事を行う」場合、それはもうヒーローものじゃない。 「被害者が諦めて、抵抗しない」場合もヒーローじゃない。 「被害者不在で、ヒーローと敵だけが戦っている」場合もヒーローものじゃない。 つまり「ヒーローによって救われる被害者」がどんな奴であるかが、ヒーローのヒーロー性に深く関わってくるのだ。 なんで「金剛番長」が強烈なヒーロー性を帯びているかが理解できた。 ただ悪党を倒すだけではなく、多くの人が彼によって勇気や友情に目覚めているからヒーロー性が強調されるのだ。「金剛番長が死んだんなら、俺が金剛番長になる!」などと生徒たちが言い出したとき、「最後の一押し」がなされたのだ。 あれ、ちょっと待てよ、ドラゴンボールの一般人は抵抗できない無力な存在で、蚊帳の外に近いけど、じゃあ孫悟空はヒーローじゃないのかな? いいや、やっぱりヒーローだ。 ベジータやピッコロなどを改心させて仲間にしているからだ。 民衆が蚊帳の外ならば、敵を改心させる。これでヒーロー性が保証される。 そこまでサイト主は書いている。 で、ヒーロー論はさらに続く。 ヒーロー物とバトル物はこう違う、と主張する。 「ヒーローもの」におけるバトルは、なんらかの価値観の相克に基づいて生じる。たとえば、以下のような相克はさまざまな「ヒーローもの」で繰り返し描かれてきた。正義を信じる者と、悪に染まった者。みんなの幸せを祈る者と、自らの利益のみを求める者。誰もが笑える未来を求める者と、誰かを切り捨てて現在を守ろうとする者。復讐に燃える者と、自らの野望を追う者。他にもいろいろあるだろう。こういった価値観の相克がまずあって、それゆえにバトルが生じるのが、「ヒーローもの」である。正義のヒーローであろうがダークヒーローであろうかピカレスクヒーローであろうが、そうなのだ。 それにたいして、「バトルもの」におけるバトルは、共通の価値の追求に基盤を置く。バトルするものたちは、「あるなにかが重要だ」という価値観を共有している。しかし、そのなにかが希少であるがゆえに、それを奪い合ってバトルするのである。 「誰がために戦う」より引用 なるほど! と思わざるを得ない。 で、「誰がために戦う」の結論はこうだ。 また、いくつかのロボットアニメからロボットを集めてきて、戦闘力の比較がなされることがある。これまた私は好きではない。 そういった場合には、惑星をどうこうできるとか銀河をどうこうできるとかいった描写をもつロボットが当然のことながら上位にくる。まったくもって下らない。そんなものはたんなる設定にすぎない。そのロボットが登場する物語が「なんのために」をどのように描き、それでもってどれだけ我々を燃やしてくれたか、このことを抜きにして強さを語ることなどできない。いかに水増しされた設定をもとうとも、そのロボットが薄っぺらな燃えしかもたない物語の出であれば、そんなハリボテを破壊することなど量産兵器の機銃の一掃射で十分なのである。 「ヒーローもの」を「バトルもの」と読み違えているから、物語の燃えの格の違いの重要性が見失われるのだ。 なんて胸を打つ文章だろう!! このヒーロー関連の論考を、私は忘れまい。 見失ってはいけないことだ。 自分が書いているのはバトルかヒーローか!? 変身ヒーロー的な奴を書いたことはあった。 しかし、ここに書かれたヒーローの条件を満たしていない。 PR
今週の「バクマン。」を読んで「えー(笑)」と苦笑をおさえられませんでした。
な、中井さーん。 あんた泣くくらい蒼樹さんのことが好きだったはずなのに、アシスタント先で別の女の子にコロッと参ってしまうなんて…… 「僕は蒼樹さんだけでなく蒼樹さんの創る世界が好き」とかなんとか、雪の中で言ってたのは何だったのか!(笑) 誰でもよかったんかい! 優しく微笑みかけてくれる女なら誰でも! いや、分かってる。この行動が正しい。あのまま蒼樹さん蒼樹さんって泣きながら転がっていても何にもならない。もう完全に振られてんだから別の出会いを探したほうがいいに決まってる。 決まってるんだけど……なんか釈然としないし、どうも共感できねえ。 そんなに気持ちを切り替えられる人が、あの歳まで、ものにならない漫画の道を進むとは思えない! こんな人なのか! と、中井さん像がガラガラと崩れていく。 振られた鬱屈と、蒼樹さんへの思慕を漫画にぶつけてスゲエ傑作を描くんだと期待していました。ダークサイドの力を見せてくれ! とワクワクしてましたよ。 っていうか、あの「斜本」を描いた新人が、実は年齢詐称した中井さんかも知れないと思ってました。 今の彼なら「人間死ね!」くらい描くでしょうと。 ぜんぜん別の人でしたね。 っていうか蒼樹さんと、加藤さん(中井さんが新たに惚れた女)ってぜんぜん違うタイプじゃん。マジで誰でもいいのか。 共通点って言えば眼鏡くらいだよね。 ん? めがね? そうか! 我等が同志であったか! 全て許す!
某「でもやっぱり、空想の世界でも、子供を性欲の対象にするのは信じられません、不快です」
ますだ「私は子供を性欲の対象になんて、しませんよ!!」 某「え、だって……」 ますだ「現実の子供なんて裸を見てもピクリともしません。 アニメだって、『カードキャプターさくら』とか『おじゃ魔女どれみ』とかは、『ああ、かわいいなあ』という気持ちしか抱きません。性欲とも恋愛感情とも関係ない。あの子たちは子供そのものだから…… 子供が好きなんじゃなくて、『私の好きなキャラクターは、非オタクの人たちにとっては子供に見える』んです。目が大きかったり、胸が小さかったり、体全体が丸っこく描かれていたりして、喋り方も幼かったりして、ときには作者の絵柄の問題で、子供みたいになってしまうのです。 オタクには『子供っぽいキャラ』と『子供』の違いがわかります。 でも普通の人には分からない。 まったくオタクの素養のない人が、『らき☆すた』『ひだまりスケッチ』などを見て、登場人物たちを小学生だと勘違いしたそうです。高校生なのに! そういうことです」 某「でも子供みたいな外見を好むって言うことは、心のどこかに『子供そのもの』への欲望があるんじゃないですか?」 ますだ「うーん、あるかなあ。『本当は子供を求めているのだが、仕方なくアニメキャラで我慢』という代償行為だったら、もっと子供を見たときに鬱屈したものを感じると思いますよ。まったく感じたことが無いなあ。 あとねえ、『子供のような外見』といっても、私が本当に好きなのは『子供みたいな外見』から微妙にズレてるんですよ。 たとえば、アニメなんかで『貧乳キャラ』のことを『幼児体型』などと言いますが、本物の子供はただ胸が小さいだけじゃありません。尻も、腰のくびれも未発達で、つまり全体的に寸胴で、お腹がちょっと出ています。キューピー人形みたいな体型です。 そんな体型には欲情しません、ぜんぜん。 ちゃんと第二次性長期を迎えて女性の体になった上で、胸が小さくて手足がすらっとしてて、そして……そうだなあ、『遠野秋葉』とか『桂ヒナギク』みたいな体型が一番美しいと思います。葛西伸哉の『キャラふる』という小説に『体操選手体型』という形容が出てきました。たぶんそんな感じ」 某「それは『貧乳好き』であって『ロリコン』じゃありませんよ」 ますだ「いや、秋葉もヒナギクも少女には違いない。広い意味のロリコンには含まれると思う。『少女性が好き』だとは思う。 それでね、 オタク以外の人たちにとっては『そんな細かい違いは分からない』んだよ! 人間は自分が興味ないことは、細かく分類しません。分類しようとも思わない。 だから、十把一絡げに規制されそうで恐ろしいんです。 桂ヒナギクに欲情する人間と、10歳の女子児童に欲情する人間は、明らかに違う人種なのにね! 前者を刑務所に入れても後者の犯行を止めることはできないのにね!」 某「ところで、桂ヒナギクも遠野秋葉も裸眼ですが…… 貧乳だが裸眼の子と、巨乳だが眼鏡の子はどっちが好きですか」 ますだ「前者(即答)。巨乳は嫌い」 某「そ、そんな人は『眼鏡っ子萌え』を自称してはいけない!」 「ブラッドファイト 蒼血殲滅機関戦闘録」 を更新しました。 凛々子の過去を知る敬介。凛々子の過去は壮絶なものだった。 関東大震災の直後、廃墟と化した帝都で、人々が理性を失って虐殺に走る中、彼女はたった一人で虐殺に立ち向かっていたのだ。 「一皮剥けば同じでも! ボクは絶対にその一皮を脱がない!」 その奮闘は、人類に失望していたエルメセリオンの心を動かした。 力及ばず、凛々子も殺されそうになったとき、エルメセリオンは言う。 「君のような人間は初めて見た。もっと君と観察したい。 君がもし、力さえあれば信念を貫けるというなら。 私が力を貸そう。君が決して信念を曲げない限り」 こうして凛々子はエルメセリオンの被寄生者となり、苦しむ人々を救うため戦い続けることとなった。以来80年、凛々子がエルメセリオンとの約束を破ったことは無かった。 敬介は凛々子の過去を知って打ちのめされる。だが「自分はどうすればいい、姉のために教団側につくか、それとも任務を遂行するか」という結論はまだ出せなかった。なぜ凛々子はこんなにも自分の意志をしっかりもてるのかと不思議に思った。 こういう話です。
こないだ工事現場の昼休み、現場監督さんが政治の話を始めました。
どんどんヒートアップしていき、やがて公園に轟けとばかりの大演説になりました。 「民主党の政策がいかに間違っているか」という内容です。 主に、公共事業を削減で仕事が奪われることに憤慨しているようです。 しかも、これからは増税するだろうと。 にもかかわらず、本当に減らすべき支出は削減していない……監督さんは公務員の数を減らすべきと考えているようです。 で、結論としては、民主党政権で俺たちの生活はボロボロになると。 民主党のバカどもは死んでしまえと。 う、うーん…… 反論できない、10年も投票し続けてきた人間として、擁護する義務があると思うけど…… 実際に公共事業削減で職を失いかねない人間に向かって、「痛みを伴う改革(笑)」とか言えません。 民主党の経済政策が非常に場当たり的で、手当たり次第に修正パッチを貼り付けるようなヘタクソなものであることは私も感じています。 「公共事業を削減して福祉を充実させよ」というのは長期的には正しいし、賛成します。でも短期的にはメチャクチャな混乱を招くでしょう。「仕事がなくなっても生活保護を受けられるからオッケー」などという人間はそれほど多くありません。 貧困層にとっては大きな負担増になると思います。私もです。 でも、たとえ経済政策がメチャクチャであっても…… 私は、民主党や社民党のことをある程度は支持します。 児童ポルノ法案が改悪されるのを阻止してくれたからです。 児童ポルノ法が厳しくなると私は刑務所に入ります。 未成年を、ぶっちゃけロリを、エロティックに描いたものが大好きです。 私が好きなのは本当の子供じゃなくて、アニメや漫画や小説の中の「外見が幼く見えるキャラクター」なんですが。 10歳未満禁止とか、強姦描写禁止とか、そういうことなら分かる。でも自民党が主張していたように、「未成年、または未成年に見えるキャラを性的に描くこと自体が罪」だというのなら、私の生きる喜びの半分は消えます。 だから私の大切な世界を守ってくれてありがとう、と思っています。 非常に極端な話になりますが、 1、普通のサラリーマンになって、結婚して子供も作れる。でもアニメや漫画は厳しく規制されているので楽しめない。 2、一生、年収200万のアルバイターのまま。もちろん結婚などできず、いずれ病気になって働けなくなり、野垂れ死ぬ。でも漫画やアニメなどは規制されておらず、思う存分楽しむことができる。 どっちの人生を選ぶかといわれれば後者です。後者のほうが幸せです。 両立できるのが最善に決まっていますが…… アニメや漫画や小説など、空想の世界がくだらないものだとは思わない。 現実の就職や結婚と同じか、それ以上に重大なものだと思っている。 だから私はオタクだし、だから小説を書いている。 究極的なことを言うと、空想の世界の自由と幸福さえ守られれば、他は全て失ってもいいと思っている。 あと根本的な理由として訊きたいんですが、一体どういう理由で児童ポルノを規制するのか分からない。ポルノが性犯罪を誘発しているという根拠は一切ない。因果関係、関連性を示してくれた人間は誰もいない。 山本弘が作ったこのサイトを見れば、関連性の無さは明らかです。 たとえ空想の世界の中であっても悪い事をやってはいけないのか。 それは人類の文化の根本否定です。馬鹿げたことです。 さらに、ポルノを特別扱いする理由は何なのか。 麻生太郎の好きな「ゴルゴ13」だって、教育上よい漫画とはまったく思えません。 なぜ、金の為に人を殺しまくるのがOKで、少女とセックスするのがいけないのか理解できない。 「ロリ物は私たちを不快にさせるからダメだ」って言うのか? それを言うなら、私は野球が大嫌いで、野球のユニフォーム着た中学生が歩いてるだけで全身が震えだして「殺される!」とか思いますよ。野球は私を不快にさせるから禁止するべきですよ。 誰も不快にさせない表現なんて有り得ません。 などという事を、子持ちの女性の前で力説した事があって、かなり嫌悪の目で見られたのですが、でも私は後悔していません。これからも同じ考えです。 |
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